弟と、センチュリーロイヤルホテルのロビーで
2時間の会話をする機会に感謝!
電話がかかってきて、、、急遽タクシーで遭いに行った。
待ち合わせたロビーには御老人の方がたが、
物静かに座られていた。
ロビーの、、真ん中、、、あたりの、、老夫の御隣のソファーがあいていた。
午前中というので、、、ロビーが、
帰りの支度をされているのだと思われる年配の人で,、、椅子は一つだけあいていた。
前には銀髪の紳士がお座りになって、、、携帯電話を持っていた。
私は、、弟に、、「ロビーに着いたと、、」
、携帯で知らせたばかりであった。
前に座っている紳士が、、、携帯で話しているという事は、、、
もしかして、、、??
向こうの紳士も、、、電話を持って落ち着かない様子である。
私は、、来る前に、「センチュリーロイヤル」は札幌の一級のホテルですよ、、、」と
弟に聞かれて答えていたので、、、たぶん宿泊して、、、部屋にいるのだと思っていた。
「お姉ちゃんはロビーーに着いたよ!」という電話をしていると
あたりを見回して、、、真向いの私と目が合った!。
「お互いに、、、一分前までは、、、見知らぬ御老人と思って、、、真向いの座っていた。」
「ェ~~~。もしかして、、、?」ソファーから立ち上がって、、
私はまん前の紳士の顔をまじまじと見た!!
「え~~~?もしかして、、、チャーちゃん??}
「え~~~?、、もしかして、、、お姉ちゃん!!」
何年ぶりで、、、会えたのだろうか?~~???」
弟の初孫を、、、見に東京方面に出かけて、、、ミッドタウンに立ち寄って
鯛の頭の、、、ほっぺの肉が美味しいよと、、、注文してくれて、、、
一緒に食べて以来であった。
生まれたばかりの孫は、、もう、、二年生だという。
懐かしくて仕方がない、、、、
お互いの年をとったね、、、、昔話に夢中で、、、2時間が,、、、ア!!という間に飛んだ!!。
懐かしさも、、、話しているうちに、、、子供時代の兄弟姉妹に戻って行き、、、
南紀の話で盛り上がった。
お互いに歳をとっても、、、こうして逢わしてくれたのは、、、
お互いに、、、亡くなった父の事を忘れないから会えたと思いました。
日ごろの雪掻きでたまっていた、、、ストレスが抜けて、、、
この2時間は、、精神薬もかなわないほど
私を若返らせてくれました。、、、
「子供時代の想い出話」で、、、
盛り上がりました。
終戦後の、、、日本貧困時代の疎開地では
子供達の間では
貧困などという文字は無かった事を
子供時代に戻って、、話しましたね。。。。
天地の恵みと感謝できる、、、2時間でした。
大自然の恵みが残っている中での
疎開生活はエデンの園だった。
河原に行けば、、ハゼを追廻し、、、夢中になっていると
河原の草を食べに来ていた、、、子牛に追いかけられたっけ。。。。;!!!
子供の世界は、、、ユーㇳピアだった。
自然に包まれて、、、育つという事の
豊かさは、、、
何にもまして、、、国の宝だと思えた。
疎開という、、、、山の中の大自然の恵みが
いかに大きな影響を、、
人と人の親愛をうみ出していたかという事を思うとき
これからの80代、、、第二の人生は。。。
空がきれいで、、、空気は綺麗で...四季折々の風が優しくて
一汁三菜の食事が有れば、、、
幸せな年代に入ったという事でしょ相可ね>
昔懐かしい、、昭和20年代の戦後の南紀の疎開の生活は
恵み多き毎日で、、、兄弟愛も、、、天地から、、、戴けた時代でしたね
2時間の会話をする機会に感謝!
電話がかかってきて、、、急遽タクシーで遭いに行った。
待ち合わせたロビーには御老人の方がたが、
物静かに座られていた。
ロビーの、、真ん中、、、あたりの、、老夫の御隣のソファーがあいていた。
午前中というので、、、ロビーが、
帰りの支度をされているのだと思われる年配の人で,、、椅子は一つだけあいていた。
前には銀髪の紳士がお座りになって、、、携帯電話を持っていた。
私は、、弟に、、「ロビーに着いたと、、」
、携帯で知らせたばかりであった。
前に座っている紳士が、、、携帯で話しているという事は、、、
もしかして、、、??
向こうの紳士も、、、電話を持って落ち着かない様子である。
私は、、来る前に、「センチュリーロイヤル」は札幌の一級のホテルですよ、、、」と
弟に聞かれて答えていたので、、、たぶん宿泊して、、、部屋にいるのだと思っていた。
「お姉ちゃんはロビーーに着いたよ!」という電話をしていると
あたりを見回して、、、真向いの私と目が合った!。
「お互いに、、、一分前までは、、、見知らぬ御老人と思って、、、真向いの座っていた。」
「ェ~~~。もしかして、、、?」ソファーから立ち上がって、、
私はまん前の紳士の顔をまじまじと見た!!
「え~~~?もしかして、、、チャーちゃん??}
「え~~~?、、もしかして、、、お姉ちゃん!!」
何年ぶりで、、、会えたのだろうか?~~???」
弟の初孫を、、、見に東京方面に出かけて、、、ミッドタウンに立ち寄って
鯛の頭の、、、ほっぺの肉が美味しいよと、、、注文してくれて、、、
一緒に食べて以来であった。
生まれたばかりの孫は、、もう、、二年生だという。
懐かしくて仕方がない、、、、
お互いの年をとったね、、、、昔話に夢中で、、、2時間が,、、、ア!!という間に飛んだ!!。
懐かしさも、、、話しているうちに、、、子供時代の兄弟姉妹に戻って行き、、、
南紀の話で盛り上がった。
お互いに歳をとっても、、、こうして逢わしてくれたのは、、、
お互いに、、、亡くなった父の事を忘れないから会えたと思いました。
日ごろの雪掻きでたまっていた、、、ストレスが抜けて、、、
この2時間は、、精神薬もかなわないほど
私を若返らせてくれました。、、、
「子供時代の想い出話」で、、、
盛り上がりました。
終戦後の、、、日本貧困時代の疎開地では
子供達の間では
貧困などという文字は無かった事を
子供時代に戻って、、話しましたね。。。。
天地の恵みと感謝できる、、、2時間でした。
大自然の恵みが残っている中での
疎開生活はエデンの園だった。
河原に行けば、、ハゼを追廻し、、、夢中になっていると
河原の草を食べに来ていた、、、子牛に追いかけられたっけ。。。。;!!!
子供の世界は、、、ユーㇳピアだった。
自然に包まれて、、、育つという事の
豊かさは、、、
何にもまして、、、国の宝だと思えた。
疎開という、、、、山の中の大自然の恵みが
いかに大きな影響を、、
人と人の親愛をうみ出していたかという事を思うとき
これからの80代、、、第二の人生は。。。
空がきれいで、、、空気は綺麗で...四季折々の風が優しくて
一汁三菜の食事が有れば、、、
幸せな年代に入ったという事でしょ相可ね>
昔懐かしい、、昭和20年代の戦後の南紀の疎開の生活は
恵み多き毎日で、、、兄弟愛も、、、天地から、、、戴けた時代でしたね
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