ふらっと風流記

自分の考えを深堀りしてみたり、意味のない事をあえて残してみたり。
自分の人生を生き続ける為の道しるべを綴ったり。

音楽の楽しみ方についての考察

2021-09-15 20:39:00 | 日記
ロックバンドの変遷を例に考えてみると、その本質が見えてくる。

今回は、
ブルーハーツ
→ハイロウズ
→クロマニヨンズ

*バンド名の頭の「ザ」は省略

言わずと知れた日本トップのロックバンドの変遷だ。

僕の解釈はこうだ。
ブルーハーツ
=めちゃくちゃメッセージ性が強い
その為の、メロディーやリズム歌詞の融合が、人間を身体の内側から揺さぶる感じがする

ハイロウズ
=言葉がシンプルになり、色々な解釈ができたり、言葉遊びをいれたりと、メッセージ以外の部分でも楽しめる音楽

クロマニヨンズ
=より原始的に、音を、音楽そのものを楽しもうという形式

何が言いたいかというと、音楽の楽しみ方は、大きく2つあると考えていて、
①言葉を楽しむ
②音を楽しむ

①は正に、この歌のメッセージは何か?
って事。日本人の多くは、歌詞、めっちゃ見る。

僕もその1人な訳だが、文書と違って良いところは、そこに「音」が加わる事。

文書であれば、全てを説明していかなくてはならない。

一方、音楽は、例えば、「天国行きの切符」という歌詞があるとして、それが果たしてポジティブな話なのか?
それともネガティブな話なのか?

それは、音やリズムで作者の意図を表現する事ができるのだ。
↑これってめっちゃ便利。

ブルーハーツの話に戻ろう。

ブルーハーツでは、全てを出し切るかの様な強烈なメッセージ性は、ハイロウズを経由して、クロマニヨンズになる事で、余計な部分をどんどん削ぎ落としていった感じがするのだ。

もちろん、それは我々の楽しみ方の問題で、僕は、まだまだブルーハーツとハイロウズの方がしっくりきて、クロマニヨンズの音楽性(音を楽しむ)には至っていない。

こうやって考えみると音楽は、「言葉」と「音」で楽しむという事が理解しやすいと思うのだ。

言葉と感情のおはなし

2021-09-14 19:30:00 | 日記
僕らは、目の前の人が何か話している時、その言葉の意味を理解する事で、大きな影響を受けて、感情が揺さぶられたりする。

ただ、言葉を「雑音」と捉えたらどうだろう?

そこには感情を揺さぶる要素がなくなる。

人間は、その雑音を、「言葉」を介して意味合いを理解し、「感情」が揺さぶられるという図式だ。

それぞれの側面を考えてみる。

まずは、「感情」から考えると分かりやすい。

僕は、人間が何かやろうとした時に、1番しんどいと思うのが、この「感情」というやつがある事だと思っている。

最初の文書でも残したとおり、始めの一歩って本当にキツイ。

それは、確実に感情のせいだ。

脳が、始めの一歩を踏み出す前に、全体の労力を勝手に試算する。

ゴールまでの道のりを思うと、思わず、「何の感情もなく、機械的に動けたら楽なのになぁ〜」
などと考えたりする訳だ。

もちろん、「感情」を上手く飼い慣らしている時は、これほど頼り甲斐のあるものもないだろう。

人間にとって、「感情」とは諸刃の剣という訳だ。

一方で「言葉」。
これを上手く使いこなし、「感情」に訴えかけられれば、自分というマシーンを上手に乗りこなす事ができる。

それは、とてつもない武器でもあるが、これに頼りすぎても、良くない。

人間の脳は、放っておくと、やらない理由を物凄く上手に見つけてくる。

思考過多になって、動けなくなるのが目に見える。

長くなりそうなので、今回は、「感情」と「言葉」について考えるに留める

活用方法などは、また、別の機会に預けよう。

言葉・言語について考えてみた

2021-09-13 19:40:00 | 日記
そもそも人類が生まれてきて、どうやって言語を体系化していったのか??

日常生活の中で、生きていく・繁栄していく事につながる事から、ひとつずつ共通の理解を言語にしていったのだと思う。

でも、だとすると、他の動物にも言語が体系化されていても良さそうなものだ。

違いを考えてみると、やはり文字に起こせるかどうかは非常に重要だろう。

なぜなら、文字として残せれば、死んだ祖先の叡智も含めて継承していく事が可能になるからだ。

そして、言語は、その土地の風習や、社会の在り方に合わせて、どんどん変化していく。

きっと、100年後にこの文書を読んだとしたら、違和感が満載なんだろうと思う。

でも、その違和感こそが、人類の成熟していく証でもある。

単純な共通認識なら、どの動物もやっているだろう。

それは、鳴き声だったり、行動によって行われる。

ただ、人類が二足歩行になり、こうして今、自分が文字を起こす事ができているというのは、物凄く幸せな事だと感じる。

最近、TVで、東大に入った外国人の方が、日本語を読むのに、「漢字だけを追っていく」という読み方をやっていたと言っていた。

なるほど。書き方も色々と工夫を凝らす訳だが、読み方も一捻りするだけで、だいぶ面白い。


面倒でも文書書いてみる理由

2021-09-12 20:41:00 | 日記
前回の答え。
頭の中の整理の為。

頭の中で考えている事のほとんどは、昨日も一昨日も考えている事だったりする。

それをこうやって文書にすれば、自分の頭の中を整理する事ができる。

文体も考えた。
「です・ます」にせず、「だ・である」と言い切る形にしようと。

理由は、自分の頭の中身をだしていくのに、丁寧な文体にしてしまうと、自分というより、他人に向けて取り繕った文書になってしまうと懸念したからだ。

つまり、ここでの内容は、他人にどうこうしてもらうものではなく、あくまで、僕個人のためというのが第一にあるべきなのだ。

普段の社会生活における他人に対しての自分ではなく、自分の為の自分自身の内容。

平たく言えば、アイデンティティ・イデオロギーの整理・確認の様なものだ。

人間の頭の中で考えている事は本当に面白いと思うし、実に興味深い。

今、それぞれが、頭の中で考えている事は全く分からない。

それとは別に、社会生活とは、言動をとおして、それぞれが調和していく様だと思う。

そして、僕は、調和する前の個人の頭の中にあるディープな内容が、結局1番面白いだろうと思うのだ。

文書を書いて、その楽しさを享受していこうと思う。

最初の一歩を踏み出す事はなかなかに大変な事である

2021-09-12 17:49:00 | 日記
僕は基本、面倒くさがりである。

なかなかそう思われないのだが、実は相当なものである。

確か、小学四年生の夏休み。

7つ程上のいとこのお兄ちゃんに、
「そんな面倒くさいってずーっと言ってたら、そのうち、生きるのも面倒くさくなりそうだね」
と言われた。

「なるほど。確かに!」
と反省し、5分おきくらいに「面倒くさい」と言っていたものを、できるだけ片手に収まる様にしようと思った。

今考えると、いとこの
「生きる事が面倒くさくなる」
というのは、物凄く的確な人生の真理だと思う。

人間は物事を理解していくうちに、やる前から、それが完了するまでの手間を見積もる様になる。

つまりは、
大人になるとは
=全ての事が面倒だという事にどんどん気づいていく事
だと言い換えられる

人生におけるだいたいの事は面倒なのである。

これが、最初の一歩を踏み出す事に、だんだん勇気が必要になるカラクリでもある。

そんなこんなで、この最初の文書を書いた自分をだいぶ褒めても良い。

では、なんで文書書いたの??
って事は、また次の機会に持ちこそうと思う。