東京に残る高低几号標。
国会図書館で明治18年の東京実測全図を眺めていたら、お!靖國偕行文庫の謎の館員さんがおっしゃっていた市ヶ谷の高低几号標があった。
というか。
お堀沿いの、四谷門・市谷門・牛込門にあった。
上西勝也先生のHPによれば、新見附橋のあたりにあるらしい。
ん???
そもそもその頃に新見附橋なんかあったのか???
本来ならまだ明るい時間帯だけどすっかり暗くなった梅雨空を眺めなが東京メトロ市ヶ谷駅からお堀沿いを新見附橋へ向かう。
新見附交差点。
そういえば、新見附水門ってどこだろう?
あれかな?
新見附橋。
高低几号標は?あちら側だ。
地面に埋めてある。
この状態では使えないはずだし、なによりも明治18年の東京実測全図ではこの橋そのものが存在してない。
なんでここにこんな形で???
謎だ。
もしかして?記念碑なのだろうか。
もしかして?もれなく見附門に刻まれていたのだろうか?
高低几号標というものがかつて存在したとの記憶を残すためにここに設置したのだろか?
場所は違えど記念碑として残すなら確かにこういう方法が末永く一番安全。
役所の中に測量関係に造詣の深い方がおられたのかな。
なんかなんとなくほんのちょっと感動。
お堀沿いは長細い公園になっているようだ。
JR市ヶ谷駅が見えてきた。
公園もここで終わりかな。
この石垣は江戸時代の名残の石垣なのね。
ここのどこかに高低几号標が刻まれていたのかな?
この石垣の横から地下へ下りれば、JRも東京メトロもつながっていたのだった。