音楽が嫌いと言う方はそういないと思います。
高尚な人はクラシック。普通クラスの人でポップス(洋、和)。中、高年齢の方は
演歌など。
私が始めて学校で習うような歌ではなく、流行歌で気に入ったのが、イタリアの
カンツォーネ歌手のジリオラ・チンクェッティの「夢見る想い」という歌でした。
かっこいいでしょう。
この写真はイメージです。
当時はビートルズが大ヒットしている時代でしたが、曲は売れるたびにチェック
はしていたがそんなに魅力は感じませんでした。
しかし曲は良いしほとんど知っています。
メリーホプキンズの「悲しき天使」も良かったですねー。ポールマッカートニーの
プロデュースの曲です。
そしてビートルズ前から活躍していたエルビスプレスリー。
ロックンローラーとして世界に名を売っていた。
映画も作られビートルズと並ぶ名歌手であった。
しかし正当派のビートルズに対し、エルビスは腰を振って踊ることが大問題になり
日本での放送時下半身は写さないようにしたということです。
それと映画を何本も作り、みな同じような映画でかなり非難された。
ビートルズはイギリス。エルビスはアメリカで、エルビスが陸軍に入隊していた頃
ビートルズがデビューし、エルビスが結婚して再登場してまもなく ビートルズが解
散したので同時期に活躍した期間は短かった。
一度だけ会見したが、エルビスは「君達のレコードはみんな持ってるよ」言った時
ジョンレノンが「私はあなたのレコードは一枚も持っていません」と言ったそうで、
その背景にはエルビスがベトナム戦争に参加したことや映画の事がエルビスに
悪意を感じていたからです。
皆さんもご存知のように、ジョンレノンは反戦家で有名であるからです。
しかしその一言で少なからずしこりをのこしたまま、ジョンレノンがアメリカに住む事
になり反戦、反米活動を行い、その時反米活動に対し、ニクソン大統領にアメリカか
ら追い出してくれと手紙を出しワシントンD。C。までいったという。
しかしその会見を記録したものは無く、前期の記事はその場にいた人の口伝え
である。
1973年、ハワイ州ホノルルで行われたコンサート。全世界40ヶ国、15億人
以上に視聴され、コンサートで初めて衛星生中継された。米国では4月4日
に放送され、既にこのコンサートのライヴアルバムが発売されていたにもか
かわらず、この放送を視聴した世帯数は、人類初の月面着陸の映像を
視聴した世帯数より多かったのです。。
しかし4年後メタボのため風呂場で亡くなった。
(*今もメタボで風呂で亡くなる方は非常に多いので、気をつけてくださ
い。) この2組に時間をかけたのは、後に出てくるマイケルジャクソンとともに、
世界のpop史でBIG3と思うからです。
ビートルズが解散後、出てきたのはトム・ジョーンズ。「ラヴ・ミー・トゥナイト」
でした。
これは大ヒットしてテレビ番組が日曜日の夜にありました。
[this is the tomjones」と司会が言うと出てきたら、ギャルがキャーキャー
と黄色い悲鳴。 歌って踊って、汗だらけになった汗をハンカチで拭って、客席
に投げるとギャルが奪い合うのです。
その頃日本では美空ひばりが絶対的女王で君臨し、春日八郎、島倉千代子、
三橋美智也、三波春夫、村田英雄のライバル対決、そして畠山みどり、こまどり
姉妹の純日本調とそれとは一味違うモダンさを加えた都はるみ、水前寺清子
が若手女性歌手の代表格。
こまどり姉妹は1人癌になり、某宗教で延命し一時復活した。
この写真はイメージです。
御三家の橋幸夫と舟木一夫は、演歌ファンにも好まれた人気スターでしたが
やはりこの時期めきめき頭角を表してきたのが、北島三郎でした。
大御所のフランク永井が貫禄十分の低音を聴かせ一方三人娘の江利チエミと
雪村いづみは、テレビ時代になってヒット曲がないもののラジオ時代の名声で
幅を利かせていました。
舟木和夫は自殺事件でひ弱い面を出したが、元気に復活した。
江利チエミはお酒で酔い、寝ていて吐き戻し、その汚物で窒息死したのはマス
コミで伝えられた。
和田弘とマヒナスターズ、元祖御三家の西郷輝彦、アイドル歌手の元祖三田明
などが男性歌手の主なところ。
しかし、この分野では女性歌手の進出は目覚しく、西田佐知子、ペギー葉山など
の実力派はもちろんそれに続くナベプロ三人娘の中尾ミエ・伊東ゆかり・園まりの
初々しい歌いっぷりは目を見張るものがありました。
続く。
尚記事にwikipediaの記事をお借りしました。