42.GHQ(連合国軍総司令部)の日本統治
終戦とともに、日本は連合国軍の占領下に置かれ、非軍事化・民主化への改革が始まったが、占領統治方針の策定作業はそれ以前から本格化していた。
間接統治、皇室存続など占領政策の前提や、武装解除、思想信条を取り締まる法律の廃止や変更、政治犯の釈放など諸改革の方針となる、「初期対日方針」は、日本本土進攻を目前に控えた 昭和20年(1945年)4月、米国務省がその作成に着手した。
国務省が作成した原案は、国務・陸・海軍三省調整委員会(SWNCC)の極東小委員会を経て、6月11日にSWNCCに提出された。
7月末に発表されたポツダム宣言を受け、直接軍政の規定が修正され、さらに、陸軍省・統合参謀本部による修正を取り入れた上で、8月31日のSWNCC会議で承認された。
9月6日に大統領の承認を得た後、22日「降伏後における米国の初期対日方針」(SWNCC150/4/A)として国務省が発表、日本では24日付けで各紙に報道された。
そして、GHQは日本政府に日本改革を迫った。
42.1.人権指令
昭和20年10月4日、GHQは、日本政府に「政治的・民事的・宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」(SCAPIN93)、いわゆる「人権指令」を発令した。
この指令で、天皇制討議の自由化、治安維持法・思想犯保護観察法など15の法令の廃止、政治犯の釈放等が命じられた。
42.1.1.東久邇宮稔彦内閣
終戦直後の8月15日鈴木貫太郎内閣は総辞職し、8月17日東久邇宮稔彦内閣が誕生する。
【主な閣僚】
内閣総理大臣:東久邇宮稔彦王陸軍大臣兼務:満州に赴任していた下村が帰国するまでの5日間兼任)
外務大臣:重光葵(9月17日更迭 注①)→吉田茂
陸軍大臣:下村定(陸軍大将)
海軍大臣:米内光政(元総理大臣、陸軍大将)
国務大臣:近衛文麿(元総理大臣)
国務大臣:緒方竹虎
注①:戦争犯罪人の処理に対する連合国軍総司令部、閣内の対立により更迭
重光葵
「ウィキペディア」によると
戦後日本を占領したGHQは、占領下においても日本の主権を認めるとしたポツダム宣言を反故にし、行政・司法・立法の三権を奪い軍政を敷く方針を示した。
公用語も英語にするとした。
重光葵は、マッカーサーを相手に「占領軍による軍政は日本の主権を認めたポツダム宣言を逸脱する」「ドイツと日本は違う。ドイツは政府が壊滅したが日本には政府が存在する」と猛烈に抗議し、布告の即時取り下げを要求。その結果、占領政策は日本政府を通した間接統治となった。
とあるが、未だこの出典は明らかにされていない。
東久邇宮は、新日本の建設に向けて活発な言論と公正な世論に期待するとし、政治犯の釈放や言論・集会・結社の自由容認の方針を組閣直後に明らかにし、選挙法の改正と総選挙の実施の展望も示した。
しかしながら、政治犯釈放は戦後混乱期に喘ぐ中にあって共産主義革命の勃興を憂慮した内務省と司法省の反対により実現しなかった。
昭和天皇・マッカーサー会談
昭和20年(1945年)9月27日、昭和天皇とマッカーサーが会見した。
この会見後、写真撮影が行われた。
この写真は略装でリラックスしているマッカーサーと、礼服に身を包み緊張して直立不動の昭和天皇が写されていた。
内務省は、礼服を着用し直立する「現人神」の昭和天皇が、略装の軍服を着用し腰に両手を当ててやや体を傾ける姿勢のダグラス・マッカーサーと並び立っている会見写真の公表を阻止しようとし、山崎巌内務大臣の権限で記事掲載制限及び差止め措置(発禁処分)を実施し、東久邇宮も同意した。
しかし、GHQは日本政府に対して会見写真の公表を迫り、これに従わない場合は山崎を逮捕して軍事裁判にかけ、内閣には総辞職を命じるとの通告を行った。
これを受けて、山崎内相は発禁処分を撤回した。
写真は9月27日に新聞記事に掲載され、当時の国民にショックを与えた。
これを見た歌人の斎藤茂吉は日記に、「ウヌ!マッカーサーノ野郎」と記したと云う。
GHQは10月4日に「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」(人権指令)を指令し、治安維持法などの国体及び日本政府に対する自由な討議を阻害する法律の撤廃、特別高等警察の廃止、内務大臣以下、警保局長、警視総監、道府県警察部長、特高課長などの一斉罷免を求めた。
42.1.2.人権指令
GHQは10月4日に「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」いわゆる「人権指令」を発令した。
この「人権指令」とも呼ばれるものは、思想・信仰・集会及び言論の自由を制限するあらゆる法令の廃止や政治犯の即時釈放、特別高等警察の廃止などを命ずるもので、GHQの最初の民主化指令であった。
覚書:大日本帝国政府宛
経由:東京中央連絡事務所
件名:政治的、市民的、宗教的自由に対する制限の除去
1、政治的、公民的、宗教的自由に対する制限並に種族、国籍、信教乃至政見を理由とする差別を除去する為日本帝国政府は
A、下記の一切の法律、勅令、命令、条例、規則の一切の条項を廃止し且直に其の適用を停止すべし
(1)思想、宗致、集会及言論の自由に対する制限を設定し又は之を維持せんとするもの天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議を含む
(2)情報の蒐集及公布に関する制限を設定し又は之を維持せんとするもの
(3)其の字句又は其の適用に依り種族、国籍、信教乃至政見を理由として何人かの有利又は不利に不平等なる取扱ひを為すもの
B、前項Aに規定する諸法令は下記を含むも上記に限定せられず
(1)治安維持法(昭和十六年三月十日又は同日頃公布せられたる昭和十六年法律第五四号)
(2)思想犯保護観察法(昭和十一年五月二十九日又は同日頃公布せられたる昭和十一年法律第二九号)
(3)思想犯保護観察法施行令(昭和十一年十一月十四日又は同日頃公布せられたる昭和十一年勅令第四〇一号)
(4)保護観察所官制(昭和十二年十一月十四日又は同日頃公布せられたる昭和十二年勅令第四〇三号)
(5)予防拘禁手続令(昭和十六年五月十四日又は同日頃公布せられたる司法省令第四九号)
(6)予防拘禁処遇令(昭和十六年五月十四日又は同日頃公布せられたる司法省令第五〇号)
(7)国防保安法(昭和十六年三月七日又は同日頃公布せられたる昭和十六年法律第四九号)
(8)国防保安法施行令(昭和十六年五月七日又は同日頃公布せられたる昭和十六年勅令第五四二号)
(9)治安維持法の下に於ける弁護士指定規程(昭和十六年五月九日又は同日頃公布せられたる昭和十六年司法省令第四七号弁護士指定規程)
(10)軍用資源秘密保護法(昭和十四年三月二十五日又は同日頃公布せられ昭和十四年法律第二五号)
(11)軍用資源秘密保護法施行令(昭和十四年六月二十四日又は同日頃公布せられたる昭和十四年勅令第四一三号)
(12)軍用資源秘密保護法施行規則(昭和十四年六月二十六日又は同日頃公布せられたる昭和十四年陸海軍省令第三号)
(13)軍機保護法(昭和十二年八月十七日又は同日頃公布せられ昭和十六年法律第五十八号に依り改正せられたる昭和十二年法律第七二号)
(14)軍機保護法施行規則(昭和十四年十二月十二日又は同日頃公布せられ昭和十六年陸軍省令第六号、第二〇号及第五八号に依り改正せられたる昭和十四年陸軍省令第五九号)
(15)宗教団体法(昭和十四年四月八日又は同日頃公布せられたる昭和十四年法律第七七号)
(16)前記法律を改正、補足若くは執行するための一切の法律、勅令、命令、条例及規則
C、目下拘禁、禁錮せられ「保護又は観察」下にある一切の者を直ちに釈放すへし拘禁、禁錮、保護観察下の状態に非るも自由の制限せられ居る者に付きてもも亦同し即自由の制限とは
(1)前記事第一A及B掲げたる法令に拠り
(2)告発なく
(3)実際には拘禁、禁錮、「保護又は観察」又は自由制限の理由か当該者の思想、言論、宗教、政治的信念又は集会にありたる場合に当該者を技術的に微罪を以て告発せる場合を云ふ一切の前記該当者の釈放は昭和二十年十月十日迄に完全に実施せらるるものとす
D、前記第一項A及Bに掲けたる法令条項実施のため設置せられたる一切の機構の本所支所及前記条項の執行を補助支援する他の官庁及機関の局課の部署又は機能を廃止すへし
上記は以下に述ふるものを包含するも上記に限定せられす
(1)一切の秘密警察機関
(2)出版監督、一般集会及機構の監督、映画検閲を管掌する警保局の如き内務省の諸部局及思想、言論又は集会統制に関係ある其他の諸部局
(3)出版監督、一般集会及結社の監督。映画検閲を管掌する警視庁、大阪警察局、其他の都市警察官署、北海道庁警察部及諸種県警察部内の特別高等警察部の如き諸部局及思想、言論、宗教又は集会統制に関係ある其他の部局
(4)保護及観察並に思想、言論、宗教又は集会統制を管掌する司法省下の保護観察委員会及右を責任とする一切の保護観察所の如き諸部局
E、内務省の官職より下記の者を罷免すべし
内務大臣、警保局長、警視総監、大阪府警察局長、其の他の都市警察部長、北海道庁警察部長、各県警察部長、一切の都道府県警察部特高警察全職員、保護観察委員会及保護観察所の教導司、保護司及其の他の全職員、右の中の何人と雖も内務省、司法省又は日本に於ける如何なる警察機関の下に於ける如何なる地位に再任命せらるることなかるべし本指令の諸条項を完全に実施する為右の中の何人かの援助を要するときは本指令の完全実施迄其の職に留任せしめ然る後之を罷免すべし
F、前記第一項A及Bに記載の諸法令及前記第一項Dに拠り廃止せられたる機関及職務に関係ある警察官吏、官公吏に依る爾後一切の活動を禁止すべし
G、日本の法律、勅令、命令、条例及規則等何等か一切の法令に基き拘禁、禁錮せられ又は保護及観察下にある一切の者に対する体刑及虐待を禁止すべし
H、前記第一項Dに拠り廃止せられたる機関の全記録及其の他一切の資料の安全と維持とを保証すべし
I、本指令の一切の条項に従ひ採られたる一切の措置を詳細に記載せる包括的報告を一九四五年十月十五日迄に本司令部に提出すべし前記報告は個別的補助報告の形式に於て準備せられたる下記の特殊の情報を含むべきものとす
(1)前記第一項Cに従ひ釈放せられたる者に関する情報(抑留又は釈放せられたる刑務所又は施設毎に又は保護及観察を司る役所毎に類別すべきものとす)
(a)拘禁又は禁錮より釈放せられ又は保護及観察より釈放せられたる者の氏名、年齢、国籍、種族及職業
(b)拘束又は収監より釈放せられたる各人に対する告発の明細又は各人が保護及観察下に置かれたる理由
(c)拘禁、禁錮又は保護及観察より釈放せられたる各人の釈放期日及推定住所
(2)本指令の諸条項に基き廃止せられたる諸機関に関する報告
(a)機構の名称
(b)第一項Eに従ひ罷免せられたる者の姓名、住所及官職名
(c)一切の書類綴、記録、報告及其の他一切の資料の種別に依る記述及所在地
(3)刑務所組織及刑務所職員に関する情報
(a)刑務所組織の組織図表
(b)一切の拘置所又は拘禁所及刑務所の名称及所在地
(c)一切の刑務所職員(典獄及典獄補、看守長及看守長補、看守及保健技師)の姓名、官名及職名
(4)日本政府に依り公布せられたる一切の法令(本指定の諸規定を実施すべき典獄及地方庁官吏に依り交付せられたるものを含む)の写
2、本指令の条章に関係ある一切の日本政府官吏及属僚は個人的責任に本指令の精紳及文字に従ひ又之を恪守することに付個人的に責任を負ひ且厳重なる責任を負はさるべし
総司令に代り 高級副官部
高級副官補陸軍大佐「H、W、アレン」
しかし東久邇宮内閣は、この指令に対応しきれないとして総辞職する。
42.1.3.東久邇宮内閣の総辞職
東久邇宮と緒方竹虎は「人権指令」の対応を協議し、GHQの指令の不合理に対する抗議の意思を明らかにするために辞職するとの結論に至り、人権指令が発令された翌5日に内閣総辞職した。
東久邇宮内閣成立以来、政府は連合国軍の進駐や降伏文書への調印など、短期間のうちに重要な課題を処理し続けていた。
そこへ人権指令という難しい課題が出され、政府は対応しきれなくなり、東久邇宮稔彦王は苦慮の末、内閣総辞職を決意した。
内閣成立からわずか54日後のことだった。
この在任期間54日というのは、現在のところ歴代内閣の最短期間である。
憲法問題
また、マッカーサーは「自由の指令」を日本政府に出す一方で、近衛文麿元首相と会談し、憲法の改正について示唆を与えた。
近衛はこれを受けて、佐々木惣一元京大教授とともに内大臣府御用掛として憲法改正の調査に乗りだしていた。
<続く>