10年ぶりの再会を果たした二人は、町はずれのベンチに座って、改めて記憶が戻った喜びを分かち合った。二人は向かい合って座り、手を握り合って見つめあった。ミニョンは完全にチュンサンの記憶を思い出しており、ユジンはうれしくて涙を流した。
「僕がどんなにひねくれていたかも、君を傷つけたことも思い出したよ。君がどうして会社にポラリスという名前を付けたかも分かった。」
「私たち、明日ソウルに帰ったら、病院に行きましょう。記憶が戻り始めてるから、病院に行って全部思い出した方がいいと思うの。」
しかし、ミニョンは不安だった。何かが頭の奥で警告していた。全部思い出すなと。ここまで思い出してもなお戻らない記憶は、自分にそっとしておけ、と忠告しているかもしれなかった。
「でも、良い記憶ばかりじゃないかもしれない。いやな記憶も思い出したらどうしよう。」
不安がるミニョンに、ユジンは力強く言った。
「大丈夫、心配しないで。嫌な記憶なんてないから。」
ユジンにはっきりとそう言われると、ミニョンは少しだけ安心するのであった。
次の日、サンヒョクの仕事場であるラジオスタジオに、意外なお客がやってきた。それはユジンの母親のギョンヒであった。サンヒョクはその日、カンミヒがゲスト出演する番組の仕事に追われていた。先輩DJユヨルは嬉しそうに鼻歌を歌っている。
「ここにカンミヒさんが来るとはなぁ。感激だよ。」
「本当に好きなんですね。」
「そりゃあな、だって俺の初恋なんだよ。初恋ってのはな、永遠なんだよ。」
これは、今のサンヒョクにとって一番堪える言葉だった。まさにサンヒョクはユジンを忘れられないでいた。ユジンを忘れられるには、あとどのくらいかかるのだろうか。思わずうめき声が出そうだった。その時、アシスタントが、ギョンヒが来たことを告げた。
二人はレコーディング室の前の椅子で話をした。ギョンヒは水色の風呂敷と封筒を持って立っていた。その顔はやつれて、悲しみでいっぱいだった。
「サンヒョク、本当はご両親にきちんと挨拶をしなくちゃいけないんだけど、、、ご両親からの結納品と、あなたがくれた準備金を返しに来ました。」
「本当にこんな結果になって申し訳ないです。」逆にサンヒョクはギョンヒを思いやった。ギョンヒはそんなサンヒョクを申し訳なさそうに見つめた。
「つらいでしょう?」
「、、、大丈夫です」
「ごめんなさい。お詫びの言葉もないわ。実の息子のように思っていたのに。」
「僕の至らなさですみません。本当に、ユジンを幸せにしたかったんです。お義母さんと一緒に暮らして、僕たちに似た子を育てていきたかったんです。お義母さんと僕たちみんなで幸せになりたかったけど、すみませんでした。」
ギョンヒは小さなころからユジンを好きでいてくれたサンヒョクを本当に息子のように思っていた。いつのころからか、ユジンがサンヒョクと結婚してくれたら、と願っていた。サンヒョクはとてもやさしいし、誠実で温かくて、申し分ない男性だった。自分にも息子がいるとすれば、彼のような子がいいと思っていた。それだけに、サンヒョクの傷つく姿はつらかったし、申し訳なく思った。ギョンヒは、憔悴するサンヒョクの姿を見て、どうか幸せな結婚ができますように、と願わずにはいられなかった。
サンヒョクがギョンヒを送って廊下に出ると、そこに一人の女性が歩いてきた。それはカンミヒだった。ミヒは今日も、美しく化粧をして、黒い毛皮のコートを着て悠然と歩いてきた。しかし、なぜかギョンヒを見ると、驚いた顔をして立ち止まるのだった。反対にそれまで優しい笑みを浮かべていたギョンヒも、ミヒの顔を見ると、凍り付いてしまった。二人は静かに顔を見合わせると挨拶をした。
「お久しぶりですね」
「ご無沙汰しております。ご主人のヒョンスさんが亡くなったと聞きましたが。」
「ええ、そうなんです。ご活躍は新聞で存じております。」
それだけ言うと、ギョンヒは会釈をして立ち去ってしまった。
ギョンヒが行ってしまったのを確認すると、ミヒが口を開いた。
「お知り合いなの?」
サンヒョクは二人が知り合いなのに驚いたが、平静を装って言った。
「ええ、、、、友人の、、、友人のお母さんなんです。チョンユジン、チョンユジンを知ってますか?」
ミヒは驚愕した。
「チョンユジン?チョンユジン?!あの人はユジンさんのお母さんなの?」
「はい、ミヒさん、どうしたんですか?」
しかし、ミヒはそれきり何もなかったかのように、平静を装って打ち合わせに入った。サンヒョクはいろいろ聞きたいことがあったが、何も聞けないままミヒと別れた。サンヒョクの心の中に、言い知れぬ不安が広がっていった。
ミヒはその夜、宿泊しているホテルで今日のことを思い出していた。ミニョンが初めて別荘に連れてきた、そして事故に遭った原因を作った、昏睡状態のミニョンに1か月近く付き添っていた女性、それがギョンヒとヒョンスの娘だったのだ。チョンユジンはこういっていた。
「10年もミニョンさんのことを想っていたんです。そしてやっと再会したんです。」と。
そしてミニョンはこういっていた。
「ユジンは春川に住んでいた時に、僕とそっくりな人を好きだったんだって。」
よりによって、ヒョンスの娘だなんて。ミヒは頭を抱えるしかなかった。今からでは遅すぎるかもしれないけれど、何とかしなくては。ミヒは急いで電話をした。その相手はミニョンだった。ミニョンはなぜか春川にいた。記憶を取り戻してからのミニョンはよく春川に行っている。今日ももちろんユジンと一緒にいるに違いない。手遅れでなければいいが。なるべく早くミニョンには真実を話さなければならない。ミヒは明日ソウルに帰ってきたらすぐ自分のところに顔を出すように言った。
その少し前、ミニョンはユジンと一緒にバスに乗ってユジンの実家まで帰る途中だった。ユジンはすっかり安心した様子でミニョンの肩で眠っていた。ミニョンはユジンの紙を撫でていると、なぜか昔のことを思い出した。状況ははっきりしないけれども、サンヒョクの姿を見ている姿、だれか男性を話し込む自分、どこかの教室をのぞいている姿や、走っている映像が頭に浮かんだ。ミニョンにはそれが何だか思い出せなかったが、とにかく今はユジンと一緒にいたいと思った。頭の奥で、「思い出すな。思い出しちゃいけない。」という声がした気がした。
ミニョンはユジンを実家まで送っていった。
「ここで君は僕に手袋をはめてくれたんだよね。」
「うん、そのあとうちに上がったのを覚えてる?」
「僕が?」
「夕飯を食べようってね」
「ああ、思い出した。あの時なんで急に帰ったんだろう?」
「わからないの?私も。だって、夕飯を用意して呼びに行ったら、帰ってていなくなっていたんだもの。それが最後の姿だったのよ。」
二人とも不思議そうにお互いを見つめあうばかりだった。そこに、母親のギョンヒが帰ってきた。ギョンヒはミニョンを見るとまぶしそうに目を細めた。ユジンとギョンヒはミニョンと別れて、家に入った。ギョンヒは顔を曇らせていた。サンヒョクと別れて帰ってきたばかりで、まだ彼の悲しそうな顔が目に焼き付いて離れなかった。それなのに、ユジンはもう、サンヒョクもよく知るチュンサンと楽しそうに帰ってきている。そんな娘を見て、少し悲しそうだったのだ。
「チュンサンの記憶はもう戻ったの?」
「うん、ほとんどのことは思い出したみたい。私のことも友達のことも。」
「よかったわね。記憶がないってのはつらいことでしょうから。でも、記憶が多すぎるのも時に不幸なものよ。」そういうと、ギョンヒは洗濯物をたたむ手をとめて、遠い目をした。ギョンヒの脳裏には、遠い昔、ヒョンスとミヒと話し合いをした時の風景が浮かんでいた。あの時の記憶は今すぐ消し去りたいほどつらいものだった。そんなギョンヒを、ユジンが不思議そうに見つめるのだった。
過去、現在、未来、嘘、欺瞞、恨み、忘却、それぞれの胸にいろいろな思いが渦巻き、春川の夜は更けていった。