⚫穢れた水仙婆一派(最近)
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馬鹿も一心の嘘を暴きます!
水仙の嘘を暴きます!
今年の最後にこの記事が間に合って良かったです。
最近、雪もあり、バタバタした日々を送る中で、ずっと考え、調べ、学んでいた事がありました。
それはうめぼしババアという人は、どうしてあんなに偏った物の見方をして、中身のない同じ発言を繰り返すのだろう?
どうして、自分の言葉ではなく、他者の記事を引用して、あたかも自身の主張のように文章をまとめるのだろう?
何故、引用した記事に書かれている、趣旨を無視・逸脱した脚色を正々堂々と書けるのだろう?
(内容の脚色は、引用元の記事への誤解も招くため、ご法度のはずです。)
爺も反論の材料として記事を引用しますが、元の記事はそのままいじりません。
元が変わったら本末転倒になりますから。
うめぼしババアという言葉も中傷だと思っているようですが、何故あちらのグループでの爺の呼び名を自身の責任として訂正することが出来ないのだろう?
(ちなみに、糞爺という言葉を自身の責任として全て取り下げないから、あえてうめぼしババアと読んでいるという記事は過去に書きました。自身の被害の主張しかしませんが、お互い様なのです。)
あちらの他の方が嘘八百の記事を書いたことを正義だと思っているみたいですが、何故嘘八百を正当化するのだろう?
何故、他人の評価を気にして、自分がリアクションしているのだから、相手もリアクションするのが当然。
リアクションをする暇が無いほど忙しいのか!
という記事を書き、フォロワーにリアクションをやんわり強要するのだろう?
文末の短歌(痰火www)は、本人の黒いココロをそのままどころか脚色までして書いていると自身で発信していたので、悪意そのもので考察には至りませんでした。
皆様、どれも思い当たりますよね?
そして、不思議だと思いませんか?
どうしてこんなに変な考え方が、正々堂々と出来るのだろう?
(ここからはうめぼしババアという呼び名を一時封印します。)
上記のたくさんの疑問から、あの方のプロファイリングと書くと犯罪者のイメージがあって失礼に当たるのかな?
人間性の特徴と書いたら良いのでしょうか?
そのようなことを、脳科学や心理学的見地から考え、学び、分析する日々を過ごしていました。
その間に、あの方記事には、よしなしごとがいくつも書かれたみたいですが…
あえて大きな反論はせず、文章に触れる程度に留めて流していました。
これには理由があります。
あの方の下らない中身のない記事を添削するのは簡単なのですが、どこまでも中身の薄い下らない同じ内容の記事を書いているだけなので、添削するのもバカバカしい…
それなら、何故、こんなバカバカしい同じ内容の記事を書けるのか?
もっと根本的な部分について触れた方が、皆さんも分かりやすいのではないか?
そんなことを考え、今に至りました。
本当はこれから書くお話の倍くらいの調べ物や勉強をして気付きも色々あったのですが、爺の勉強が少し足りないために、文章にきちんと起こせないということがたくさんありました。
特にカルトの考え方や洗脳に関してはデリケートな部分もあるので、書きにくいです。
ということで、前置きが長くなりましたが、今回はあの方を「マニピュレーター」と「バイアス」というキーワードで紐解いてみたいと思いま
占いのような、当たるも八卦当たらぬも八卦の内容ではなく、客観的な立場からの分析と心理学や脳科学からの真実の情報なので、論理的な楽しい文章になっているはずです。
それでは、最初のテーマです。
あの方は爺をサイコパスと表現したことがあります。
サイコパスについて調べてみると、Wikipediaにはこのような特徴が書かれています。
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極端な冷酷さ・無慈悲
エゴイズム
感情の欠如
結果至上主義
中でも、最大の特徴は「良心の欠如」であり、他人の痛みに対する共感が全く無く、自己中心的な行動をして相手を苦しめても快楽は感じるが、罪悪感は微塵も感じない。「人の心や人権、尊厳を平気で踏みにじる行動をしながら、そのことに心が動かない」という特徴があり、良心の呵責なく他者を傷つけることができる。
ーーーーーーーーー
これを読んで、疑問に思いました
。
当てはまらない内容もたくさんあるのですが…
最大の特徴と書かれている「良心の欠如」という言葉です。
あの方は、爺に対して、正面から大太刀を振るって「良心の欠如した人間」と断定してきたのです。
ということは、あの方の発言が良心そのものであるということをも示していますが…
果たしてそうなのでしょうか?
若干当てはまらないキーワードもありますが、サイコパスの説明を読むと、4つの定義以降の文章はまんまあの方にも当てはまるように思えます。
今回は、爺がサイコパスとは少し違うという証明はしません。
証明は出来ますが、長くなるので割愛します。
そして、あの方がサイコパスであるとも思いません。
ただし、特徴に一致している部分が多いことは事実としてあることだけお話します。
本題に戻りましょう。
タイトルにもあった「マニピュレーター」という言葉をご存知の方はいらっしゃるでしょうか?
人格を表す言葉です。
サイコパスは人口の1%くらいと言われていますが、マニピュレーターは社会に多数存在しています。
マニピュレーターという言葉自体は、操る人という意味です。
ーーーーーーーーー
自分が得をする目的のために他人を利用する。
一見すると善人に見える。
圧力はかけずに人をコントロールする。
他者の話を利用して精神論をときながら、一度しかった後に甘い言葉をかけるなど攻撃性の見えない形でプレッシャーを与える一方で家族感をアピールして抜けずらい状況を作り出す。
パワハラじゃないから多分間違っていないはずという錯覚を相手に起こさせる。
他者が自分にとって役に立つか?
WinWinの関係が良いはずなのに、何故か自分のWinを相手に分からないように押し付ける。
ーーーーーーーーー
少し分かりにくいので例にしてみましょう。
ある団体で、Aさんがいない時にBさんが、Aさんについて困っていますと話しました。
すると、周りの人達は、Bさんを助けて行こうとBさんを優先して考えるようになります。
ここに心の支配関係が生まれます。
Bさんは、表立って悪口を言っている感じでもないし、暴力を振るっている訳でもありません。
攻撃性を隠したまま人の心を自分の思う通りに支配したい。
これがマニピュレーターの特徴です。
暴力による支配ではなく、気付かぬ間に相手に近寄り、人の心を思い通りに支配したいと思う人。
これに対抗するにはドライに過ごすことしかありません。
爺のあの方への対応そのものでもありますが、主観以上に客観的視点から情報を分析し、淡々と添削をする…
だから、良心が欠如していると錯覚するのかな?
誰かさんの一派の方以外には、180度違う態度でお話していますから、皆さんは錯覚だということは分かると思います。
また、役に立つかどうかの人間関係なので、気付いたら早く離れた方がいいと言われています。
次に、あの方の引用記事の多さから、バイアス(物事を現実とは異なる歪んだ形で認識してしまう現象)をテーマに考察をします。
認知バイアスという言葉があります。
これは、先入観や思い込みを持ってしまうと合理的な思考が出来なくなってしまうというバイアスです。
物事の判断が、直感やこれまでの経験にもとづく先入観によって非合理的になる心理現象のことで、認知バイアスは、事例証拠や法的証拠の信頼性を大きく歪めてしまうことがあります。
また、確証バイアス(認知バイアスの一種)というバイアスもあります。
確証バイアスとは、自分がすでに持っている先入観や仮説を肯定するため、自分にとって都合のよい情報ばかりを集める傾向性のことです。
ここまで読むとすごく分かりやすいと思いますが…
他者の記事(自分にとって都合の良い情報)を集め、自分が持っている先入観や仮説を肯定するために使う。
これって誰かさんの記事の組み立て方そのものであることは、皆さんが理解しやすいと思います。
このタイプの人は、客観的な視点や俯瞰的な視点での物の見方が苦手で、自身の思い込みで行動をしがちです。
しかし、仮説は仮説でしかなく、合理的な思考が出来なくなっているために、歪みや思い込みに走ってしまうのです。
最後に、バイアスとマインドコントロールについて少し書きたいと思います。
人は不確実な状況に置かれた時、早く楽になりたいという心理から、リスクの高い選択に惹かれます。
これを疑似確信効果と呼びます。
救われると思い込み、怪しい宗教の勧誘に乗ってしまう。
という例が分かりやすいでしょうか。
このように、不確実な状況で楽になるために、本能に訴えかけてバイアスをかけることこそ、マインドコントロールに結び付きます。
あくまでもバイアスがかかっていますので、物事を現実とは異なる歪んだ形で認識してしまう現象です。
それを防ぐ最大の方法は、客観的・俯瞰的な視点で物事を見て、フラットに判断することです。
引用記事を多用し、自身の不確実な持論を展開する(確証バイアス)
誹謗中傷と連呼するが、具体的な話が出てこない。(バイアス)
明らかに誰が見ても正しいことも認められず、歪んだ結論に結びつける。(認知バイアス)
いいね等のリアクションを相手もするのが当然という常識から考えても間違った考えに囚われ、記事に起こして、相手にもやんわり強要する。
また、自身もリアクションをたくさんもらうために日々リアクションをし続ける。(マニピュレーター)
ブログを辞める、休むと公言し、実行しないのは私の自由と結論付ける(認知バイアス)
これって、誰かさんそのものではないでしょうか?
爺が客観的視点で物事を考えがちであることは、爺のブログを読んで下さる方なら納得して下さると思います。
これは、仕事で身についたスキルです。
そして、現在、ブログ上で誰かさんに物申している皆さんも客観的視点の持ち主の典型みたいな方々です。
一番分かりやすいのは、Mさんでしょうか。
爺を応援して下さっていますが、双方の話が聞けない以上、結論付けることは出来ないという立場をずっと守っています。
これこそ主観だけでない客観的視点での典型だと思います。
皆さん、売り言葉に買い言葉ではなく、一度情報を噛み砕いてから物申されています。
だから、誰かさんのような抽象的な表現は一切しません。
しかも、現在進行形であの方に対して怒りの感情を持っている方は、全く相互に関係の無い3つの出来事をあの方が引き起こしたことがキッカケになっています。
(このメンバー以外にも、新たに不信感と怒りの感情を持たれた方を最近知りましたが、今はまだ明かしません。)
3つの出来事に共通しているのは、あの方のバイアスからの思い込みでの断定が原因だと言うことです。
それらを考えても、あの方の発言の不確かさが露呈されます。
そして…
この全く違うきっかけから知り合った皆さんに共通している面白いことがあります。
それは、リアクションに全く固執していないということです。
最初からリアクションを出していない方もいれば、爺みたいに毎日のリアクションが10にもならない記事ばかりというパターンもありますが、リアクション欲しさでブログを書いている訳では無いので、全く気にしていません。
時々、タイミングがあって、アピールチャンスを活用することがあります。
そうすると、リアクションが増えるのですが…
その増えた方の多くは、明らかにリアクション欲しさで内容もろくに読まずにいいねを押す方と感じています。
だから、爺はお礼のいいね行脚は一切しません。
あくまでも、相手の記事を読んで、それに相当するリアクションがある場合のみリアクションをするだけです。
そうすると、一日に読めるブログの数なんて、大した数字にならないです。
だから、相互フォローも少ないし、リアクションも自然と少なくなります。
しかし、爺の記事を読んでいる人数はリアクションの比ではありません。
毎日、数百人単位の方々が爺のブログを読んでいます。
サーチエンジンを差し引いても百人単位の人数です。
最近、爺のブログは誰かさんに関する記事が減ったので、アクセス数も減るかな…と思っていたのですが、全く減らないのは誰かさんの効果なのでしょうか?
後半は下らない話もたくさん混じりましたが、そろそろ結論に向かいたいと思います。
今回、誰かさんの記事を書くことを休んで、時間をかけて人となりから見える心理や行動の分析と学習に時間を費やしました。
誰かさんの歪んだ考え方は前述の通りなので省略しますが、異を唱えている皆さんに共通項がたくさんあることに驚きました。
そして、その共通項は誰かさんと全く逆のベクトルを持った共通項であることにも驚きました。
あとは、この記事を読んだ皆様が自身で客観的に考えて判断することです。
皆様、今回の言った言わないではなく、分析したというテーマの記事をどう捉えるのか…
自身でも、まだ勉強不足の点は認めます。
何とか年内に記事にしたくて、このような内容になりました。
なので、異論、反論も自分の糧になりますから大歓迎します。
思うことを気軽に書いてみませんか?
追記
恐るべき事実を知りました。
何気なく…
Yahoo!の検索で「gooブログ」と検索した時の関連ワードがこちら。
これってカリスマ?
影響力?
gooブログのブログ数って、ものすごいと思うのですが…
爺が思う理由なのかな?
空き樽は音が高い
ということわざのごとしでしょうか?
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