今日のころころこころ

2013・7・16 おばさんの葉っぱ かながわ名木100選 秦野市・鶴巻の大ケヤキ

佐藤のおばあちゃんへ。

本日は、見ず知らずの私に、お野菜ほんとうにありがとうございました!

帰宅して、早速に料理させていただきました。やっぱこれですよね!味噌炒め。

ごま油で炒めて、仕上げに三之助のたまねぎがんもとたくさんの大葉を入れました。我ながら美味くできました!

って・・・

涼しくなった。ほんの一時でも、ありがたい。
今週は空手の稽古もあるし、足慣らしに公共の交通機関ででかけるを再開。
かながわ名木100選。秦野市・鶴巻の大ケヤキ。
駅から近そうだったから。
小田急・鶴巻駅下車。

実は、住所がよくわからない。手元の資料のを打ち込んでも、グーグルマップでは存在してない。
民家の前で、たまたま外に出てきたご夫妻にうかがってみる。御存じであった!教えていただく。
駅前の道を踏切とは反対方向にまっすぐに歩く。一つ目の信号を金目方面に曲がる。

あっけなく、お!あった。

見事な大木様だ。

それにしても・・・不思議な空間だ。神社仏閣の境内でもなければ個人宅でもなければ公園でもない。一応あるが・・・ただの広場、というんが一番ふさわしい感じ・・・

そこで、佐藤のおばあちゃんであった。
といっても・・・
たまたま道路挟んだ向かい側の畑で農作業しておられた。
ここは?神社でもあったんですか?とうかがった。
無いようぉ!じぞさん(延命地蔵様)はあっちだし神社(落幡神社)はそっちだしさ。
から始まった。
当たり前だが、佐藤のおばあちゃんが子供の頃からあった。ちなみに佐藤のおばあちゃんは、昭和2年生まれの85歳。
エノキと呼んでいたという。エノキですか?と聞き返したら、どう見てもケヤキだなぁ。なんで?エノキって言っていたんだろ?
と自問自答しておられた。
今では住宅地のまん真ん中で目立つ。が、おばあちゃんの子供の頃は木ばかりの山村だったはずだ。そんでも、地元民が一目置くような風格がある大木様だったということか。だな。
おばあちゃんは、産まれてから今まで、ずっとこの大木様と一緒だったようだ。
第二次世界大戦の時には、挺身隊として今の厚木飛行場に徴用されていた。お父さんは83で先立ってしまったがいとこ同士の恋愛結婚だった♡とかとか♡♡♡とかとか。。。。。
楽しくて楽しくて、いつの間にか寛いですらいた。
そしたらいきなしおばあちゃんが、これ要るか?要るなら持ってけ!と言う。
無論お金を払うつもりだった。直売所だらけだ。
が、要らないという。
楽しみで作ってるだけさぁ。金も菓子もなんでもかんでもたっぷりあるさぁ。食べきれねぇんだよ!
・・・10歳ほど若いが、里の母を思い出した。
そうだよな・・・この立地で農地を持ってるなんて、大地主様一族だよな。里の母も、売ってもいなければ自家用も限界で・・・お礼の頂き物もいらないし・・・だったら作らなきゃいいだろと親子喧嘩になって・・・でも丹精込めた野菜を捨てるのはせつなくて・・・
もう!思いっきしいただいた。

おおよその家の場所は聞き出したから、来週の火曜日は、あんみつでも持ってお礼にうかがおう。里の母も、あんみつと豆かんだけは貰って大喜びだ。

駅までの帰路は、じぞさまと神社さまに寄り道。

こころ楽し。
かえるがなくからかーえろ!
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