釣りバカ、、、のTV映画を知らない昭和生まれはいるのかしら?
あの、、、すっとぼけの社長さんと、、、友人以上の釣り友達の
お笑いなんだけど、、、万人の願う人間関係でもあった
釣りバカ玩具身を見ているときは、、、
一日の疲れが吹っ飛んで、、、休まった。
あの俳優さんが、、、パンチの効いた、、それでいて、、エレガントで
猛烈に個性が強くて、、、男勝りなのに
女性の強さを感じても、、、負けるな!がんばれ!!
応援しながら、、、
白い巨塔もひっくり返してしまうような
医師をめちゃめちゃに、、、おもちゃにしていながら
最先端の医療現場のセリフでうずめて
半分は破顔一笑、、、半分は、、
ここまで、、医師たちをおもちゃにスンナ!!
笑いと怒りと、、そこに流れる、、、極端な、、声!
「王様は裸だ!」、、、叫んでいるような
面白くて、、腹も立って、、、啓蒙もされながら、、、ばかにスンナ!!
もう~~~怒った!!!、、、
お茶の間に、、、医師の世界を、、ハチャメチャに紹介スンナ!!
《御意!!!》
ともかく、、、複雑な気持ちで、、、
大学で「御意!」と
教授陣につかえていた、、、ダンナさんは、
ダイモン女医の外科医のハチャメチャな、、、最先端手術の
「失敗しないので!!」
この時間はチャンネルを独り占めで、、、毎回見ながら、、、
「医師の世界を、、ここまで愚弄して玩具にしている番組だと、、、腹がたたないよね。」
《御意!!,、、、か、》、、、○▽◆□。。。
「 医師免許以外のことは
いたしません、、、!、、、」
女医ね~~~~
ハンガーストライキではないしね、、、
「私、、失敗しないので、、、、」、、、、か!、、
手術をしたくて、、、かんじゃさんを助けたくてしょうがない、、、ンダよね、、、
(~0*)(・・)(^0^)(¥0¥)(^-^)
女医の「目力、、、スゴイネ!」
見終わった後は、、絶妙に複雑な笑い顔で、、、しばらくたってから、、、
苦笑いしながら、、、
ここまで,、医師集団の世界をおもちゃにしながら、観させるね~~~~!
腹立つ前に、、おかしい、、面白い、、ばかばかしいのだが、、、
シナリオには、、底力のある外科医とか、、医学の専門家の協力が
感じられて、、、見ちゃうんだよね、、、」
観終わった後、、複雑な表情で、、、笑っている、、
外科医のダンナさんの、、、居場所は、、、どこ?
「今度映画になったので、、、見に行こうか?、、、」と、言った。
私の誕生祝いにも、、
一度も外食に誘ってくれないし
クリスマスも、、、
一度も家にいたためしがない,、
旅行にも、、
親戚のイベントにも、、、
誘われたことはない。
ご兄弟の冠婚葬祭も、、、お一人参加のダンナ様であった。
ともかく、、、医療に関する以外は、、できるだけ節約、、節約、、、却下!
夫婦そろっての、、お出掛は、、、思い出せない。
私自身外科医の娘で、内科医の妹で、、、医師の姉であり
医師の母親であり、、、医師に囲まれた、、、谷間の便利屋であった。
イベントでお寿司をとっても、、「お茶入れろ!」
皿もってこい、、とか、、仕事が一段落すると
海苔巻きだけが残っていた、、、わが家!
ショウキサマモ、、、語勝ち人形一式、、、大きな鯉のぼりが空に泳いでも、、
お雛様は、、我が家にはなかった。
男の子の誕生日には、、レコードや、ステレオを買ってもらえるのに
女の子の誕生日はなかった。
学校の成績だけは、、私がトップだったけれど、、、
100点見せても、、「しまっておきなさい!」と怒られた。
「我が家に、、どうしてこんな主観の強い女の子が生まれちゃったんだろうね!」
母は、、点が線になり、、、線が面になる、、、そして,、
「面が動いて、、立体になる、、、」こんなことをいう小学生の私が嫌いだったようです。
「かわいくない子だね~~~!」
「何で、、こんな、、女の子が生まれちゃったんだろうね、、、!」
「もっと、、しとやかにデキナイの!、、!」
「お兄ちゃんと、、お前がひっくり返っていたら、、、本当によかったのに、、、」
「文科系で、、絶対音の持ち主で、音符を見なくても
アコーデオンも、ピアノも、、即興で奏でる、、一つ上の兄を
母は、、溺愛していた。
やきもちの心も、、、一切、、わいてこないほど、、
庭のヤマモモの木に登ったり、、
キンモクセイノ枝に絡まる蛇の尾っぽをつかんで、、
「 見てみて!!!、、蛇の尾っぽをつかむと、、蛇は手を噛むことができないよ、、、」
縁側にいた母に、、見せると、、、母は逃げてしまった。
小学校4年の時、、、理科の先生に頼まれて
カエルの解剖の実践を、父に教えられたとおりに
クラスの皆に実習の行動者として実践したとき
先生は「優」をくれましたが
先生が、、母に、、そのことを言って、、
「先生のおかげで、、生徒が、、私もできないことを授業でやってくれました、」
それを聞いた母は、、、私のことを、、、ますます嫌いになったようでした。
「どうして、、、こんな子に、、、育っちゃったのだろうね、、、」
ピアノは、、右手のやけどで、、教えることもできないし、、、
母は、、主観で動く私が、、嫌いだったようでした。
でも、、父が、、とっても、、大切に、、いろいろな知識を
実践して教えてくれるので、、、
父の診療時間が終わるのが、、楽しみでした。
女医になろう、、、このとき、、私は、、そう思っていました。
運命は私を二人の男の子の母にしてくれて
下の子が、、医師になるという、、、神様は
家庭の主婦として、、、掃除、洗濯、、雪かき、、買い物、、を
私に似合うと、、判断したのでしょう!!
ダイモン女医は、、、、、簡単には、、、成ることが出来ない存在だということだけは
身に滲みて、、、体験前に、、、知らされましたね。
女医になるという決心で学問も励んだが、、、
せっかく合格しても、、、父が、早逝してしまい
短期大学への進学を家族は希望し、、、
本命だった千葉大学の医学部は
受験の日の早朝、、、
家族の圧力で、受験番号125番!!
受験する前に、、、敗北、、、千葉まで早朝、、
「車で送る」と約束した兄が
出がけになって、、、
「車は出さない!!、、、」と、、、。
僕が通っている日大の医学部と、
すでに、、お前が合格している薬学部で
診療所を続けてゆけるだろう、、、、、」と。
兄は、私が、自分と同じ大学の薬学部にすでに合格していたので
女医にまでなることはないと、、、
朝になって、、、車を出さないと言った。
「こうでもしなければ、、、下宿代、、7年間の授業料、、父の亡き後
おまけに、、母のステータス維持、、、僕には無理だ!」
昨日は受験のために千葉大至近距離に、宿泊所をとってあったのを
「早朝車を出すから、、、:」と、、、解約させた兄なのに、、、
朝になって、、、出発直前に車を出さないという、、、。
ショックだった。
試験場に入る前の戦いに、、、私は敵に敗れた武将のように
切腹したくなった。
そうか、、、考えもしなかった、
父の命がいくばくも無い、、今となっては
いずれは他家にやってしまう妹にまで
医師になるための7年援助は、、、兄には負担だったのだった。
すでに、、、薬科大をいくつか合格していたが
日大のある駿河台は
医学部も、
薬学部(当時は理工学部薬学科)も
わが輩は40分以内で、、通学できた。
兄にとっては、、昭和の30年代においては
女性の4年制大学進学だって、、、お金持ちの家に限られていると
認識していたのだろう、、、
兄の彼女は、「白百合短大生、、、跡見短大生、、、山脇短大生、、、」
日大のダンスパーティに招待していた。
「短大の女性は、、女らしくて、、素晴らしいいと、、兄は言っていた。」
妹が、、お茶大付属か教育大付属を受験するようにと
先生が願書を下さった!!!、、、喜んで見せたら、、、
目の前で破かれてしまった。
お隣に、、、バス代130円で行ける、、都立高校があるだろう!!
「お前は、、毎日、、東京横断の電車賃使って、、高校に行くつもりなのか?」
18歳までしか、、女の子は家から援助を受けるっ権利はない!!
そういって、、、まだ、、父は元気で開業しているのに
願書を破いてしまったことがありました。
「本当に、、、女らしくないんだから!、、、吐き捨てるように言って、
悪いことをしているという、、自覚すらなくて、、
、バカ!、、といった。」
「虫けらめ!、、」、
何を壮大な人生を考えているんだ!、、」とも、、、
「女医になるなんて、、、お金持ちの父親の保護がなければ
進学することはできても、、、
「医師をするのは難しい」と、、、力説した。
医師の国家免許は、、お前さんでも取るだろう!!しかし、、、
「医師になる」のと、、、「医師をする」のを
方程式を解くように、、、簡単に答えを同じところに書くという
女のくせに、、、なんという、、浅はかさ、、、虫けらめ!!
女らしくしろ、、、、!」
8歳年上の長男は,、、私にしてみれば、、、親より始末に負えない
「牢名主」だったような気がする。
「ま、、いいか、、、女のくせに、、、涙がない、、、」と
兄は憎々しそうに言う!!
「浅はかな、、、女の頭で、、、お前は、家を乗っ取る気か!?」
「考えすぎ、、、考えすぎも、、、地球七回り半の 光の速さもびっくりの
考えすぎ、、、何に言っているのか解らない!!」
「そんなことがわからんで、、、
男社会の医学部を泳いで渡れると
考えているほど、、、頭でっかちの女に
男性医師と同じ権利を主張することは
無j理だ!、、、短大に行って
男の胃袋をしっかりつかめ、、、バカ!!
虫けらめ!、、男社会をなめんな!」
兄貴は、、逆らえないほど、、、男尊女卑でしたね、、、。
短大生と結婚して、、、お尻に敷かれて、、、ご機嫌ばかり取っている
わけのわからんン、、、、内科医でしたね。
「僕は,、注射、、をするのさえ、、、ストレスで、、怖いんだが、、
一万分の一の不幸は無いと、、言い聞かせて、、、
看護婦もするのを断る注射をしているんだ!!
お前のような、、イケイケどんどんに、、、医師になられたら、、
診療所はつぶすしかない!!、、、」
医師になりたての5年間ぐらいは、、、
周りのほうが、、、神経を逆なでされましたね。
昭和30年代の開業医の舞台裏から、、、
マスコミから見ている医師の家と、、
実際の開業医の 医師の娘が蝶よ花よだと、、、
「妬まれる外ズラ」とのギャップの大きさに、、、
びっくりするでしょう?!
現実は、、医師の娘なんて、、、大きな岩の隙間に咲いた「スミレ」よりも、、、
「ドイツ語文字の、、、ウムラウト扱いが、、、昭和30年代だったのですよね。」
戦争で従軍していて終戦近くになって、国に帰還できた、、、ラッキーな
戦場の外科を経験した
軍隊帰りの、、帰還兵の、、、疎開、、開業という、、激動期の医師の一家庭です。
国内で、、親の代から、、
名門と言われている病院の
大名屋敷のような名門の医家の話ではありませんが、、、。
医師の家庭の家族が、、、面白く「
「ダイモン女医」は、、いかに、、
大金持ちのサポーターがいたかということでしょうね、、、
国ごとサポーターになるような、、
公人としての魂の生き方をしたと考えられる
すごい女医ですよね、、、
医師の道、、、まっしぐら!!!
当時の男尊女卑を振り返るなら、、、
このような、、、医者の実践をまっしぐらにゆく女性はいないという想定で
日本の男尊女卑は、、、社会から発生したのかもしれませんね。
確かに、、、成績だけなら、、、
兄にも負けたことはなかったが
「 机上の試験が強いのは、、女性の特徴でもある」。。。が!
「実践を伴う」と、、、
男性との違いは大きい!!!、、
男性社会からくる、、、人脈の多様性がちがう。
「国家試験」までなら、、、
最優秀で通過してみせると、、、
力説したが
兄は言った。
「医師になるには、、、おまえでも,、なれるだろう、、、!」
「。。。。、、、」
「しかし、、「医師をする」のは難しい、、、」
莫大な費用が、、、40歳まではかかり続けるだろう、、、
医局生活は、、、
「親の社会性の力」だとかだとか、、、
「医業の継続家庭」という
「大いなる人脈の遺産」だとか、、、スポンサーがいないと
留学もできない、、、英文論文も出せない。
大学からは、、、食うところない卒業生は、、へき地に送って終わり。
日本は、留学しなくても、、世界をリードできているのは
「消化器のジャンルぐらいだ、、、!」
「 いいか!、、医師は、、人の命を預かるんだ、、、」
「「 国ぐるみ、、、医師の組織ぐるみで、、、」
「 生涯教育に従事できない医師」は、、情報不足になる。
「 医師免許」だけじゃ、「医師をすること」はできない!
命を預ける集団が、、、
「医学のプロフェショナル」の集団である相手に、、、
命を預けてくるんだからな、、!」
「患者さんが認める存在でなければ」、、、
その前に、、
患者さんを診ることを許される、診療をさせてもらえるような
医療組織の病院から,、必要とされるような
仲間として、、、認めてもらえるかどうかが、、、わからない。
「医療技術を身につけるまで」が
訴訟が絶えないということなんだよ。」
「女医になって、、、結婚して、、、子育てしながら
生半可な気持ちで、、、男性医師の中を引っ掻き回されたんじゃ
お金をかけて、、、中途半端な、、、免許持ちを育てるだけだ!」
「私,、女医よ!」、、と。
「権利ばかり主張されたんじゃ、、、皆、迷惑なんだよ、、、」
父は、私に「女医になりなさい、、、」と、、、いつも言っていた。
小さい頃より、、、
「右手に火傷をさせたのは、、
親の責任だから、、、
お前を女医にして、研究できる環境をあげたい、」
毎日、、右手のマッサージをしてくれながら、、、
外科医は、、昔、、昔、、、床屋さんだったんだよ、、、
床屋さんの赤と青の、、くるくる廻る、、看板は
動脈と静脈だよ。
床屋さんが瀉血もしていたんだよ、、、
パレ、、、というおじさんがね、、、
実践を繰り返して、、、学問の域にまで
床屋さんの、、担当だった 治療部門を
発展させて、、、「外科医」が生まれたんだよ。
学問の域に入った医学が誕生したのは
民間の実践の繰り返しの中から、、、外科手術専門の外科医が誕生したんだよ、、、。
パレは、、、技術を「学問の域にまで高めたんだよ!外科医の誕生がパレだよ!」
多くのことを話してくれながら、、、17年もの歳月をかけて
骨を成長させながら、毎日マッサジをしてくれながら
掌の再建をしてくれた父は
54歳で、、、天国に行きました。
私が、、、19歳の時でした。,、、外科医を、、尊敬しているのは
父と重ね合わせているからかもしれません。
今は、、ピアノも弾ける手になりましたが
外科医の旦那さんは、、
「お父さんが外科医でなかったら、、、君の手は団子のままだったろうね、、」
君は運がいい女性だよ、、、といいますね。
父が亡くなってから、イギリスのウエルカム医療博物館に行ってきました。
「馬の手術道具」のほうが、、発展が早かったようですね。
「馬医」というTVも、、面白く見ましたが、、、
人間、、、人間、、、と、、、権利の主張は激しい人類ですが
ヨーロッパの戦国の時代は
馬の医療のほうが、、はるかに発展が早かったようですね。
馬は、、友達どころではありませんね。、、、
王族の立場からは、、、一兵卒の命より、、、
馬を助ける方が、、、大切だったのかもしれないと、、、
思えるような、、、医歯薬のミュージアムでしたね。
ともかく、、、父の亡き後も、、、兄の後ろ盾で
薬科大学に行かしてもらえるのなら、、、
兄と同じ「日大」がベストだと判断して、
私は、、、短大以外なら、、、自分の性分の枠内だと思って
日大の理工学部に進学しました。
生涯教育は足元から、、自分の満足があれば、、日々に新しかった。
日本は、、男尊女卑の世界の先端を行っている、、、
男社会にできている以上、、、
仕事場に居場所を求めるのは、、総合力が必要だと判断できた。
女医になっていたとしても、、、私の力では、、、
居場所を作るのは難しかったと、、、今は、、、
、、、、思えるようになった。
男に生まれて、、、国立の一期校の医学部を卒業しても、、、
男の世界の生き残りは、、、すさまじいものを感じてきた。
博士号を取得したとき、、、後日になって
旦那さんの博士号論文んが、、、血管のバイパスであったことを知って
日本の、、心臓の病気の、、バイパスに、、役に立った研究だったのだと知ったとき
「御意!」と、、医局では、大名行列の末席でも
論文を通して、、、心臓血管の手術のバイパスに、、
役に立っていたんだと、、整理中に見つけた論文が
男の戦いは、、、生涯を通して、、サポートが
必要なんだと知ったとき、、
「御意!、、」から這い上がれない医師は、、、
強力な応援団がいないということかもしれませんね。
「ダンナの便利屋、、、だと、、、ぼやいていた私では、、、
実は、、ダンナのほうが、、、サポーターを確保しそこなった医師?」
そうだとすると,
この映画の女医,、、、ダイモン、、、を支えている、、、岸部シローの
メロンが、、、「失敗しない外科医」を育てる食料だったのかしらね、、、
女医になればスポンサーがつくとは限らない以上、、、
ジョイには慣れても、、、「ジョイをする、、、事!」
こんな難しいことを、、、
目力でやってのけた、、、、ダイモンジョイは、、、
私失敗しないので、、、の一言に
メロン百個に相当するエネルギーの
、、応援があったのでしょうね、、
医師をすることを、、80過ぎてもしていて、、、
患者さんが指名してくれる旦那さんが、、、
自分よりはるかに日々戦ってきてのだと、、、
医師になるより、、、「医師をすること」は
自分には、、、私には、、、とてもできなかったと、、、
必死に生きて、、、「御意、、、!」
医療社会が命を預かる社会だけに、、、医師が偉いのではなくて
医師は偉いという椅子に座れているから、、、
モンスターのかんじゃさんも
感謝して帰ってゆくのだと、、、
80歳過ぎてから、、、私は気が付きましたね、、、
この、、ハチャメチャな、、おかしすぎる、、魅力ある番組の女医に
教えられましたね、、、
実力だけでは、、戦えないのが、、社会だから、、
日本は、、女性の進出で便利になりたいのなら
女性がサポートを受けられるように
男性社会を「男女社会」にすれば、、、
ダイモン先生は、、もっと、柔軟に生きられるのかもしれませんね。
個人的な,、狭い自分の経験から、、、「狭い視野に立って」
医療の社会を考えてみましたが、、、
私には、、考える権利はなかったkもしれませんね。
話を元に戻しますと、忙しすぎる旦那さんも、、
暇を作ってくれたことがありました。
私のほうから、、誘うと、、
「歌舞伎座」には付き合ってくれた。
「京劇」にも付き合ってくれた、、、
「キタラ」にも、、、ついてきてくれた。
自分からは、、、絶対に、、、誘わないという、、、
寸暇を惜しんで、、TVに前で、、、眠りこけている、、、
御意!、、、と答えるほうの立場だった大学暮らし。
50歳近くまでの、、、医局生活で
民間の普通の家庭の常識は、、、通じない、、、。
患者様の時間第一の、、、家庭は、、休息時間の空間だった。
それが、、、今回、、、80歳を過ぎてから、、、
見始めた番組、、
どこか、、、???
手塚治虫さんの作品の
「ブラックジャック」という、、、
昭和の漫画界の不朽の名作漫画!!
この漫画をこよなく、、愛読していた二男は
とりあえず、、医学部に進学して、、、
今は、、三国志の愛読者になっている。
その番組はなんですか?
知る人ぞ知る、、、西田院長と、、、
超、、、美人女優の、、ダイモン女医の
医師免許を使う以外の仕事は、、、致しません、、、の一人の女医!
「私、、、失敗しないので!!!」
かたや、、、旦那様のような庄和40年代の医師たちのような
「 ヤマザキ 豊子」旋風の
「御意!」の物語、、、
余談ですが、、先日「御意!」の俳優さんが
料理番組では、、超下手そうに、、、、演じているのか?
ほんとに下手なのか?
「ドクターX」の医局の外科医を、、まっこと、、、
「御意!」のはまり役の、、、演技抜群の劇団員
大真面目なボケ役のような、、、
相棒で言うならば、、、伊丹さんのようなはまり役に
何とも言いようのない、、現実感と
人間の色々なパターンが、模様のようになっていて
西田院長と、、、岸部さんと、、ピン子、、、さん、、、
本来は、笑いの本質の迫ってくるドラマなのかもしれませんね
映画?、、、私は主婦なので、、、家を離れるわけにはいきませんので
TVで、放映されるのを待ちますが、、、
何しろ80歳なので、、、生きているうちに
西田院長の、、、珠玉のアドリブを、、、観劇できるかどうかは
私の寿命次第ですね。
誰が外出しても、、、主婦の私は
マーケットと、郵便局と、、
ATMやDcm(以前はホーマック)
たまにコンビニ、、以外は、、
ここのところ、、数年、、外出していませんね。
80歳をさかいに、、、雪かきも,、、雪踏みに、、変更しました。
ヒートショックが、、怖いので、、、
除雪車、、入ってほしいのですが、、、
札幌市は,幹線ドーロの除雪で,、手がいっぱいなんでしょうね、、、
春になったら、、、映画を見にゆけるかもね、、、
去年の我が家の周りの雪景色です、、、すごいでしょう!!、、、今年は雪が少ないといいのだけど、、、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます