東京駅丸の内駅舎正面
こんにちは、月乃和熊(ツキノワグマ)です!
3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
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復元!東京駅丸の内駅舎(3) = 赤煉瓦ドームのプレートと浜口首相暗殺現場 =
平成24年(2012)10月1日 月曜日
今日は、保存復元工事を終えた東京駅丸の内駅舎のグランドオープンだ!
丸の内駅舎の正面の入り口は常に閉鎖されていて、解放されていたところを見たことがない。
正面入り口は皇族専用の出入口で一般人には解放されていないからだが、グランドオープンの今日は皇族も式典に参加するだろうから、ひょっとすると解放されているかもしれない。
一般人の正面口は、左横に設けられている中央口だ。
大正3年の開業当初は、正面から見て右側の丸の内南口から入り、下車した乗客は、向かって左側の丸の内北口から表に出るように導線が設計されていたそうだ。
中央口から中央改札を抜けてすぐ右手の赤レンガの壁に、「赤煉瓦ドーム」のプレートがある。
丸の内駅舎の1階と2階は、約100年前に焼かれたレンガを保存しながら復元工事が行われた。
南北のドームは9月下旬当時はまだ解放されていなかったが、今日10月1日に南北のドームが解放されているはずなので、次回に東京駅に行くのが楽しみだ。
中央口を真っ直ぐ歩いていくと、東北・上越新幹線の改札口近くに浜口雄幸(はまぐち おさち)首相の暗殺現場があり、柱に遭難現場の説明プレートと、床に注意して見ていないと通り過ぎてしまいそうな、遭難現場のプレートがある。
昭和5年(1930)11月14日、浜口首相は岡山で行われる陸軍の演習の視察などのために、午前9時発 神戸行の特急「つばめ」に乗車するために、4番線のプラットホームを歩いていた。
そして、発車2分前の午前8時58分 佐郷屋留雄に至近距離から腹部を銃撃され、翌年感染症のために亡くなった。
同じ年の1930年1月から4月にかけて行われたロンドン海軍軍縮会議で、ライオン宰相とも言われた浜口首相の強引なやりかたに、日露戦争の英雄である東郷平八郎元帥も不平をいだいたといい、結果的に日本の軍艦保有率はアメリカの約7割に抑えられた。
このときの浜口首相に不満を抱いての凶行だったようだ。
ロンドン軍縮会議で軍艦保有率がアメリカの約7割に抑えられたことで、海軍はその攻撃力を補うために航空兵器と航空攻撃能力を増大させ、日本は未曾有の世界大戦に向かう。
激動の日本を象徴する浜口首相暗殺事件、その歴史を東京駅は見つめている。
次回 復元!東京駅丸の内駅舎 第4弾 東京ステーションホテルにつづく~
前の記事 復元!東京駅丸の内駅舎(2) = 丸の内駅舎の模型と期間限定ショップ =
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<乃木神社の行事>
10月17日 神嘗祭当日祭
10月30日 正松神社祭・祖霊舎祭
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