今日は明治神宮さまへ。
何気に紅葉。
参集殿へ。
明治神宮は2020年に鎮座100年をむかえた。
記念行事のひとつが「明治神宮鎮座百年祭記念シンポジウム 100年の森で未来を語るMの森連続フォーラム」。
全3回。
第一章は昨秋。「MEIJI×MATURI」。
第二章は今年の7月。「MORI×MAGOKORO」。
昨日今日は第三章。「MACHI×MIRAI」。
昨日は「これからの表参道・渋谷・東京~原宿から未来を見つめて」。登壇者は、松井誠一・太田浩史・三浦詩乃・長谷部健・今泉宣子。
今日は「いのちとくらし~今、大切なことを見つめなおして~」。
登壇者は、原田一敏・名和晃平・いとうせいこう・塩沼亮潤・廣瀬浩保。
私は「いのちとくらし~今、大切なことを見つめなおして」へ。
混沌とした時代から、私たちはどのような未来を見出すことができるでしょうか。各々の世界で本質を極め、本物を知る方々に、これからの日本人が大切にすべきことについて提言をいただきます。
と、あった。
登壇者そのものが混沌。
名和晃平氏は彫刻家・京都芸術大学教授で、これからの彫刻のありかたを未来形で様々に探る。
原田一敏氏は刀研究者・東京藝術大学名誉教授で、伝統の守護者。
塩沼亮潤氏は大行満阿闍梨・福聚山慈眼寺住職。大行満阿闍梨、過去1300年で二人目の大峯千日回峰行の満行者である。
きっとそれをいとうせいこう氏がまとめあげるのかな?
という感じだった。
それぞれの立場でそれぞれに語る。
衝撃を受けたのは名和氏。
去年、氏は明治神宮に2作品展示した。
金と銀の輝く鳳凰一対と大鹿。
その鳳凰は木彫。
マケットは、実際の粘土を使わずに造形したという。
触感デバイスを使用し、画面の中にあるデータにもかかわらず、実際に触れているかのような感覚で造形する3Dモデリングを使用したという。
液晶ディスプレイの中に粘土の塊が現れて、まるで実際に手でこねて造形しているように、いや、名和の手ではないんだけど正真正銘の名和の手だ。名和は粘土の手触りをはっきりと感じているという。
名和はフォーマットの違いなだけですとサラリと言う。
もはや名和は現実と仮想を融合させ、更なる領域へと進む。
しかし鳳凰の場合は、実際に木を彫り、漆を塗り、金箔とプラチナ箔を貼っての作業は、京都の様々な伝統工芸職人の手によるものだった。やはり、3Dプリンターで出来ないこともある。
原田氏の刀の手入れはどうだろう?これは実際にヒトが実物を手にするしかない。
宙を知った大阿闍梨の思考は何処へ行くのだろう。
いとうせいこう氏は言う。
ヒトが作った明治神宮の森には自然ではあり得ない黒松と赤松が並んでます。しかし人工的でも自然に任せているとそれが自然になるのです。と。
ん。。。
私には、スマホの出現は100年後には第何次かの産業革命として刻まれるであろうことだけしかわからない。
そこまで生きていられるはずもないから未来の生活はわからない。
それでも、どんな未来になっていくのかな?と思いながら会場を出たら、日はとっぷりと暮れていた。
夜の神宮の森を出る。