コンピュータのなかった頃、光線追跡計算に費やされた時間は途方もないものであった。レンズの最適条件を求めるため、100回の計算を行ったとして、4年近くの歳月がかかることになる。計算するブループをいくつかに手分けして作業をすすめたとしても1年程度の設計期間は当たり前であった。
ダゲール(L. J. M. Daguerre:1787-1851)が銀塩感光材料を発明した2年後の1841年、フォクトレンダー社がペッツバールレンズを製品化した。このレンズ設計にあたっては、当時計算能力が秀でていたオーストリアの砲兵隊一個小隊がかり出され、光線計算に協力したという。
日本でコンピュータが国産化された動機は、光学設計であった。1956年3月、富士写真フィルムの岡崎文次(1914-1998)の手により1,700本の真空管を用いた「FUJIC」というコンピュータが開発され、レンズ設計に使われた。このコンピュータは、人による計算の2000倍の性能があった。つまり、設計時間が1/2000に短縮された計算になり、1年の計算が半日以内に短縮されたことになる。現在のレンズ設計用のコンピュータは、人手に寄っていた時代の実に250,000倍の性能がある。
映像情報インダストリアル2005年12月号「光と光の記録」より