人は、
一万日生きますと27歳、
二万日生きますと54歳、
三万日生きますと82歳ぐらいですかね。
二万日ぐらいあっという間にやってきてしまいましたね~。
ですから、これからの毎日、こんなことをしてていいのか?何とかしなくっちゃ!っと、右往左往する自分がそこにいるだけです~(笑)。
私の末路が、×(バツ)路にならないようにしたいものです~(爆路)。
毎日を 無駄にしないための 「たとえ話」
~法話「心の時代を生きる」(6)~公開: 2016-09-20
ハッピー・サイエンス・サイトより、抜粋・編集
https://happyscience.me/#/news/20470
人生は、3万日くらいしかない
前回は、「私が出している、あの世の霊人からの言葉や思想は、この世の学問を修めた上で、理性や知性を持って、『確実にある』と判断して出しているものである」という話をしました。
そして、「人間の本質は、死んだら終わりではなく、生まれる前の過去も、死んだ後の未来もある、生き通しの人生である」と述べ、「生き通しの人生だということを知って生きると、非常に価値のある人生を生きることができる」と説きました。
人間は、生き通しの人生を生きています。そして、今世生きる時間は、2万日から3万日くらいです。わずか、そのようなものです。たくさんあるのかと思ったら、そんなにはないのです。3万日も生きたら、百歳を超えてしまいます。なかなか3万日も生きられないです。
私も、もう2万日くらいを費やしてしまい、「あと、残り幾らかな」と思っています。
2万数千日くらいが普通の人生であり、残っているのはあと何日かを考えたら、一日一日が、毎日消えていくのです。3万日は、なかなか超えられません。普通は、2万日を超えて、あと少し、何千日ほどです。一日一日が消えていきます。ですから、この一日一日で、何をするかということは、ものすごく重要なことです。今日一日を無駄にしないことは、とても大事なことです。
私くらいの年齢の人は、もうすでに、過去、2万日近くを使っているはずです。読者のなかには、まだ若い人もいれば、もっと年齢の高い人もいると思いますが、「3万日はそう簡単に超えられない」ということは、考えなければいけないと思うのです。
すると、一日一日が、ものすごく大事なものになるわけです。毎日を大切にしなくてはいけないわけであり、「毎日をどう生き切るか」ということが、とても重要なことになるのです。
そういう意味では、哲学や仏教の禅などでも、結論的には似た考え方はあるかと思います。
飛べなくなった野鴨の話
人生における生き方ということに関し、このようなたとえ話があります。
あるとき、親切な老人がいて、渡り鳥になって飛んできた野生の鴨に餌付けをしていたらしいのです。彼は一応、健康な食料を与えていたのですが、餌をくれるものだから、野鴨は、「寒くなったら、南に飛んでいかなくてはならない」という習性を忘れるようになりました。そして、その場から飛んで行かなくなってきました。みんな太ってきて、飛べなくなってしまったらしいのです。
そしてある日、その親切な老人が、コロッと亡くなってしまいました。それは大変です。太った野鴨たちは、空を飛べなくなっているのです。「さあ、困った、どうした」ということです。彼らはもう、渡り鳥の習性を失ってしまったのですね。
そして、野鴨は死んでしまったというのです。これがキルケゴールという哲学者が語ったとされているたとえ話です。彼は、生きていたときはあまり有名ではなく、無名に近かったのですが、ドイツのハイデガーという哲学者が、有名にした人です。
この野鴨の話は、いわゆる「実存主義」という哲学の始まりのところです。このキルケゴールという人は、不幸な生まれであり、元お手伝いさんとの間に生まれた子供で、病気も持っていた人でした。
今、当会もよく、月刊「ザ・リバティ」の号外やチラシを撒いていますが、キルケゴールも教会に対して、「瞬間」という題の小冊子で批判していました。「月曜日から土曜日まで、毎日ぐうたらぐうたらと堕落した生き方をしていながら、『日曜日だけ教会に行ってお祈りをしたり、心を清めたりしたら、それでいいところに行ける』などと思っているなら、君たちは間違っている」「人間は毎日毎日が大事なんだ」「月曜日から土曜日まで怠けていて、日曜日だけで救われると思っているのか」というような調子で批判していたのです。そして、路上で行き倒れになり、最期は、悲惨な死に方をしました。これが「実存主義哲学」の始まりの人なのです。
その人が言っていたのが、先ほど話した野鴨のたとえ話です。
IBMという大きな会社をつくった人の息子である、トーマス・ワトソン・ジュニアという人が、IBMの精神のなかで、「このような野鴨になるな」と話しています。要するに、「人が餌をくれるからといって、それを食べていたら、そのうちだんだん野性味を失って、飛んでいけなくなるようでは駄目だ」というようなことを、IBMの人材に関する考え方として説いているのです。 (以下、次号)
一日一日で、何をするかということは、ものすごく重要なことです。今日一日を無駄にしないことは、とても大事なことです。
2015年6月7日・幸福の科学・立川支部精舎法話より
一万日生きますと27歳、
二万日生きますと54歳、
三万日生きますと82歳ぐらいですかね。
二万日ぐらいあっという間にやってきてしまいましたね~。
ですから、これからの毎日、こんなことをしてていいのか?何とかしなくっちゃ!っと、右往左往する自分がそこにいるだけです~(笑)。
私の末路が、×(バツ)路にならないようにしたいものです~(爆路)。
毎日を 無駄にしないための 「たとえ話」
~法話「心の時代を生きる」(6)~公開: 2016-09-20
ハッピー・サイエンス・サイトより、抜粋・編集
https://happyscience.me/#/news/20470
人生は、3万日くらいしかない
前回は、「私が出している、あの世の霊人からの言葉や思想は、この世の学問を修めた上で、理性や知性を持って、『確実にある』と判断して出しているものである」という話をしました。
そして、「人間の本質は、死んだら終わりではなく、生まれる前の過去も、死んだ後の未来もある、生き通しの人生である」と述べ、「生き通しの人生だということを知って生きると、非常に価値のある人生を生きることができる」と説きました。
人間は、生き通しの人生を生きています。そして、今世生きる時間は、2万日から3万日くらいです。わずか、そのようなものです。たくさんあるのかと思ったら、そんなにはないのです。3万日も生きたら、百歳を超えてしまいます。なかなか3万日も生きられないです。
私も、もう2万日くらいを費やしてしまい、「あと、残り幾らかな」と思っています。
2万数千日くらいが普通の人生であり、残っているのはあと何日かを考えたら、一日一日が、毎日消えていくのです。3万日は、なかなか超えられません。普通は、2万日を超えて、あと少し、何千日ほどです。一日一日が消えていきます。ですから、この一日一日で、何をするかということは、ものすごく重要なことです。今日一日を無駄にしないことは、とても大事なことです。
私くらいの年齢の人は、もうすでに、過去、2万日近くを使っているはずです。読者のなかには、まだ若い人もいれば、もっと年齢の高い人もいると思いますが、「3万日はそう簡単に超えられない」ということは、考えなければいけないと思うのです。
すると、一日一日が、ものすごく大事なものになるわけです。毎日を大切にしなくてはいけないわけであり、「毎日をどう生き切るか」ということが、とても重要なことになるのです。
そういう意味では、哲学や仏教の禅などでも、結論的には似た考え方はあるかと思います。
飛べなくなった野鴨の話
人生における生き方ということに関し、このようなたとえ話があります。
あるとき、親切な老人がいて、渡り鳥になって飛んできた野生の鴨に餌付けをしていたらしいのです。彼は一応、健康な食料を与えていたのですが、餌をくれるものだから、野鴨は、「寒くなったら、南に飛んでいかなくてはならない」という習性を忘れるようになりました。そして、その場から飛んで行かなくなってきました。みんな太ってきて、飛べなくなってしまったらしいのです。
そしてある日、その親切な老人が、コロッと亡くなってしまいました。それは大変です。太った野鴨たちは、空を飛べなくなっているのです。「さあ、困った、どうした」ということです。彼らはもう、渡り鳥の習性を失ってしまったのですね。
そして、野鴨は死んでしまったというのです。これがキルケゴールという哲学者が語ったとされているたとえ話です。彼は、生きていたときはあまり有名ではなく、無名に近かったのですが、ドイツのハイデガーという哲学者が、有名にした人です。
この野鴨の話は、いわゆる「実存主義」という哲学の始まりのところです。このキルケゴールという人は、不幸な生まれであり、元お手伝いさんとの間に生まれた子供で、病気も持っていた人でした。
今、当会もよく、月刊「ザ・リバティ」の号外やチラシを撒いていますが、キルケゴールも教会に対して、「瞬間」という題の小冊子で批判していました。「月曜日から土曜日まで、毎日ぐうたらぐうたらと堕落した生き方をしていながら、『日曜日だけ教会に行ってお祈りをしたり、心を清めたりしたら、それでいいところに行ける』などと思っているなら、君たちは間違っている」「人間は毎日毎日が大事なんだ」「月曜日から土曜日まで怠けていて、日曜日だけで救われると思っているのか」というような調子で批判していたのです。そして、路上で行き倒れになり、最期は、悲惨な死に方をしました。これが「実存主義哲学」の始まりの人なのです。
その人が言っていたのが、先ほど話した野鴨のたとえ話です。
IBMという大きな会社をつくった人の息子である、トーマス・ワトソン・ジュニアという人が、IBMの精神のなかで、「このような野鴨になるな」と話しています。要するに、「人が餌をくれるからといって、それを食べていたら、そのうちだんだん野性味を失って、飛んでいけなくなるようでは駄目だ」というようなことを、IBMの人材に関する考え方として説いているのです。 (以下、次号)
一日一日で、何をするかということは、ものすごく重要なことです。今日一日を無駄にしないことは、とても大事なことです。
2015年6月7日・幸福の科学・立川支部精舎法話より