女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

韓国牧師金さんの、優しさ。

2016-01-23 11:13:17 | 日記
私は一時期、ボランティアで、教会にいっていました。
そこで、韓国から来た牧師さんが、たくさんのホームレスを助けていました。

最初は在日を助けていた牧師さんでしたが、日本人のホームレスも分け隔てなく助けています。
なにも、自分のことだけで精一杯なのに、日本人まで助けていました。

寒くて、外に寝ている人たちを、集めてご飯をたべさせたり、家を世話したりいろいろなことをしていましたが、それがビジネスとも、取れるのですが、私はあえていい人と思いました。

ホームレスは、見るのも、臭いもすごくて触れないぐらい汚い人たちもたくさんいました。
その人たちを、わけへだてなく、暖かい食事をあたえていたのです。

宗教とか、キリストを超えて、できないことと思いました。
あかだらけのホームレスを、見るのもいやははずです、いい人のふりではできないものです。

そのひとびとを、シャワーをつかわせてあげて、きれいにしてあげたりしていたのです。
お金だけの目的で、人を助ける人が多い中、とてもやさしく思えました。

そして、一番すごいと思ったのは、ホームレスたちへの散髪でした。
汚い人たちを、嫌がりもしないで、はさみをいれて、きれいにしてゆくものでした。

ただでさえ、臭い人々を散髪するなんて、考えられませんでした。
さわることさえ、声をかけることさえ、汚い人々です。

でも、誰かが助けてあげなくちゃ、そういう人でした。
韓国の牧師さんは、日本の人たちにも、優しい人でした。

私は近くの、ある在日が嫌いなのは、人を見た目で差別するからです。
そのひとだけとは、おもいますが、容姿とか治らないことで、差別します。

それに、自分のことは棚にあげていますし。
でも、在日や、韓国、朝鮮人がすべて、冷たくていやな人ではないとおもっています。

まあ、人間なんて、自分のことだけ精一杯なもので、人に優しくできない人はたくさんいます。
わたしも、できる余裕もなく、心が病んでしまいました。

だけど、世の中すてたものではありません。
いいひとだって、にほんじんだけではなく、いろいろな国の人もいます。

助けるという行為は、自分にとってはできないけれど、今はみまもっています。
韓国の牧師さんは、今でもきっと、ホームレスたちを助けていると思います。

だれだって、汚いくさい、ホームレスになりたくってなった人はひとりもいません。
そして、それを怪訝な目で見ている、近くの在日を軽蔑しています。

みんなそんな在日のひとばかりではないのですが。
やさしさのない、人を見た目ばかりで見るのは、一生治らないでしょうけどね。

わたしを離さないで(金曜ドラマ)

2016-01-23 09:18:34 | 日記
2回目を昨夜見て思った、寄宿舎から逃げた男の子二人は小学生にして、人体をきりさかれることになり、子供の命はけずられた。

提供というおそろしい、運命しかも心など持たない人間の形として生まれた運命。
しらないまでも、知っても生きていくのは、短い運命。

そんな時代がいつ来るのか、そして今でもそんなことが行われていそうで怖い。
生態移植の時代がそこまで来ている、親子や他人でもできるときが恐ろしい。

そのために、作られる命があるなんて、物語としては怖い。
これは、映画になったものらしいが、なんだか悲しくて怖くて見ることができない。

三回移植されたら、命を絶つ運命で、若くしてなくなっていく。
しかも、人工的に作られた生物が、人間なのだ。

その人間も移植までそだてていかなくてはいけない、しかしにげられないように、折に入れたように、そだっていく、人間が進歩したところで、そこまでしてもいいのだろうか。

わたしは、人間が人間の形を作ることに、とても罪をかんじてしまう。
それは、人間がやるべきことではないのではないのかとおもう。

未来は、怖い、見たくないこともたくさん起こるのだろう。
遺伝子の操作で、びょうきになりにくくなることも、可能になるのだろうか。

それなら、死なない人間を作ることもできそうで怖い。
しかし、人間は衰えて、死んでいくからこそ、この地球のバランスをたもっている。

人口がふえすぎて、死ななくなったら大変だ。
いまでも、高齢者がたくさんふえて、いろいろな弊害がでているのだ。

死んでゆくのも、運命なら、それを変えたら、神に対して大変なことになりそうだ。
だから、昔がよかった、病気になりしぜんに、土にもどることができたのだ。

むりやり、いろうなどして、生かしたり人口呼吸器などで生かしていなかったのだ。
むりに、生かして余分なことをしている、助からない命を生かす意味がわからない。

医者のためなのか、それとも、ながいきさせて、奇跡を見せてくれるためなのか。
助からない命を、助けることできっと、これから罰が当たると私はおもう。

だから、このドラマの子供たちは、何のために生まれたのかくるしむことになり。
それをさとり、人間の心を持ちながら、死んでいく運命を、悲しむのだろう。

こんなことを、考える時代がなんだか、むなしいのだ。
しぜんに、死んでいった昔がいいとおもう、これはあってはならない物語である。

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