国費留学生として日本で、勉強し、その後中国に帰国した息子、娘夫婦その間に生まれた子供です。一人っ子政策でこの子は大事な国の宝なのです。
12月26日天津よりの年賀状が今日つきました。
日本在住時は、二人とも、努力家で、早朝のバイトをこなし、大学へ。帰宅後一休みの後 家事をこなし。近くの公衆浴場へ。夜は又バイト。帰宅後勉強。
こんな生活をしながら成績は抜群。バイト代をため、日本の現状を
つぶさに見つめ、
自分たちの将来の夢を持って帰国したのが、10年前。
たまの休みに、少しの暇を見つけて平均的な日本の家庭に興味を持ち、
語学教室で、知り合ったのが縁で、我が家に毎週遊びに来るようになりました
我が家の息子が来るように、「お父さ~ん、お母さ~ん来たよ」と。
色々手伝いはしてくれるし、食事時になると、あっという間に、中国料理を作ってくれるし・・。
折角だからと主人から言い出し、初歩から中国語を教えてもらう事に、反対に日本語を教えるという手順になり、双方ともプラス思考で、午後からの3時間を勉強にあてたのです。
若い二人には叶いません。漢字の国に、育っているので、吸収の早い事。
中国語のあ~→。あ~↗。あ~↘ 基本の抑揚ができません。この↗→↘で意味が全然違ってくるのです。それで主人と共に、半分喧嘩しながら中国語の勉強をしました。
帰国後はゆずりはは怠け、主人は未だに続いています。
ゆずりはから言うと、こんなに大きくなった孫の写真を久し振りに、見せてくれ満足。
習った中国語と、忘れかけたであろう日本語で、手紙を書き始めました。
封書・・この桜、扇は立体的。
天津の大雪。幸せそうな陳さん一家。 150分の中国郵政切手。 除一君。
日本のお父さん、日本のお母さん、遊びに来てください・・と綴られていました。
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引き出しがいっぱいあって次は何が飛び出してくるのでしょう。
国際交流の一端を担われ、素晴らしい体験をされていたのですね。
これからも陳さん一家とは良い交流が続き、中国でお会いする楽しみが一段と増えましたね。
貴重なお写真を見せていただきありがとう。
ホントに間口が広く、活動されてたんですね。
こうして何年も後にも、年賀状が届き
日本のお父さん、お母さんと慕われるのは
ゆずりはさんの明るい性格に所以しているんでしょうね。
とても素敵な記事に出会う事が出来ました(^-^)v
ハンサムな可愛い子に立派に育って、涙が出ました。
結構式場をやりたい・・葬儀屋をやりたい・・と若い人は、とてつもない事を考えました。
その度に、素人ながら、アドバイスをし・・出来る事からと釣り具やをオープンさせ、オープン時には、日本の鯉のぼり大小取り混ぜ、店に飾るようにと送りました。大喜びでした。
今は3店舗にまで、増え毎日忙しいそうです。でも頑張っているとの知らせに、。しています。
中国を愛する・・ホントに、良い子供たちでした。
でもつい日本の同世代と比べてしまいました。
貪欲なまでに、将来を見据え、家庭を持ち、子育てをし・・さてこれからの自分たちは・・と真剣に考えて行動を進めています。
彼、彼女が以前、 ゆずりは さんは仕事をしていないの?・何故?・と不審な顔をしたのが、今も焼きついています。
主婦だけというのは私たちの時代では、結婚すれば当たり前の事だったでしょ。
中国では、物心ついた時には、親は家にいなかった・・家の爺,婆が育ててくれたと言います。
双方の両親とも大学教授。
恵まれた家庭で、育ちながら・・あのバイタリティ
凄いな~と思いませんか?
共産国ゆえに家庭の主婦も男性と同じに働いていたんですよね。
もちろん家事も男女平等、
そんな土壌があったからこそ、ある意味中国は女性にとって進歩的な国だと思います。
大きな国土と、盛んな労働意欲は今世界に注目される国へと変貌しました。
眠れる獅子と言われた中国は、その大きな力でアジアをリードしているんですね。
日本も取り残されないように頑張らねばならないと思いました。
ゆずりは様のフットワークの良さ、この先何処まで発展するのかわくわくしました。