最近、人の余裕の無さももちろん見えますが、
「ありがとう」が活躍する機会も増えたなと気がつきました。
タクシーに乗った時。
お花を買った時。
電話で話を聞いてもらった時。
存在そのものがありがたいと思った時。
大変な時なのに対面で仕事をしてくれる病院や郵便局の方々や、スーパーやコンビニの店員さん。(もっともっとですけど)
そして特に自粛の影響で売上が大きく落ちてしまった方々。
私はただ必要だからそのサービスを利用させてもらっただけ。
心を明るく、穏やかにしたくてお花を買ったり、
貧血がひどくてタクシーに乗せてもらったり…
それだけなのに「こんな時だから利用してもらえて本当にありがたい」と、お声がけをいただける機会が増えました。
お互い様ですよね。
私の職場も売上は大きく影響を受けてはいますが、普段と変わらず稼働はしていて、
やるべきことがあるありがたさや、この仕事も誰かの役に立つのかなと感じました。
前にもここで言いましたが(私も受け売りです)、
「お金は感謝のチケット」です。
タクシーで安全に快適に目的地まで運んでくれてありがとう。
お花を大切に管理して売ってもらえたお陰で、気持ちが明るくなることにありがとう。
食べ物を売ってくれてありがとう。
大切な人と離れていても繋げてくれてありがとう。
お金の動く場所には、ありがとうがたくさんあって、
そのお礼に感謝のチケットを渡す。
このチケットが、次はその人の食べる物やサービスと交換されて、
またありがとうが生まれる。
綺麗事やら偽善と言われても全然かまわないので言いたい。
「やっぱりこの世は素晴らしい。」
生きているこの時間は、本当に数えきれない人や地球へのありがとうでできている。
今私の触れている端末も、世界のどこかで誰かが苦労して地球から分けてもらったものでできている。
働くってすごいこと。
何かを消費するのもそう、
生きてるだけで誰かの役に立っている。
どんなフィルターを通して世の中を見るかで、
起こっていることは変わらないのに、天国にも地獄にも見える。
私は今、何百回目かの「当たり前が当たり前じゃないこと」を学ばせてもらっています。
…………………
そして、
ここからは昨日愚痴を書き連ねたことへの、私なりの考え。
人間は良い面と悪い面、両方を持ってる。
あの人は「良い人」、
ではなく「良い面が輝いている人」だと思います。
何を使って生きていくかは、選べる。
自分の持ち物を分ける人にも、
他の人の分も奪う人にもなれる。
と、言うのも書くのも簡単だけど、
「与える側になりたい」
そうは思わない人もいていいと思いますし、与えたくても与える余裕がない人もいると思います。
ちょっと極端なこと言うと、
夜の暗闇を知らなければお日様の光のありがたさはわからない。
常夏の島で寒さを知らない人は、温かいものありがたさ、心地よさはわからない。
病気になったことのない人は健康のありがたさに無頓着。
甘いものしか食べたことのない人は、甘いものが「甘い」かどうかすらわからない。
辛いことを経験する人しか、
優しさや幸せに気がつけない。
これに似て、
優しくしてもらった経験が無い人(もしくは忘れてしまうほど与えてもらってない人)はたぶん、優しくできない。そんな余裕はないと思い込んでしまう。
トイレットペーパーを買い占めてしまう人は、
困っていた時に誰にも助けてもらえなかったのかもしれない。
(だから仕方ないなんて思いませんけどね笑)
もらったことの無い人は、あげ方がわからないのかも。
そう、思えてきました。
だとしたら、
人に優しくできない人を責める必要はない。
機会と余裕があれば、どこかで優しさをそんな人にこそ分けてあげた方がいい。
一回で伝わらなくてもいい。
私も何回も何回も繰り返し失敗して身に付けてきたことばかり。
今起こっていること、
全てに意味がある。
今はわからなくても。
だから私も、必要以上に心を痛めなくていい。
怒らなくていい。
そう、思いました。
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感謝のチケットを早く大好きなアーティストさんが、受け取れる日がくるように、
今日も手を洗います。
支援も、どうか急いで下さい。
こうしてる間にも、「ありがとう」は消費されてます。
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(なっが。笑
そして最後詩のようになってしまった。まとまらないし。眠いからかな笑)
今日も本当に、色んなことにありがとう。
❤️