(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−202(温湯城攻防戦伝承)
62.戦国の石見(続き−3) 62.3.温湯城攻防の伝承 赤城と温湯城の争奪戦に際し、先ず小笠原方は村之郷方面より撤退し、井原方面の合戦に敗れて戦力弱体化に進む...
望洋−60(沖縄収容所)
35.沖縄収容所 1945年4月1日に沖縄本島中部へ上陸した米軍は南北に分かれて進攻し、占領地域を拡大していった。 米軍は日本軍兵士と民間人を収容するために収容所を設置する。 ...
望洋−59(南西諸島の日本軍降伏調印)
34.降伏調印 34.1.日本の降伏文書調印 昭和16年(1941年)12月8日早朝、日本軍が当時イギリス領だったマレー半島(現在のマレーシア)へ上陸し、その直後ハワイ・真珠湾...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−201(温湯城攻防戦−2)
62.戦国の石見−5(続き) 62.2.温湯城攻防戦(続き) 62.2.4.温湯城攻め(2) 5月上旬、毛利元就は、毛利隆元、小早川隆景以下七千の大兵団をもって、...
望洋−58(戦時中の先島集団における軍内の事件)
33.戦時中の先島集団軍内の事件 33.1.軍隊の不祥事 第二次大戦を通じ、国軍内で幾多の不祥事件が発生したが、軍の威信を保つため、その多くが闇から闇へと葬られ、殆んど外部へは...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−200(温湯城攻防戦)
62.戦国の石見−5(続き) 62.2.温湯城攻防戦 温湯(ぬくゆ)城(邑智郡川本町)は矢谷川と支流の会下川が合流する三角地帯の標高219mの山頂に石見小笠原氏によっ...
望洋−57(終戦)
(第7章 終戦) 32.終戦 昭和20年(1945年)7月2日、米軍は沖縄作戦終了を宣告した。 この後米軍の矛先は本土に向けられ始めた。 7月に入ると食糧事情は更に悪化し、...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−199(毛利の石見進出)
62.戦国の石見−5 弘治元年(1555年)、陶晴賢が毛利元就との厳島の戦いで敗死すると、大内家は急速に衰退していった。 弘治3年(1557年)3月、毛利元就は山口へ...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−198(厳島の戦い)
61.戦国の石見−4(続き−8) 61.4. 尼子・毛利の対決(続き−4) 61.4.9.厳島の戦い概要 ...
望洋−56(戦時下の宮古島(続き−3))
31.戦下の宮古島(続き−3) 31.5.下地馨氏の日記抄(2) ここで、前述した下地かおる氏の日記のうち、昭和20年6月から7月の2ヶ月間の、主として戦争と...