~変える必要のない家づくり文化~
㈱清武建設
代表取締役 一級建築士 清武修一
◆ヨーロッパ散策の思い出
『パリ』、『ロンドン』、『バルセロナ』
渡欧を重ね、歩いて廻った事があり
(数十年前のことですが・・・)
18世紀の欧州は、
広告や宣伝が不道徳であるとされ、
大きな看板やショーウィンドーはなく、
『店舗名を示した表札』があるのみで、
美しい街並みを保存する地域が多く、
散策しました。
18世紀のヨーロッパでは、
帽子は帽子屋、
靴は靴屋、鍋は金物屋・・・、
というように専門店制がとられ、
そのような時代背景なので、
口コミや評判で商売をおこない、
前述のように、広告や宣伝が
不道徳という価値観もあったが、
そもそも、広告や宣伝が
必要のない時代だったともいえる。
18世紀の欧州のユダヤの人々は、
ゲットーと呼ばれる地域のみで
生活する事を強いられ、
かつ既成の商売からは締め出され、
キリスト教徒と同じ専門店を
開けない厳しい境遇であった為、
このマイナス要素を逆手に
一つ屋根の下で様々な商品販売を
ユダヤの人々が始めた。
これが、デパートの起源である。
18世紀のヨーロッパで
デパートが発祥し、中世の経済
(ギルド中心の靴は靴屋、鍋は金物屋・・・という職人を重んじた制度)
を変えた近代資本主義へ動き出し、
日本においては、
個人商店を保護する為に、
大型デパート・スーパーの出店には
厳し規制がかけられていましたが、
官僚が威張って
民間のビジネスを縛る規制は、
外資系企業の機会損失、
一般消費者に不利益を生む
という旗印の元、
規制緩和されました。
その結果は、ご存じの通り、
都市郊外の幹線道路沿いに
巨大ショッピングセンターが
建ち並び、
街の中心地であった
商店街はシャッター通りに。
町の中心が寂れると、
町全体が元気を失い、
たくさんの商店が廃業し、
雇用も失われました。
単に規制緩和をおこなっただけでは、
別の新しい問題が発生します。
地方都市の人口減少は、
街の活力が無くなり、
雇用減少したことが
大きな原因だと感じます。
◆口コミ・評判で運営する清武建設
清武建設の創業は、1968年ですが、
2005年までの間、
二級建築士であり
大工の現会長の時代は、
18世紀のヨーロッパと同じで、
店舗に看板はありませんでした。
広告や宣伝が
不道徳であるという考え方は、
現在では信じられない
価値観だと思われますが、
実は身近な弊社の会長も
そのような価値観を持っており、
良い仕事から、お客様紹介が
いただけるという考え方で、
看板は不要という事でした。
しかし、その考え方を証明するように、
現会長の忙しい40年間がありました。
元請け工事のみで、
お客様とプランのお話から設計、
大工(現会長が棟梁)、他業者(左官、屋根、板金・・・)
の段取りまで
一貫しておこなっていました。
その後、現社長が
家業を継ぐことになりますが、
その経緯の中で、広告や宣伝が
不道徳であるという
会長の考え方に
現社長は悩まされました。
しかし、そのような状況が
あったからこそ、
現在の弊社があり、
社会ニーズの変化、
ライフスタイルの変化で、
お客様とご縁をいただく手段の変化、
家づくりのプロセスに
変化があることは当然ですが、
『お客様の利益にならない家づくりプロセスの変化』も多く、
弊社50年の歴史とともに
考えてみたいと思います。
◆清武建設の創業
筑前町(旧夜須町)に会長は生まれ、
7歳(昭和20年)の時に、
終戦を迎えました。
(大刀洗飛行場へのB29爆撃機からの襲撃も体験したそうです。)
日本全体が戦後の苦しい時代で、
高校進学率4割、
田舎の場合はさらに低く、
会長も家計に負担をかけない為に、
中学校卒業後、大工の
「丁稚奉公(でっちほうこう)」
へ行きました。
「丁稚奉公」とは、親方や兄弟子より
「仕事を教えてもらう?」という事で、
基本的に、給料はありません。
「食事」と「寝床」のみ
提供されるだけです。
何故 「仕事を教えてもらう?」
かと申しますと、
「仕事は、見て覚えろ!」
といわれる事が一般的な時代で、
無給で働き、今では
考えられない環境ですが、
昔は当然のことでした。
過酷な環境ですが、
考え方によっては合理的で、
「高校」や「大学」は学費が必要ですが、
「丁稚奉公」は学費無料の
「職人学校」といえます。
しかし、現在は「最低賃金制度」が
法律で定められ
「丁稚奉公」という制度は違反になり、
無くなってしまいました。
「丁稚奉公」のある時代は、
半人前だと賃金が発生せず、
早く一人前になって・・・・
という思いも強く、
必死に職人としての技術習得を
行っていたと思います。
大工仕事が出来て初めて
賃金が発生すべきですが、
現在は半人前でも賃金が発生します。
それらの理由もあり、「丁稚奉公」の
人件費が発生しない時代は、
大工手間(人件費)が多い
「純和風住宅」を、
一般の方々が
当たり前に建築できていました。
現在「純和風住宅」を建築すると、
あまりにも高額に
なってしまう状況です。
また、現在では、
人件費が少なく簡素化された
洋風住宅が主流になってしまいました。
(システムキッチン等、設備器具が便利になった反面、
設備器具費用が、建築費用を占める割合として増えており、
その理由からも簡素化された洋風住宅になったと思います。)
会長の場合、約十年間の
丁稚奉公(大工見習い)という事で、
「職人」として、
一人前になるという事は
朝倉郡三輪町周辺
(三輪町と夜須町が平成の大合併で筑前町として誕生)
という農業を主体とする、
小さなコミュニティーの中での
口コミの影響は大きく、周知になり
「大工」「棟梁」として
尊敬を持って接していただき
「やりがい」もあったはずです。
田中角栄衆院議員による
田中角栄衆院議員による
議員立法からの建築士制度が
作られて間もない頃、
大工として一人前になった会長ですが、
これから建築士という資格がないと
建築工事(設計)の
許認可が取れない為に必要性を感じ
20代後半から大阪の
建築専門学校(夜間)に入学し、
2級建築士を取得しました。
それから約40年程、
注文住宅の設計~大工工事まで
会長は一貫してやっておりました。
現在の住宅では、建築する事が
少なくなりましたが、
純和風住宅で屋根の反り(そり)
起り(むくり)を表現した
手書きの設計図が
たくさん残っております。
その後、会長も年齢には勝てず
その後、会長も年齢には勝てず
私(社長)は「清武建設」の跡を
継ぐ気持ちで、
上場企業(建築設計・不動産)係長を
経験し30才で退職、
家業(個人経営の清武建設)
を継ぐことになりました。
しかし、意見の衝突が始まります。
しかし、意見の衝突が始まります。
(前述の広告や宣伝が不道徳であるという考え方です。)
筑前町にある清武建設の
「事務所」といいますか
「大工小屋」ですが、
当時、「会社の看板」が屋外になく、
「いい仕事で、次の仕事もある。」
という会長の考え方があり、
「会社の看板」は
不要だと会長に言われ、
実際、会長は看板なし(PRなし)で、
口コミのみで
お客様(施主)からの依頼による
注文住宅の設計~
大工工事までおこない、
仕事が途切れる事はなく40年間、
忙しい毎日を送っており、
反論する事は難しい状況で、
企業として(当時は法人化しておらず個人経営)必要不可欠な
PR(看板設置から広告宣伝)をおこなわない考えは、
会社を存続させる事を考えると不可能であり、
跡を継ぐ、という思いで
脱サラしたのですが、
結果的に跡を継いだ事になるのか微妙な状態ですが、
福岡市東区箱崎ふ頭にて、
支店という形で、
会長に相談する余裕がない中、
10坪の広さの事務所にて
「清武建設・博多支店」を
スタートし、
法人化しました。
その後、福岡市東区箱崎7-2-14
その後、福岡市東区箱崎7-2-14
へ移転し、
現在に至っています。
◆最適と考える家づくりの流れ
~作り手が社会ニーズを変える現実~
この文章を書いている今では、
この文章を書いている今では、
昔の『笑える』思い出になりましたが、
企業PRは不要だという
会長の考えに悩みました。
ガンコな会長ですが、
ガンコな会長ですが、
物事の本質を考えると正しく、
「いい仕事をすれば、次の仕事も来る。」
という事を有言実行し、
会社の宣伝活動なし、屋外看板なし、
そのような状況でも多忙な
会長の40年間がありました。
昔(昭和)の住宅建築は、ご近所の方が
大工さんに直接依頼するケースが
多かった代背景もありますが、
「住宅営業マン」、 最近は複雑化し、
工務店あっせんのプロ、
工務店紹介のプロという職業もあり、
元大工の棟梁であり
二級建築士の会長の立場では、
存在理由が分からないと思います。
現在に至っては会長の考え方は、
極端かもしれませんが、
本質的な考え方としては
謙虚に参考にすべきだと思います。
そこで現在の弊社ですが、
そこで現在の弊社ですが、
近年の住宅建築は「選択肢」が多く、
複雑であり、建築基準法に従って
「建築許可」を取る為に、
「建築士」という職業は必要であり、
弊社の正社員は、
一名の経理担当以外は
全て「建築士」です。
『施主(お客様)』⇔『建築士(弊社社員)』⇔『職人』
上記が『清武建設』の体制で、非常にシンプルです。
『施主(お客様)』⇔『建築士(弊社社員)』⇔『職人』
上記が『清武建設』の体制で、非常にシンプルです。
『施主(お客様)』 ⇔ 『モデルハウス』 ⇔ 『営業』 ⇔ 『建築士』 ⇔ 『下請工務店』 ⇔ 『職人』
このような流れになりつつある現在の住宅業界ですが、
「丁稚奉公」 の会長の時代では、
『施主(お客様)』 ⇔ 『職人』
でしたので、
現在はお客様(施主)との間に、
いろいろなものが
複雑に加わっています。
当然コストが増える事は
一目瞭然です。
個人的な考えですが、
複雑に多くの人が介在する
現代の多くの家づくりは、
間違った社会ニーズの創出であり、
作り手側等(広告コンサル会社・ハウスメーカー等)が
主導して変えてしまった社会ニーズだと思っています。
多くの方の介在は、
施主の安心に繋がり、
有益な面もあると思いますが、
近年は、「構造」、「防水」、「地盤」の保険制度があり、
10年保証(更新が可能で20年30年・・・・)をおこない、
瑕疵保険会社の所属建築士によって、
基礎工事状況、木造の軸組、
耐力壁の状況、完成状況まで、
細かな検査をおこなう体制が整い、
ハウスメ-カー、工務店、
住宅会社による品質の差は少なく、
(材質、仕上げ材の種類、
健康的な素材か否かは
会社によって違いはあります。) 、
複雑に多くの方が介在する家づくりを
おこなう必要はないと感じています。
また、身近な大工さんに
聞いたお話ですが、
大工さんとしての、
「いい家を建てたい」
という思いは、
お客様、設計者と同じ、
あるいは、それ以上なのですが、
ハウスメーカーの指導では、
お客様と直接、職人が話すことは
禁止されているそうです。
何故なら、職人として正しい事を
お客様へお伝えしても、
『営業トーク的には違うケースがある』からとの事です。
会長が 「丁稚奉公」 をおこなっていた時代は、
『施主(お客様)』 ⇔ 『職人』
でしたが、実際に作る人『職人』の意見が反映されない
会長が 「丁稚奉公」 をおこなっていた時代は、
『施主(お客様)』 ⇔ 『職人』
でしたが、実際に作る人『職人』の意見が反映されない
家づくりというものは、何かおかしいような気がしてなりません。
そのような状況が続くと増々、
『職人』さんの「やりがい」
というものが失われ、
木造住宅の伝統文化が
失われてしまう気が致します。
◆弊社の現状
弊社の状況ですが、
一級建築士事務所としての設計業務、
建設業と並行し、ミニ分譲、
また、引っ越しまでに必要な
また、引っ越しまでに必要な
諸費用を含めた総額計算、
住宅ローンの
シュミレーションもご提案し、
家計に負担の少ない事を
確認しながらのご提案が
出来ていると思います。
そして、現在の会長の状況ですが、
体力の衰えで
大工工事は出来ませんが、
現場の片づけをおこなっていただき、
たいへん感謝しています。
『施主の利益にならない家づくりプロセスの変化』
について書いてみましたが、
『施主の利益にならない家づくり工法の変化』についても
弊社にてお話させていただきます。
(要予約になります。)
《参考文献:加瀬英明・ユダヤ人の知恵
山口二郎・政治のしくみがわかる本》
HOME PLAN KIYOTAKE
株式会社清武建設
一級建築士事務所登録
福岡県知事 第1-60550号
建設業登録
福岡県知事 第97896号
宅地建物取引業者登録
福岡県知事 第17677号
設計室:福岡市東区箱崎7-2-14
kiyotakeビル
(地下鉄貝塚駅徒歩8分・Pあり)
相談室:0120-01-5040
定休日:火.水.GW.盆.年末年始
連絡先:092-201-8201
定休日:火.水.GW.盆.年末年始
木工所:福岡県朝倉郡筑前町
㈱清武建設
一級建築士事務所