旅の途中で観る夢は(おやじの旅日記)

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電車旅、行って来ました国宝「松本城」へ。『Ⅱ』

2022年07月15日 10時31分43秒 | 旅の途中で

  電車  旅、行って来ました国宝「松本城」へ、の続き。

 国宝松本城 🏯 いつ行っても優美で美しい。

 

 ↑ 現代の地図 地図に重ねるとこんな感じ。

 写真下が 🚉 方面です。

 

 

 ↑ 大手門側。

 

 

 

 

 ↑ 国宝松本城。

 

  

 ↑ 松本城は平城なので、防御の方法としてお堀を有効に使ったようです。

 

 

 

 

 ↑ 高麗門。

 内堀を渡ったところにある門で、高麗門です。

 平成元年11月、この門とこれに続く控塀(ひかえべい)がつくられ、枡形が復元されました。

 この控塀には狭間(さま)が切られ、対岸の敵に備えて火縄銃で攻撃できるようになっています。

 

  

 ↑ 高麗門から入ると太鼓門も有りました。

 ここから、場内に入りました。

 いぜん訪れた時の写真で、今は通行可かどうかわかりません。

 手前左にある縦の大きな石は、鏡石と言うそうです。

 城主の力を見せつける目的もあったとか。

 

  

 ↑ 太鼓門から場内に入り、塀の奥の屋根が黒門です。

 

   

 ↑ 場内に入場。

 案内所で入場料700円を支払い、いざ松本城 🏯 へ。

 

 

 ↑ 黒門(櫓門)城壁の上に櫓を渡した門。

 黒門から場内へ。

 

 

 ↑ 矢狭間で低い位置の黒は鉄砲座間です。

 

 

 ↑ カワラの所には、歴代藩主の家紋が刻まれていました。

 

  

 

  

 ↑ 黒門の中の左右。

 右は歴代藩主・左はオブジュ。

 

 

 ↑ 歴代藩主の年表。

 

 

 

 

 ↑ 松本城は、武田信玄が基礎を築き。

 戦国時代に現松本城がある場所に築城された深志城が松本城の始まりでした。

 信濃の守護家である小笠原氏(府中小笠原氏)によって築城されました。

 ところが、乱世の時代は、戦が絶えず、負ける度に領土が敵のモノになりました。 

 小笠原氏も例外ではありませんでした。

 武田信玄との戦に敗れて領土はもちろん、城も奪われてしまったのです。

  武田信玄はこの「深志城」を拠点とし、天下取りの活動を活発化させていきます。

 因みに武田信玄が現松本城の前身とも言える深志城を30年以上治めていました。

  その後の1582年、本能寺が起きた年に小笠原家の子孫の小笠原貞慶が旧領土を回復させます。

 小笠原一族が再び信濃を治めるようになったのです。

 そして、貞慶は深志城を「松本城」と改めたのでした。

 それから7年後の1590年には石川数正が松本城に入城し、天守、城郭、城下町の整備を息子の代にまで及んで行いました。

 松本を治めるのが小笠原氏から石川氏に移行した背景には、大名の領土移動がありました。

 戦で負けて領土を奪われたというのではなく、将軍命令で引っ越しさせられたというわけです。

 松本城と改名後、天守や城下町も全て整備したと言われる石井数正の貢献が大きいようです。

 歴史をたどると面白い、お城の見方も変わる。

 

 

 

 

 ↑ 本丸御殿跡付近から撮影。

 

 

 ↑ カメラを構えて写真を写していたら。

 偶然。☺

 

 

 ↑ 足軽姿の方がポーズをしてくれました。

 いい旅の思い出。

 お礼を言って、笑顔 ☺ で挨拶をかわしました。

 

  

 ↑ いつ見ても美しい。

 

 

  ↑ 石川数正親子が築城:大天守・渡櫓・乾小天守。

 

 

 ↑ 松平直政:月見櫓・辰巳附櫓を増築

 徳川家光は寛永11年(1634)に上洛し、その帰り道に善光寺参詣を願い、宿城として松本城を宛てることになりました。

 時の松本城主・松平直政は、急遽寛永10年(1633)から普請にかかったと伝えられています。

 しかし、家光は中山道木曽路等に落石があり、来松しなかったといわれています。

 

 

 ↑ 黒塗りの漆、渡櫓の。

 入り口にいる係りの人から、下足用のビニール袋を渡され、靴を入れて場内へ。

 松本城の関心させられるところ、安全に気を付けて写真撮影はOKのことです。

 以前係りの方に聞いた時は、松本城の良さを広げてほしいからそんな答えが返ってきました。

 その時は特別展も解されていましたが、さすがに特別展は撮影NGでした。

 

 

 ↑ 松本城の基礎土台。

 

 

 ↑ お城の基礎部分の構造が気になる。

 重い天守閣を支えている構造に関心させられました。

 約400年前にこんな基礎を。

 

 

 ↑ 松本城はこんな構成のお城。

 

 

 ↑ いきなり段差のある急な階段上り。

 短い足を上げて、手摺に掴り階段を上る。

 若い時は気にならなかったが、歳を重ねたせいか段差がきつい。

 

 

 ↑ ちょんながけの跡が。

 

  

 ↑ 左の急な階段をまた手摺に掴り短い足を精一杯上げて昇り一階へ。

 以前は右の乾小天守も拝観可能でしたが、今回は拝観できない様でした。

 

 

 ↑ 天守閣一階。

 

 

 ↑ 天守閣1階の内部。

 

 

 ↑ 武者走。

 一段低くなっています。

 

 

 ↑ 武者走案内板。

 

 

 ↑ 矢狭間。

 

 

 

 

 ↑ 部屋の回りには武者走りがあり。

 鉄砲残間と石落とし。

 

 

 ↑ 天守大棟の鯱。

 

 

 ↑ 天守大棟の鯱案内板。

 

 

   ↑ 扇状地で地盤が弱いようなので、杭を打って土台を補強したようです。

 先人の技術力すごいですね。

 

 

 ↑ 天守閣一階から二階へ。

 階段はどの階段も急でした。

 

 

 ↑ 天守閣二階。

 

 

 ↑ 天守閣二階。

 

 

 ↑ 天守閣二階から外を眺める。

 

 

 ↑ 二階は、展示物のコーナーがありました。

 ここ松本城で関心させられるのは、お城の中を写真に収めてい良いとゆう事です。

 展示物の写真撮影はNGという処が多い中、ここは特別展以外は良いそうです。

 

 

 ↑ 鉄砲蔵として使用していたようです。

 

 

 ↑ 鉄砲の展示物。

 

 

 ↑ 鉄砲の展示物。

 

 

 ↑ 鉄砲の説明板。

 

 

 ↑ 鉄砲の説明板。

 

 

 ↑ 梁が重工。

 

 

 ↑ 点火方法の説明板。

 

 

 

 

 ↑ 二階はこんな感じでした。

 

 

 ↑ 沢山の展示物が、二階はこんな感じでした。

 

 

 ↑ 二階から窓越しに外を眺める。

 

 

 ↑ 天守閣二階を観て三階へ。

 松本城には何回も訪れましたが、歳と共に急な階段の登り折が困難になってきました。

 お城に入るのは今回が最後に去るかも知れません。

 

 続きます。



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