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零式艦上戦闘機(76) 零戦を苦しめた空飛ぶ要塞B-17
B-17はアメリカのボーイング社が開発した、四発の戦略爆撃機で、そもそもは、アメリカの国土を囲む長い海岸線を護るために開発された。
当初は5挺だった機関銃も、のちに13挺も搭載したため、フライングフォートレス(Flying Fortress)『空飛ぶ要塞』という愛称つけられた。
<B-17Gのカタログスペック>
全幅 31.6m
全長 22.6m
エンジン ライト R-1820-97 1200馬力 ×4
総重量 25t ~ 29t
最大速度 426km/h
航続力 3,219km(爆弾2700kg搭載時)
爆弾搭載量(2000kg~4900kg)
武装 12.7mm機関銃 13挺
乗員 10名
生産数 12,700機余り
(ボーイング社のみではおよそ7000機)
世界で初めて、爆撃機のエンジンに排気タービン式過給機を備え、高高度の飛行が可能となり、1939年に第二次大戦が勃発すると、戦闘機の護衛がいらない戦略爆撃機として運用されるようになった。
また、優秀な防弾装備を備えていたため、小型の戦闘機の攻撃では撃墜が非常に困難であった。
ヨーロッパでは、ドイツ軍に圧倒的な優位をたもっていた。
ところが日米開戦直後の、昭和16年(1941)12月10日。
坂井三郎率いる小隊が、フィリピンのニコラスフィールド攻撃の際に、B-17と遭遇し執拗な反復攻撃によって撃墜されてしまった。
これがB-17が撃墜された初めての記録となった。
しかし、全般的には零戦はB-17に手こずった。
果敢に攻撃を仕掛けるも、強力な防御砲火に阻まれ、あまりに機体が大きかったので目測をあやまり、かなり遠距離からの攻撃に終始し有効弾が得られなかった。
日本軍がフィリピンを攻略すると、多くのB-17が完全な形で鹵獲され、その機体は戦意高揚のために日本各地に展示された。
鹵獲された機体は、陸軍を中心に研究が進められ、防弾設備の優秀さ、絶縁体、バネや艤装に目をみはった。
絶縁体やエンジンの弁バネ一つとっても、資源の少ない日本では実現できない技術が使われていた。
日本の爆撃機は、職人が手作りで組み立てるような手間がかかったが、B-17は非常に合理的につくられており量産に適していた。
しかし、日本は優秀なエンジンの開発すらいたらず、ついに四発の爆撃機を実用化することができなかったのであります。
<関連>
零式艦上戦闘機(19) 本領発揮!その2 2013-12-14
零式艦上戦闘機(68) 自動消火装置 2014-11-22
零式艦上戦闘機(77) うれしいお年玉!零戦だ~♪ 2015-01-31 につづく~
前の記事 零式艦上戦闘機(75) エンジントラブルを乗り越えて 2015-01-17
<関連記事>
零式艦上戦闘機リンク集 2013-09-14
零式艦上戦闘機のお話や、「所沢航空公園」、「零戦来日」の記事はリンク集を見てね♪
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零式艦上戦闘機リンク集・・・・・・・・・・・・・熈代勝覧(きだいしょうらん)リンク集
【乃木希典大将】シリーズリンク集・・・・・・・JRで行く南紀・伊勢の旅2013リンク集
国立東京博物館リンク集 2013-11-01・・・・・京都どすえ~!リンク集
早春の箱根総集編 2014-06-25
零式艦上戦闘機(76) 零戦を苦しめた空飛ぶ要塞B-17
B-17はアメリカのボーイング社が開発した、四発の戦略爆撃機で、そもそもは、アメリカの国土を囲む長い海岸線を護るために開発された。
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全長 22.6m
エンジン ライト R-1820-97 1200馬力 ×4
総重量 25t ~ 29t
最大速度 426km/h
航続力 3,219km(爆弾2700kg搭載時)
爆弾搭載量(2000kg~4900kg)
武装 12.7mm機関銃 13挺
乗員 10名
生産数 12,700機余り
(ボーイング社のみではおよそ7000機)
世界で初めて、爆撃機のエンジンに排気タービン式過給機を備え、高高度の飛行が可能となり、1939年に第二次大戦が勃発すると、戦闘機の護衛がいらない戦略爆撃機として運用されるようになった。
また、優秀な防弾装備を備えていたため、小型の戦闘機の攻撃では撃墜が非常に困難であった。
ヨーロッパでは、ドイツ軍に圧倒的な優位をたもっていた。
ところが日米開戦直後の、昭和16年(1941)12月10日。
坂井三郎率いる小隊が、フィリピンのニコラスフィールド攻撃の際に、B-17と遭遇し執拗な反復攻撃によって撃墜されてしまった。
これがB-17が撃墜された初めての記録となった。
しかし、全般的には零戦はB-17に手こずった。
果敢に攻撃を仕掛けるも、強力な防御砲火に阻まれ、あまりに機体が大きかったので目測をあやまり、かなり遠距離からの攻撃に終始し有効弾が得られなかった。
日本軍がフィリピンを攻略すると、多くのB-17が完全な形で鹵獲され、その機体は戦意高揚のために日本各地に展示された。
鹵獲された機体は、陸軍を中心に研究が進められ、防弾設備の優秀さ、絶縁体、バネや艤装に目をみはった。
絶縁体やエンジンの弁バネ一つとっても、資源の少ない日本では実現できない技術が使われていた。
日本の爆撃機は、職人が手作りで組み立てるような手間がかかったが、B-17は非常に合理的につくられており量産に適していた。
しかし、日本は優秀なエンジンの開発すらいたらず、ついに四発の爆撃機を実用化することができなかったのであります。
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どこかで戦争を止めるはずだったのに、あまりに鮮やかな進撃によって、歯車が狂ってしまったんでしょうね。
まだまだ、掘り起こしますよぉ♪
上に見える機銃の回転機銃がどれだけゼロ戦を苦しめたのか
若い頃戦時中の戦艦やゼロ戦に憬れて読んだ本に載って居ましたね
小学生時代には空母赤城を木製で作成して夏休みの工作で出品しました
話がそれましたが、日本軍はとうとう四発の爆撃機は制式機には有りませんものね
開発でもこれだけ遅れて居たのに戦争を仕掛けるなんて無謀ですね
戦争は嫌いですが、古い物は好きですのでこれからもお願いいたします
ありがとうございました