先日のセミナーで、「全ては一つであり、自分と宇宙は同じ価値だ」と、
生れつき分かっている方がいました。
生れつきですから、当たり前で感動も無いし、それがどうしたの?という事でした。
そこで、学習したことは、錯覚・妄想・幻想をし、覚醒することで、
感動の創造ができ、ワクワクと生きているという事が分かるのです。
ドラマで、事件の真犯人が最初から分かっていたら、面白くありませんね。
ドラマを楽しめませんから。
その方は変人に見られて、人生が楽しく面白くなかったそうです。
法図にたどり着き学べること、
人生が、日々感動の創造で楽しく生きられ事ほど嬉しい事はありません。
アタマが良い方は無知を知りますが、無智を知りません。
無智を知り、智の記号の学びをする事が、
あの世の備えとなり、未来永劫(みらいえいごう)の備えになるのです。
世間で、いろいろ分かっている方々や、アタマの良い方々でも、
最終的に法図にたどり着き、法図を真解しないと、
この世の、この時代の、この国に生まれ合わせた意味が全く無くなります。
神は、不老不死であり、全てであり、ヒトツであり、
大宇宙の本質であり、宇宙天地万物万霊である。
始め無く、終わり無くありてあるもの、それが大神である。