この動画は1988年に起きた事件である。
「古田順子」さんは高校在学当時の友人の話ではアイドルに憧れていたとの事であり、
成績はトップクラスだったという。
家電量販店の就職面接もクリアしており、卒業後はそこに就職する予定だった。
しかし1988年11月25日を最後に行方不明となった。
昨今増えている少年の凶悪な事件に巻き込まれたものだった。
昭和63年11月25日夜 午後6時湊 伸治の家に横山 裕史(旧姓は宮野)がやってきて
「今日は給料日だからひったくりに行く」と誘うが1人目の被害者は現金は取られなかった。
そして午後8時過ぎ、自転車で帰宅途中の純子さんを見つけた横山 裕史が、「オレがう
まくやってやるから、あの女を蹴れ」と指示し、湊 伸治に自転車を蹴られた純子さんは、
道路の側溝に自転車もろとも倒れ、湊 伸治が逃げ去った後、横山 裕史が現場に現れ、
「あいつはキチガイだ。オレも脅された。この辺りは危ないから送っていきましょう。」と
言葉をかけ近くの倉庫内に連れ込むと態度を変え「さっきの奴とオレは仲間だったのさ。
お前のことを狙ってるヤクザだ。オレは幹部だから、オレの言うことを聞けば、上の方に
なんとかとりなしてお前の命だけは助けてやる」と脅し、タクシーでホテルに連れ込む。
午後10時頃神作 譲がCの家に行くが湊 伸治はまだ帰ってきておらずDが来ていた。
間もなく湊 伸治が帰宅し、横山 裕史から電話がかかってきて「女といっしょにいる。
お前ら、やりたいか?」「11時にさっきバイクを借りた家に来い」と神作 譲は湊 伸治と
渡邊 恭史に指示を出す。
被害者を含め合計5人になった一行は夜の町をブラブラ歩き、ときおり、「ヤクザの車が
来た隠れろ」などとさらに被害者を脅迫し湊 伸治の近くの公園に行き、横山 裕史は湊 伸治
を連れてバイクを返しに、そのまま、生花店経営者に会い酒を飲みだす。
その間約2時間、公園に待たされた3人は寒さに耐えきれなくなった神作 譲とDは純子さんを
連れて湊 伸治の部屋に入り、この時点で被害者である純子さんに自分たちの住んでいる所
を知られてしまい、返すことができなくなった。
11月28日
横山 裕史の提案でカゼ薬を覚醒剤だということにしてみんなで飲み、ラリったふりして襲いかかる。
怖がって悲鳴をあげて逃げ出す純子さんの足をつかんで倒す。
それ以降記すことが出来ないほどの事をして、周りのものを騙し、脅し、翌年1月5日に淳子さんは
亡くなった。
横山 裕史は以前勤めていたタイル工場に行き、モルタル砂ドラム缶など調達し遺体をバックにつめ
横山 裕史(旧姓は宮野)の家の前で三人でドラム缶に入れコンクリートを流し込んだ。
東京湾の埋め立て地に行ったが、適当な場所が無く道路脇の草むらに捨てた。
発見当初は元の顔がわからないほど原形をとどめていなかったが、司法解剖と指紋鑑定の結果、
行方不明になっていた本人のものと一致した。
享年17歳。
誕生日目前で殺されたため、18歳の誕生日を迎える事はなかった。
残忍かつ極悪非道である点でおいて、過去に類例を見出し難く、重大かつ凶悪犯罪で動機はきわ
めて反社会的かつ自己中心的であり、被害者の女子高生はなぶり殺しにされたとしか言いようがな
く、動機に酌量の余地はないとし、少年だったが家庭裁判所の審判で「刑事処分相当」とされ
刑事裁判をかけられる。
2008年には全員釈放。