今日は雨が降って肌寒かったけど昨日は快晴だった。
昨日は神奈川県立近代美術館鎌倉別館へ行った。
その日の用事によるけど、昨日のように美術館だけが主な目的の日は、のんびりと江ノ電。
そして必ず極楽寺駅で降りて極楽寺坂の切通を歩く。
極楽寺駅に公衆トイレが出来てとてもありがたい。
極楽寺坂切通へ。
線路の向こう側に極楽寺。
江ノ電のトンネル。
鎌倉は海に面し山を背にした天然の要塞。
鎌倉七口とよばれる道で出入りした。戦となればこの七口を塞ぐことで内府が護れた。
今は名越切通と朝比奈切通に当時の面影が残るのみで、極楽寺坂切通も普通の道路になっている。
私は成就院さまの階段を上る。
かつてはこの成就院さまの前が道だったそうな。ずいぶんと掘り下げたものだ。
ここから見る由比ヶ浜が好きだ。
京鎌倉往還は京都は粟田口から鎌倉は極楽寺切通をつないだ街道。
鎌倉のいにしえの旅人たちと同じ場所から同じ海を見ている気がするのだ。
権五郎神社さまにご挨拶して長谷駅へ。再び江ノ電。
その後の用事が無い帰り道は必ず永福寺跡へ寄る。
鶴岡八幡宮さまの東の鳥居を出る。
畠山重忠邸跡の案内石碑がある。
鎌倉のあちこちにあるこの案内石碑は大正時代に青年団が建てたもの。
頼朝時代の鎌倉幕府の中心は鶴岡八幡宮さまの東側に広がっていた。
今は学校になっているけど、頼朝が鎌倉入りし当時大蔵(大倉)郷と呼ばれたこの場所に1180年(治承4年)に御所を建て、政子が亡くなるまでの45年間ここが鎌倉幕府の中枢だったのだ。
頼朝の墓もある。
学校の北側の道を行く。
荏柄天神さま。
鎌倉宮さま。
鎌倉宮さまの横を行けば、永福寺跡。
アヒルだ。
池でアヒルなんて飼っていたっけ?と思ったら、飼い主さんと散歩のアヒルちゃんだった。
飼い主おじさまは鎌倉生まれの鎌倉育ちで私の母と同じ年だった。
戦後の鎌倉の移り変わりを見てこられた。
しばし色々なお話しをうかがっていたらミミズ掘りに飽きたアヒルちゃんはウトウトと始めた。
永福寺は、ようふくじと読む。
源頼朝が1192年(建久3年)に建立した。
義経や藤原泰衡をはじめとする奥州合戦で亡くなった人々の供養のために建てたとも、奥州で見た中尊寺の荘厳な美しさにうたれて建てたともいわれる。
壮麗な大寺院だったらしいが、1450年(応永12年)に火災で焼け落ち再建されることなく廃寺になったという。
今はスマホの中でかつての姿がよみがえる。
夢の跡。
こんなにも儚いものなのに熾烈な闘争に明け暮れたのだった。
来た道を引き返してみたら、アヒルちゃんは家に帰ったようだった。