前の職場の研修で、
「祈りの手」(祈る手)
という一枚の絵について考える時間がありました。
※本当に色んな研修受けさせてもらったなぁ笑
学校で道徳の授業に取り入れてるところもあるそうで、
有名なお話のようです。
私は思い出すだけで号泣できる実話なのですが、
ハンス(♂)とデューラー(♂)から学ぶ友情、愛のお話をざっくり紹介します。
(ちゃんと知りたい方はググってください笑)
二人は友人で、非常に貧しい環境。画家を目指し、版画師の親方の元で働くも、全く絵の勉強ができない
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このままだと夢を諦めなくてはならない為、ハンスがデューラーに「交代で、1人が絵の勉強をしている間1人が働いて支えよう」と提案する
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どちらが先に絵を学ぶか譲り合ってなかなか決まらない
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ハンスが「デューラーの方が絵が上手いから絵の習得が早く終わると思う。だから先に勉強してほしい」と言い、デューラーが先にドイツからイタリアのヴェネツィアへ留学することになる
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デューラーは「一日も早く習得してハンスと交代したい」と思い、寝る間を惜しんで勉強する。
ハンスは少しでも多く稼げるように「鉄工所」で働き始める
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2年の歳月が流れてもデューラーは勉強を終えることができない。学ぶほどに奥が深く、もっと学びたい事が増えていく。
ハンスは納得のいくまで勉強してほしいと言い、早朝から深夜までハンマーを振りながらお金を送り続けた。
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数年後デューラーがヴェネツィアで評価を得るようになり、急いでハンスと交代しようとドイツに帰り、二人は再開するも、
ハンスの手はもう絵筆を握ることはできないほどボロボロになっていた。
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デューラーはハンスへの罪悪感と、自分を恨んだり妬んだりしているかもしれない。どうにかして償いたいと思い、彼の家を訪ねる。
しかし応答がなく、デューラーはハンスの部屋のドアを恐る恐る開ける
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ハンスは祈っていた。
歪んでピッタリと合わせることのできない手で、
友人のデューラーがこれ以上罪悪感で苦しまないように、自分の分まで夢を叶えてくれるようにと。
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ハンスの姿に心を打たれたデューラーが「君の手を描かせてほしい」と言って生まれたのが、
「祈りの手」という作品。
もう私、これを打ちながら泣いてる。笑
研修では確か「どちらがより友人想いだと思うか」をディスカッションする…みたいなことをしたかなと。
正解を求めるものではなく、
人には「どちらの心もある」という学びでした。
自分の為が相手の為
相手の為は自分の為
親子の愛でも
恋人との愛でも
同じだと私は思います。
ほんの小さなことでも、
例えば彼女が愛ではなく執着心や寂しさを埋めたい欲求で過ごしていたら
「会えなくて寂しいし連絡もくれなくて酷い」
と自分に矢印を向けて思うところを、
愛があれば
「会えなくて寂しいけど、今は恋人を応援したい。気にしないでほしい。辛いときは私が支える」
となるのかなと。
彼氏側も愛がなければ
「自分は今仕事で忙しいんだから仕方ない。そのくらい理解してほしい」
と、矢印は自分に向いてる。
愛があるなら
「かまってあげられなくて申し訳ない。少しでも早く落ち着かせて連絡しよう。(無理でも一言近況を伝えよう)」
に、
なるんじゃないかなーと。
(どういう行動をするかは人によれど)
ハンスとデューラーのように、自己犠牲が伴わなくとも、
愛から起こる行動は矢印が相手に向いているんじゃないかなと。
そこに胡座をかいて感謝の心を忘れてしまうと、矢印は自分に向いてしまいますよね。
さて、
コロナで思い通りにいかないこの時期(コロナの時期じゃなくても)、
「もっと◯◯してほしい」
この◯◯が、
我慢してほしい
なのか、
かまってほしい
なのか、
手伝ってほしい
なのか、
大目に見てほしい
なのかわかりませんが、
不安や不満を感じたときこそ「ほしい」の矢印は全て自分向きだということを思い出して、
愛する人、友人、家族と向き合いたいなと思いました。
※いつの間にか矢印の話になってしまった
※前のブログに矢印の話があるはずなので気になる方はよろしければ
今日も無事でいてくれる愛する人と自分に感謝❤️