がっつり叱る。そしてそのあとはがっつりニコニコ。
アメとむち。
今まで、叱っていても泣きじゃくるこどもに私の心が折れて、話も全然入ってないからと途中で諦めてやめてしまってたけど、最近はちょっとその先を見据えて、あとで沢山甘えさせてあげよう、いっぱい抱きしめよう。と思うことで敢えて心を鬼にしてます。(鬼瓦っ👹)
良く一般論として、子供が泣いてるとき、親が怒ってるときは、子供は「怖かった」と言うことしか記憶に残らず、何を注意されたかはほとんど頭に入ってない。無意味だ。
…と言う話も聞く。それも大いにあると思う。
けれどもそこでその時伝えたいことを、泣き出したからって止めてたら、後でぶり返しても「なんのこと?」ってならないの?って言う疑問と、そこで終わらせずその先があれば良いんじゃないかと思い始めてやってます。。
特にうちの場合、私が話しているところを敢えて被せるように泣き叫んでくるので、私を話させないようにして話を終わらせようとしてくる。確信犯だなと思うこともしょっちゅうなので。
そしてそれまでは、それで私が負けて止めてしまってたからいけなかったんだと思って。
こどもがそれで通用するって思うから、それを繰り返す。だから状況がなにも変わらない。だからそれをまず徹底的に変えていく。
泣き叫んで私の話を遮ることが通用するかしないかの、その場しのぎの話ではないことを分かってもらう。これに一番時間がかかるけど、ある意味こどもの気の済むまで叫ばせる。こどもだって怒ってる。うまくいかないことに。
そしてこどもが泣き止み落ち着いてきたら、話を聞ける状態になったら、こんこんと話す。
…とうまく書いているけれど、逆に聞く耳を持っているこどもを前に私はビビる(笑)
もちろん、聞いてくれて有り難いなー、と思うのだけれど、こどもって素直だから、そこに私が変な先入観や常識を植え付けないように伝えたいなー。
って思うと、それがとても難しいのね。
これで合ってんの?これで大丈夫??
所詮、私の常識だもんね
…と言う一抹の不安がよぎる。
今日はと言えば前の続きで、自分がされてイヤなことは相手にもしない。についてだけど、簡単に見えて考えれば考えるほど奥が深い。
自分はされてイヤじゃないけど、相手が同じことされてイヤな場合、どうしたら良いか。
そもそも相手や周りのことばかり気にすることで、自分らしさがなくなっていくとしたら、それでも相手ありきの考えをしないとダメ?内容によるよね、なんて思い出すとキリがない。
「自分の中に毒を持て」by岡本太郎
を読んでなるほどなって思ったし(タイトルだけでもインパクト大だし、読むと納得)、最近では「嫌われる勇気」なんて言葉もある。
それが逆にその人の魅力、みたいな。
そういのは、ただのこどもの嫌がらせとは別物なのは分かってるし、両極端な話かもしれないけど、なにかが自分の中でぶれる。
自信を持って「こうしようね!」と大きな声で言えるものが、ないじゃない❗
でも自分なりに一生懸命伝えた結果、また練習ごっこが始まった。
「ママがお友達役ね。…一緒にあそぼー!サッカーしよう。えいっ、えいっ。」
とマネが始まった。
普段は自分のことでいっぱいいっぱいで、ジェスチャーですら、違う方向に蹴るマネをしてたし、自分が楽しむことに精一杯だったけど、私が、
「私の取りやすいところにボールを蹴ってくれてありがとう。」
と言うと、ちょうど良い力加減で、私が受け止める準備ができたのを確認し、私の方を向きながら蹴るマネをしてくれたし、話しかけると無視せず一生懸命聞き頷き反応をしてくれて、私がどんな表情をしているかを読もうとしている意思も沢山感じられた。
これが友達だったら嬉しいだろうなって純粋に思った。
良いじゃないの
まぁ、相手に敏感になりすぎても大変だから、そこそこで良いんだけど、うちは結構そこんとこ低めなので、この先も試行錯誤しながらちょっと多めに伝えようと思います。
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