歌舞伎は舞台を観るものと思っていたら、スタジオ歌舞伎というのがあることを初めて知った。演目は『細川の血達磨』。2006年10月に大阪松竹座で上演の『染模様恩愛御書(そめもようちゅうぎのごしゅいん)』を、テレビ用に再構成したということである。
私は歌舞伎ファンではないが、一時期、歌舞伎を観に行った思い出があるためか、テレビ番組表で歌舞伎の文字や歌舞伎俳優の名前を眼にすると、ほとんど録画しておく。と言っても、歌舞伎俳優のトーク番組やゲスト出演の番組は最後まで見るけれど、舞台の歌舞伎は、最初の30分ぐらい見て消去してしまう。そうとわかっていて、次の時もまた録画するのは、最後まで観て楽しめる演目があるかもしれないという期待を捨てきれないためである。
歌舞伎は、やはり舞台を観に行かなくちゃと人から言われたことがあり、歌舞伎に限らず、舞台芸術はすべて、生で観なくちゃと言うが、私にとってはテレビで楽しめることもあるから、そんなことにこだわらない。舞台を観に行くほうがいいに決まっているけれど、テレビでそれなりに楽しめれば、私は満足。
この番組も録画してから見たのだが、テレビ用にスタジオで再構成されたのなら、楽しめるかもという期待があったものの、興味の持てない演目なら、やはり30分ぐらいで消去かもと思いながら見てみると──。
『細川の血達磨』という演目を、知らなかったが、始まる前に番組司会者による簡単な解説があった。めぐり逢って惹かれ合い、兄弟の契りを交わす男色などが描かれるというような話だった。出演は市川染五郎、市川猿弥、旭堂南左衛門、他。
市川染五郎が、同性愛の絆で結ばれる兄弟を演じる1人2役。この上なく、りりしくて、美形で、とても魅力的だった。
解説を聞いていたため、ストーリー展開が、わかりやすかった。
同性愛というのはドキリとさせられるが、美しく描かれ、美しく演じられていた。契りを交わす2人が抱き合うシーンは、障子の影で表現されているのも美しかった。
背景の映像に工夫が凝らされていて、ドラマを盛り上げている感じだった。
舞台で観る歌舞伎の醍醐味には及ばなくても、どのシーンの映像も美しく、予想以上に楽しめた。
講談師の旭堂南左衛門の、独特の語りが、ところどころに入る。
(講談て、こういう感じなのね……)
聴きながら、そう呟いた。ずっと以前、故・菊村到先生から、知人のお父さんが講談師で、招待券を貰ったから、講談を聴きに行こうと誘われたことを思い出した。その時、私は、
「えっ、講談、ですか?」
と、思わず聞き返した。講談という言葉が意外でもあり、講談に誘われたことも意外でもあり、その意外な講談を菊村先生に誘われたことも意外だったからである。私にとって、講談とは、耳慣れない言葉だった。けれど、多少の知識はあった。
「講談て、講談師が、何か、延々と語って聴かせる芸でしょう? 私、そういうのって、すぐ飽きちゃうから」
と、断ってしまったのだが、今になって、そのことが悔やまれる。興味を持てるか持てないか、聴いてみなければ、わからない。1度ぐらい、聴いてみればよかったと。多分、そのころの私は、講談に対するイメージが、地味というか、暗いというか、そんな感じがあったのだと思う。かといって、派手なことが好きだったわけではないけれど。
本当に、今、思えば、何事も経験、一度ぐらい講談を聴いておけばよかったと、後悔しきりである。
とは言え、この番組での講談はスタジオで断片的に短く語られるから、少しも飽きなかったが、本格的に講談を聴きに行ったら、どうかわからないけれど。
『染五郎 気迫のスタジオ歌舞伎』は、本当に素晴らしくて、楽しめたし、他の演目も見てみたいと思った。
私は歌舞伎ファンではないが、一時期、歌舞伎を観に行った思い出があるためか、テレビ番組表で歌舞伎の文字や歌舞伎俳優の名前を眼にすると、ほとんど録画しておく。と言っても、歌舞伎俳優のトーク番組やゲスト出演の番組は最後まで見るけれど、舞台の歌舞伎は、最初の30分ぐらい見て消去してしまう。そうとわかっていて、次の時もまた録画するのは、最後まで観て楽しめる演目があるかもしれないという期待を捨てきれないためである。
歌舞伎は、やはり舞台を観に行かなくちゃと人から言われたことがあり、歌舞伎に限らず、舞台芸術はすべて、生で観なくちゃと言うが、私にとってはテレビで楽しめることもあるから、そんなことにこだわらない。舞台を観に行くほうがいいに決まっているけれど、テレビでそれなりに楽しめれば、私は満足。
この番組も録画してから見たのだが、テレビ用にスタジオで再構成されたのなら、楽しめるかもという期待があったものの、興味の持てない演目なら、やはり30分ぐらいで消去かもと思いながら見てみると──。
『細川の血達磨』という演目を、知らなかったが、始まる前に番組司会者による簡単な解説があった。めぐり逢って惹かれ合い、兄弟の契りを交わす男色などが描かれるというような話だった。出演は市川染五郎、市川猿弥、旭堂南左衛門、他。
市川染五郎が、同性愛の絆で結ばれる兄弟を演じる1人2役。この上なく、りりしくて、美形で、とても魅力的だった。
解説を聞いていたため、ストーリー展開が、わかりやすかった。
同性愛というのはドキリとさせられるが、美しく描かれ、美しく演じられていた。契りを交わす2人が抱き合うシーンは、障子の影で表現されているのも美しかった。
背景の映像に工夫が凝らされていて、ドラマを盛り上げている感じだった。
舞台で観る歌舞伎の醍醐味には及ばなくても、どのシーンの映像も美しく、予想以上に楽しめた。
講談師の旭堂南左衛門の、独特の語りが、ところどころに入る。
(講談て、こういう感じなのね……)
聴きながら、そう呟いた。ずっと以前、故・菊村到先生から、知人のお父さんが講談師で、招待券を貰ったから、講談を聴きに行こうと誘われたことを思い出した。その時、私は、
「えっ、講談、ですか?」
と、思わず聞き返した。講談という言葉が意外でもあり、講談に誘われたことも意外でもあり、その意外な講談を菊村先生に誘われたことも意外だったからである。私にとって、講談とは、耳慣れない言葉だった。けれど、多少の知識はあった。
「講談て、講談師が、何か、延々と語って聴かせる芸でしょう? 私、そういうのって、すぐ飽きちゃうから」
と、断ってしまったのだが、今になって、そのことが悔やまれる。興味を持てるか持てないか、聴いてみなければ、わからない。1度ぐらい、聴いてみればよかったと。多分、そのころの私は、講談に対するイメージが、地味というか、暗いというか、そんな感じがあったのだと思う。かといって、派手なことが好きだったわけではないけれど。
本当に、今、思えば、何事も経験、一度ぐらい講談を聴いておけばよかったと、後悔しきりである。
とは言え、この番組での講談はスタジオで断片的に短く語られるから、少しも飽きなかったが、本格的に講談を聴きに行ったら、どうかわからないけれど。
『染五郎 気迫のスタジオ歌舞伎』は、本当に素晴らしくて、楽しめたし、他の演目も見てみたいと思った。