~ 権兵衛のつぶやき ~

… ☆ 自然体 & 自遊人 ☆ … ♪(*^_^*)♪

香嵐渓

2015年10月18日 | 紅葉

香嵐渓のもみじ
香嵐渓のもみじは、香積寺十一世の三栄和尚が、寛永11年(1634年)に植えたのが始まりといわれている。
三栄和尚は、美しい自然を、より美しくとの願いを込めて、巴川ぞいの参道から香積寺境内にかけて、楓・杉などを、般若心経一巻を誦すごとに、一本一本植えていったといわれています。
また、飯盛山中にあるもみじは、大正のおわりから昭和のはじめにかけて、森林公園をつくるために、青年団・婦人会などの奉仕作業で植えられました。
現在、香嵐渓には11種類の楓があるといわれており、イロハカエデ・ヤマモミジ・ウラゲエンコウカエデ・オオモミジ・コハウチワカエデなどが多く、楓の葉をひとつひとつ見比べてみてはいかがでしょう。

歴史
寛永11年(1634年)に足助にある香積寺の三栄和尚が、巴川から香積寺に至る参道にカエデやスギの木を植えたのが始まりとされる。
さらに、地元住民などの手によって数多くのカエデが植え足されたり、散策道がつくられるなどして現在のようになっている。
また、香嵐渓のシンボルとも言える待月橋(たいげつきょう)が命名されたのは昭和28年(1953年)。
その後3回の掛け替えを経た後、平成19年(2007年)に新たな橋となった。

 


大山「阿夫利神社」の紅葉

2015年10月16日 | 大山阿夫利神社

大山「阿夫利神社」の紅葉

大山は古くから霊山として篤く信仰をされていました。
隆盛を極めた江戸期には年間数十万の人々が来山したと記録されています。
当時、民衆の間では伊勢詣りを始め、寺社に参拝することが大流行していました。
その中で、江戸の町から二、三日の距離にある大山は気軽に参拝できることから、
絶好の行楽地としても愛されたのです。
大山に参拝した後には江の島などへ行楽する事が人気の行程とされていました。
この様子は古典落語「大山詣り」の中にも表されています。

●雨乞いの霊山・大山に鎮座する、大いなる山の神々

大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)は、相模の大山にある関東総鎮護の神社。
大山の中腹に下社・二重社、山頂に本社・前社・奥社、が鎮座しています。

大山は、雨が多いので雨降山(阿夫利山)といわれ、古代から雨乞いの霊山でした。
江戸時代には、大山参詣の大山講が関東各地に組織され、今も続いています。

●大山山頂・本社へは本格的な登山道

下社(標高700m)へは、大山ケーブルカーに乗って行けます。山頂・本社(標高1250m)へは、片道1時間半ほどの本格的な登山道なので、登山相応の格好で…!

 


ススキ

2015年10月06日 | ススキ

箱根「仙石原のススキ」

まるで黄金色の絨毯を広げたように、一面に広がるススキの草原は圧巻!

箱根町仙石原の台ヶ岳北側斜面に広がる草原はススキの名所として知られ、
「かながわの景勝50選」や「かながわの花の名所100選」にも選ばれている。
約18万平方メートルに自生するススキは、秋の深まりとともに黄金色に色づき、
毎年多くの観光客の目を楽しませてくれる。見頃はススキの穂が出始める9月下旬から11月上旬。
この美しい景観を保持するため、草原に雑木が増えないよう毎年3月には山焼きが行われている。

ススキ草原 今昔物語

仙石原は江戸時代初期まで「千石原村」という地名でした。
昔は一面、樹木もない広大な原野が広がっており、
ここを開墾すれば千石もの穀物が穫れるだろうということから名づけられたそうです。
でも、火山灰土壌と湿地のため、それは夢と終わり、
屋根葺き用のカヤを近隣の村に出荷するのが主な仕事だったとか。
カヤ、すなわちススキです。
いまは美しい風景として多くの人たちに楽しまれていますが、昔は生活の大事な糧だったのです。