今日のころころこころ

2018・11・29 東京の素敵な建造物 渋谷区・温故学会会館 盲目の国学者・塙保己一と支えた人々の情熱に圧倒された!

東京都写真美術館のチケットをいただいた(^^♪國學院大學博物館に寄ってから行こう(^^♪
それにしても、降りるたびに出口をチェックせねばならぬただ今工事中の渋谷駅(^^;
國學院大學博物館へ行く時の方向音痴な私のランドマークは渋谷警察署。16番出口ができたのか。


おお!渋谷警察署の真横に出た!これは嬉しい!
金王八幡宮さまの境内を通り抜けて國學院大學博物館へ。


と思ったのだけど、そういえば温故学会会館という建物が近くにあるようだ。
国学院大学前信号機を曲がって、氷川神社さまの横を行く。

素敵な建物だ(^^♪

昭和2年の建物。設計施工は清水組。国登録有形文化財。
ところで。この塙保己一さんって誰?
入館できるようだから入ってみることにした。



入口で迎えてくださったたぶん館長さん本当に本当にありがとうございましたm(_ _)m
塙保己一さんって誰?から始まって丁寧に色々とご説明いただいたm(_ _)m
塙保己一とは「群書類従」を編纂した江戸時代末期の盲目の国学者。
この「群書類従」は、今でもその分野を研究する人々の基になっている日本の古代~近世の歴史書や文学書といった古典籍の集大成。
塙保己一は延享3年(1746年)に今の埼玉県本庄市児玉町に生まれた。
7歳の時に病で失明。15歳の時に江戸に出て雨冨須賀一検校の門人となった。
当時盲人には職業として筝曲・三弦・はり・按摩の道が確立され金融業も認められていて、修行後に官位に昇進した役職を検校という。旗本と同格であったそうな。
保己一も検校の元でそれらの修行を始めたものの出来はたいそうに悪く、検校との進路相談の結果学問の道へ進むことになった。
たぶん、検校は保己一の素質を見抜いておられたのだろう。
その後、驚異的な記憶力と胆力で群書類従をまとめ上げ出版したのであるが、書籍の収集・分類・出版に至るまで周囲の献身もすごかった。
資金は当時の江戸や大阪の商人が貸すという形で出資したようだ。
そうして、この温故学会会館には当時の版木がずらりと残るのである!
1階。

2階。



3階は入れないけど階段。
建物も素晴らしいけど、今回はただただ版木に圧倒された。正確には、その版木に込められた人々の情熱に圧倒された。
第二次世界大戦では館内に焼夷弾が着弾したが、当時の館長さんが着ていた着物で包んで外へ叩き出して版木の焼失は免れたという。
そうして渋沢栄一。
塙保己一の顕彰と版木の保存を目的にこの建物は建設されたのであるが、資金の調達他に奔走したのは晩年の渋沢栄一翁だったのだ。
う・・・
國學院大學博物館へ。
企画展みてハニーたちにご挨拶して学食でお昼食べて。


建物は語るなぁ。。














コメント一覧

うさぎ
みっちゃんこんばんは~(^^)/
今日は横須賀だったのね!
お疲れさまでしたm(__)m
そうなのよね・・・
親はいつまでも親だけど、いつの間にか老いてるのよね・・・
でもみっちゃんとこは丁々発止で会話できるのだからかなり楽しい方じゃ(^^)v
じゅんもななもれんもいるのじゃ(^^)v
ホシ蜜
http://blog.goo.ne.jp/hoshimitsuki
塙保己一!
子供の頃、はじめて触れた伝記はヘレンケラーと塙保己一。
物心ついたらもう本箱にあって自然と読んでいた感じでした。
今から思うとそうやって環境を作ってくれた親に感謝ですなぁ。
懐かしいことを思い出させてくれて感謝です。

でもね、今日もじじぃはくどかったの。
疲れた~。ぐったり ( 。-_-。)
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