~ 権兵衛のつぶやき ~

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吹割の滝

2011年10月25日 | 吹割の滝
吹割の滝

900万年前に起こった火山の噴火による大規模な火砕流が冷固した溶結凝灰岩が片品川の流れによって侵食されてできたV字谷にかかり、そこに向かって三方から河川が流れ落ちるその姿から「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる。
近くには「鱒飛の滝」がある。高さ8メートル、幅6メートルの滝で、遡上してきた鱒がここを越えることができずに止まってしまうことから、かつては「鱒止の滝」と呼ばれていた。
遊歩道も整備されており、またその入り口には沢山の土産物屋があり、観光シーズンには多くの観光客であふれる。水量が大変多いため水難が多発する。
また、水の侵食により1年間で約7センチメートル上流に向かって遡行しており、将来的には瀑布は上流に移動することになる。




昭和11年12月16日文部省より、天然記念物に指定された吹割の滝は、高さ7m、巾30m余に及び、こうこうと落下、飛散する瀑布は、東洋のナイアガラと言われております。
この滝は、凝灰岩、花崗岩の河床上を流れる片品川の清流が、岩質の軟らかい部分を浸食し、多数の割れ目を生じ、あたかも巨大な岩を吹き割れたように見えるところから、
「吹割の滝」の名が生まれました。


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戦場ヶ原「湿原」

2011年10月17日 | 湿原
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戦場ヶ原

戦場ヶ原(せんじょうがはら)は、栃木県日光市の日光国立公園内にある高層湿原である。
標高は約1,390mから1,400mである。

戦場ヶ原という地名は、山の神がこの湿原を舞台に争いを繰り広げたという伝説に由来している。





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戦場ヶ原は、標高約1,390から1,400メートルの平坦地に広がる400ヘクタールの湿原である。
その東側を(南から順に)男体山、太郎山、山王帽子山、三岳およびその山麓に囲まれ、
西側は(南から順に)小田代ヶ原、外山に面する。地内西縁部にはほぼ南北方向に湯川が流れる。

湿原はもともと湯川が男体山の噴火で堰き止められた堰止湖であったが、
その上に土砂や火山の噴出物が積もり、
さらにその上にヨシなどの水生植物の遺骸が腐らずに堆積して陸地化し湿原となった。
この湯川に並行するように、赤沼と湯滝の間に戦場ヶ原自然研究路が設置され木道が整備されている。

2001年(平成13年)、環境省日本の重要湿地500に第1基準および第2基準適合の高層湿原および湖沼として
湯ノ湖および小田代ヶ原とともに指定を受け、その4年後の2005年11月には、
戦場ヶ原のうち174.68ヘクタールの地域が湯ノ湖、湯川、および小田代ヶ原と共に、
奥日光の湿原としてラムサール条約登録湿地となった。

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竜頭の滝

2011年10月14日 | 滝と紅葉
                    
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湯ノ湖に端を発し戦場ヶ原を流れ下ってきた湯川の末流にかかる滝。
長さ約210mの急斜面を途中で二手に別れ、まるで大岩を噛むように豪快に流れ下る。
「竜頭」の名前は、二枝に分かれた滝を正面から見た姿を龍の頭に見立てたものとされ、
二手の流れを髭に見立てたとも、中央の岩を頭部に見立てたとも言われる。

滝は下流側正面の観瀑台から眺めるのがよいと言われるが、
東側面には散策路があり、急流状になっている滝を側面から見ることもできる。
かつては上流部の一部を龍雲滝(りゅううんたき)と呼び分け、
滝下流部と区別していた時期もあったという。
竜頭の滝の黒々とした岩壁は、
男体山の火山活動の末期に噴出したデイサイト質の軽石流が形成したもので、
かつて巨大な湖だった戦場ヶ原を埋め尽くしたものがここまで流れ下ってきたものである。
滝を下った湯川はすぐ下流で地獄川の右支流となり、0.5km先で中禅寺湖に流入している。

新緑やツツジ(トウゴクミツバツツジ)の咲く季節、
紅葉の景観が見頃であると言われ、その時期には観光客で賑わう。
奥日光一帯では紅葉が訪れる時期が最も早い場所でもある。





湯ノ湖(ゆのこ)から流れ出た湯川(ゆかわ)が、
中禅寺湖(ちゅうぜんじこ)に注ぐ手前にある。
奥日光三名瀑(めいばく)のひとつで、
男体山(なんたいさん)噴火による溶岩の上を210メートルにわたって流れ落ちている。
滝壷(たきつぼ)近くが大きな岩によって二分され、
その様子が竜の頭に似ていることからこの名がついたといわれる。
春と秋には、周辺のツツジ、紅葉も美しい。