旅の途中で観る夢は(おやじの旅日記)

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北鎌倉は、昔にタイムスリップ出来るお寺が。 

2023年07月15日 15時54分03秒 | 旅の途中で

 今日から三連休、生憎郡山は曇り空です。

 朝方は、草刈りでもしようかと思い少し早く起きたら小雨がぱらついていました。

 

 電車旅の余韻がまだ残っています。

 次の大人の休日クラブの早くも今から楽しみにして生活を。

 

 鎌倉の旅、 浄智寺の後は東慶寺と円覚寺へ。

 浄智寺から東慶寺へ。

 

 ↑ 浄智寺からの道すがら、道路から芽が出て咲いている。

 よく見ると、枝が曲がって伸びているだけでした。

 

 

 ↑ まもなく東慶寺  に着きました。

 

 

 ↑ 東慶寺案内板。

 

  

 ↑ 東慶寺の石段を眺めると。

 入口の階段は、御覧のように閑散としていました。

 何かおかしい。

 

 

 ↑ このせいなのかわからないが・・・・・・。

 数年前から、お寺からのお願いがあるようです。

 写真を撮るのが目的でマナーを守らない方が増えているようで。

 

 

 ↑ 階段の左奥には、喫茶「吉野」があります。           イメージ写真 

 

 ↓ ありし日の東慶寺。

  

 ↑ 階段が埋まるほどの人出。

 

  

 ↑ 異常なほどの人出の時もありました。    ↑ 東慶寺参道階段。

 入ってはいけないエリアに入って写真撮影した方がいらっしゃったようで。

 そんなことが度重なったとかで、場内を撮影禁止にされたそうです。

 

  

 ↑ 東慶寺から円覚寺に向かう途中に、お洒落なお店を発見。

 店名「ショコラトリー カルヴァ」。

 ネットを検索していたら、お土産にとヒットしたお店です。

 

  

 ↑ 北鎌倉駅から数分にある鎌倉五山第二位の円覚寺です。

 鎌倉五山第二位のその格通りいまもなお鎌倉有数の巨刹で、北鎌倉では建長寺に並ぶ観光スポットで人が絶えません。

 鎌倉時代後半の弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。

 開基である時宗公は18歳で執権職につき、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。

 国家の鎮護、禅を弘めたいという願い、そして蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、円覚寺の建立を発願されました。

                                      パンフレットより。

 

 

 ↑ 円覚寺拝観券。

 

 

 ↑ 円覚寺配置図。

 

 

 ↑ 境内に入ると、階段越しに山門が見えてきました。

 

 

 ↑ 山門。

 約一年ぶりの訪問でした。

 

 

 ↑ 山門(三門)案内板。

 三門は三解脱さんげだつくう無相むそう無願むがん)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされています。

                                 パンフレットより。 

 

  

 

 

 ↑ 裏から眺める山門。

 

 

 

 ↑ 選仏場。

 選仏場とは、仏を選び出す場所という意味で、修行僧の坐禅道場のことです。

 元禄12年(1699)に伊勢長島城主松平忠充が、江戸の月桂寺・徳雲寺住職一睡碩秀の薦めにより、大蔵経を寄進するとともに、それを所蔵する場所と禅堂を兼ねた建物として建立されました。                     パンフレットより。     

 

 

 ↑ 仏殿。

 仏殿は、円覚寺のご本尊が祀られている建物です。

 大正12年(1923)の関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年(1964)に再建されました。

 禅宗様式の七堂伽藍の中心に位置する建物です。

 開山毎歳忌かいさんまいさいき達磨忌だるまき臨済忌りんざいき祝聖しゅくしんなどの行事や毎朝の暁天坐禅ぎょうてんざぜんが、ここで行われています。

                                 パンフレットより。 

 

   

 ↑ 仏殿天上図。 

 

 

 ↑ 居士林。

 「居士」とは在家の禅の修行者を指し、居士林は禅を志す在家のための専門道場です。

 もと東京の牛込にあった柳生流の剣道場が、昭和3年(1928)柳生徹心居士より寄贈され、移築されました。

 現在も学生坐禅会、土日坐禅会、また初心者でも参加できる土曜坐禅会が定期的に開かれています。

                                パンフレットより。 

 

 

 ↑ 美香池。

 創建当初よりある放生池ほうじょうちで、江戸時代初期の絵図に基づき、平成12年(2000)、方丈裏庭園と合致した自然の姿に復元しました。

 向こう岸の露出した岩盤を虎の頭に見立てて、「虎頭岩ごとうがん」と呼んでいます。

                               パンフレットより。 

                              

 

 ↑ 向こう岸の露出した岩盤を虎の頭に見立てて、「虎頭岩ごとうがん」と呼ばれています。

 

 

 ↑ 舎利殿。

 舎利殿しゃりでんには、源実朝公が宋の能仁寺から請来した「佛牙舎利ぶつげしゃり」というお釈迦様の歯が祀られています。

 鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する、最も美しい建物として国宝に指定されています。

                                 パンフレットより。  

 

 

 ↑ 開基廟。

 佛日庵(ぶつにちあん)は、鎌倉幕府8代執権、北条時宗(ほうじょう ときむね)の廟所です。

 拝観料は別途100円。中の茶室「烟足軒(えんそくけん)」ではお抹茶を楽しむことができます

                                パンフレットより。

 

 

 ↑ 続燈庵。

 

   

                        ↑ 黄梅庵。

 

  

 ↑ 黄梅院。

 黄梅院(おうばいいん)は、第15世夢窓疎石(夢窓国師)の塔所。

 円覚寺の最奥に位置し、山を背負ってとても緑深き場所です。

 

 

 ↑ 黄梅院案内板。

 

 

 

   

 ↑ 円覚寺の中でも最も奥に位置しており、黄梅院を見てから引き返していくというのが私の円覚寺参拝の定番コースにもなっています。

 円覚寺の拝観出来る塔頭の中でも美しい庭が特徴的です。

 

 

 

 

 ↑ 聖観音堂。

 

 

 ↑ 本堂。

 本堂には、南北朝時代の木造夢窓国師座像と中国の銅造千手観音立像などが安置されているそうです。

 

 

 ↑ 円覚寺奥に塔頭、黄梅院でした。

 

 

 ↑ 方丈。

 本来は住職が居住する建物を方丈とよびますが、現在は各種法要の他、坐禅会や説教会、夏期講座等の講演会や秋の宝物風入など、多目的に使われています。

 

 

 ↑ 庭園。

 

 

 ↑ 百観音霊場。

 

 

 

 

 ↑ 百観音霊場。

 円覚寺方丈前のこの百観音霊場は、江戸時代、拙叟尊者が境域に岩窟をうがって百体の観音像を祀ったことに由緒として、その後明治時代に今北洪川禅師が整備しました。

 

  

 ↑ 唐門。

 1839(天保10年)建立の方丈の正門である唐門。屋根の形が弓を横ししたような形ですがこれを「唐破風(からはふ)」といいます。松と鳥、獅子と像、扉には龍、雲、波濤など見事な彫り物が見られます。

 

 

 

 

 

 

 ↑ 仏殿の脇を通り岐路へ。

 

 

 ↑ 山門を後に北鎌倉駅へ。

 

 ↓ 円覚寺門前にあったお店。

 ショコラトリー カルヴァの「羊羹ショコラ」。

  

 ↑ お土産には最適。

 

 

 ↑ 現代風にアレンジしたお土産。

 

 

 ↑ 上水羊羹・下チョコレートの二重構造。

 日持ちがしないので、私の近い所に住んでいるお友達にしか差し上げられない。

 初めての触感でした。