LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

火山灰でフライトキャンセルくらい超いらつく。サイテーな一日

2010年05月11日 | スペイン・ポルトガル日記
5/11 マドリッド←なんで今夜もここにいるんだよ。。

2,3時間寝て朝6時起床。シャワーを浴び7時チェックアウトし地下鉄2回乗り継いでマドリッド空港ターミナル4へ。

空港施設に入りモニターで自分のフライトをチェックし青くなる。そこには無機質に「CANCELADO」の文字が。。。



嘘だろ。。マジかよ・・と思いながらとにかくチェックインカウンターへ。たぶんほとんどの客には前もって連絡が行ってたのであろう。カウンターには10数人ほどの何も知らずに荷物をまとめてきた人達だけが途方にくれていた。。もしかしたら自分にも連絡は来ていたのかもしれない。この回線をつなげていない携帯電話に。。

カウンターにはフィンエアーのスタッフ3人が「はいはい、残念ね、火山灰だよ、例の。天災だからね、私たちのせいじゃないよ」という表情(事実そう言った)で対応してくれた。最初は明日のフライトに変更ということで一旦引き下がったが、明日飛ぶ保証もなく、また明日この空港に早朝来るのも嫌だったのでイベリア航空のフランクフルト経由ヘルシンキ行きに変更してもらう。(このフライト変更作業もフィンとイベリアのカウンターを何往復もさせられかなりイラツク)

10:10出発予定だったフライトはこれで15:50に。5時間も遅くなりフランクフルト経由ということもありヘルシンキ到着は22:50。今日午後6時ごろ会って3泊させてもらうつもりだったヘルシンキのカティヤさんに国際電話し真夜中の到着になります、ごめんなさい。と国際電話しマクドで時間潰し。この空港、無料WIFIがない。今時ネット繋がらない空港なんて在りえね~と憤る。

どうにか4時間ほど潰し午後2時頃厳しい手荷物検査場を抜けモニターでゲート番号をチェック。そこでまた体が硬直する。そこには我がフランクフルト便に「CANCELADO」の文字が。。こんなことありえるのか!ほとんどのフライトがキャンセルならまだしもキャンセルになってるのは朝のヘルシンキ便と、この苦労して取ったフランクフルト便とどうでもいいセビーリャ行きの3便だけ。キャンセル便の変更フライトがまたキャンセル・・2便続けてキャンセルなんてすごい確率である。

茫然自失のまま、朝のフィンエアーのチェックインカウンターへ。とき既に遅し。奴らはサツのガサイレを察知した違法滞在者のように既にモヌケノカラであった。じゃ、しようがない。今ボールはイベリアにあるんだからイベリアがどうにかしてくれると思いカスタマーサービスの長い列に並ぶ。

ようやく順番が来たと思ったら、イベリアのお姉ちゃんは「うちではフィンエアーの承認がないとなんにもできません」ともっともなことを言う。フィンエアーのスタッフいないんだけど、というとターミナル1にオフィスがあるから行け(これはたぶん嘘)という。いなかったらどうすんの?って言ったら自分でここに電話しろとフィンエアーの電話番号(これも古い番号だった)をくれた。

もう何が正しいのか、誰を頼ったらいいのか、もう訳が分からなくなりイライラ度はもう既にレッド・ゾーン!このキャンセルされたフランクフルト線チェックインしているのは我々だけ(朝10時頃代替フライトとして特別にチェックインしたため)なのでまったく問題視されず、え、なにそれ、あっちいけ対応される。

なんにもできない、しらない、やらないカウンターの姉ちゃんではなくちょっと偉そうな感じの男に状況話してみても、こっちにできることはなにもない、と面倒くさそうだから俺に話すなよ・・ばりに言われる。可能性のある代替フライトは次々に飛んでいく。時間との戦いに気が焦る。

電話用にコインを用意しフィンエアーに電話。応答メッセージでここではなくxxに電話しろとかでイライラはド・ピークへ。数ユーロ使わされようやく人間につながり明日の通常フライトで行くからと話してとりあえず決着。

とにかく今日のヘルシンキ着だけはなくなったことでカティアさんに明日飛行機、飛んだらいきます、いろいろゴタゴタしてすんませんと電話。

今度は預けた荷物を回収するため空港内をまたまた大移動。人に聞きながらバゲージクレームまでたどり着く。約40分ベルト前で待たされようやく出てきたときには俺は身も心も空っぽになっていた。。(このときロンドン経由成田の代替で帰ろうとした日本人に、いや~ロンドン便もキャンセルくらいました、と再会し地べたに座って荷物が出てくるのを一緒に待つ)

午後5時重い荷物をまた背負ってきた道を戻る。違う種類の疲労。不安と疲労の中行き詰って助けを乞うても誰も助けてくれない孤独と焦燥。人ってこんなに冷たくていい加減なものなのか。とひどく落ち込む。スペイン人根は明るくていい人達だけど今日会った奴ら全員頭悪くていい加減だ。

午後6時。一昨日泊まった宿にチェックイン。ベッドに荷物を置き放心状態。。なんでまだここにいるんだよ。。

夜9時。マドリッド初日に行ったジャパレスで幕の内弁当。もちろん美味しかったが初回の感動は無く。。

イベリアとフィンエアー、誰がこんなクソ航空会社(つーかいいかげんなのは人か)2度と使うか!!ぼけ。と怒り収まらず。明日はすんなり飛べよ。けっ。

マドリッドのフラメンコな最後の夜

2010年05月10日 | スペイン・ポルトガル日記
5/10 マドリッド

お昼12時、先日WEBで見つけたマヨール広場すぐ隣の25ユーロの宿にお引越し。マドリッド最後の日なのでちょっとお買い物。今日もなんとなく体だるく気合の入らない一日で夕方部屋に戻って昼寝をしたりして過ごす。


【プエルタ・デル・ソル】

夜22時前、20分ぐらい歩いたところにあるレストランへフラメンコを見に行くが満席と軽く断られる。それでも諦めきれずまた20分歩いて違うタブラオへ。21:30から既にショーは始まっていて途中からの入場ではあったが、それでも・・と入る。



食事を取ると高いので1ドリンク付35ユーロ。観客席は既にいっぱいでちょっと離れたところからステージを横から見下ろす感じの席へ通される。近くがいい、と駄々をこねてはみたが座ってみれば全体を見渡せるいい席であった。



さて、フラメンコ。魂を揺さぶるギター、歌声、手拍子、タップ、そして踊り。プロのフラメンコは確かに素晴らしく感動した。それでもセビーリャでみた素人連のフラメンコの方が「滅茶苦茶」感動したけど。。スペイン最後を飾るにふさわしい夜であった。



0時前タブラオを出てマクド経由で部屋に戻り、荷物のパッキング。とうとう明日はフィンランド!日本に近づきます。。

トレド観光&マドリッド・ラス・ペンタス闘牛場

2010年05月09日 | スペイン・ポルトガル日記
5/9 マドリッド

もうこの旅も終盤だと言うのに朝も相変わらずちんたらしてたら11時。今日は空いてた安い部屋に移る。

12:20メトロでAtocha Renfe駅到着。すぐ乗れると思っていたアトーチャ駅発トレド行きは本数少なく次の13:50まで待たされることに。今日は午後7時から闘牛見に行くことにしていたためトレドでの時間が結果的にほとんど取れなくなり、朝ゆっくり寝てた自分にまたまた自己嫌悪。

乗る列車Avantは日本でいう新幹線。席は広々。



快適すぎてまたほとんどを寝てすごす。30分後の14:20あっという間にトレド到着。雨の中5ユーロの観光バスでタホ川に沿ってトレドの街を外から見渡す。エル・グレコの愛したトレドは白く輝く美しすぎる街。観光バスの2階で段々強くなる雨に右半分ずぶぬれになりながらシャッターを押し捲る。



アルカサルでバスを降りあてもなく街を歩く。さっきまであんなに降ってた雨は上がり一気に青空が広がる。さっきの雨はなんだったんだ。。30分早く上がってくれたらすごすぎる景色が俺のものになったのに・・。


【カテドラル】

日曜ということもあってお店はかなり閉まっていて活気がいまひとつであったが街自体は訪れたスペインの中で明らかに毛色が違っていて趣き深い。1泊パラドールで泊まってみたかった。

帰りの列車は17:30。焦るようにローカルバスでトレド駅に戻り、また車内で爆睡。



18:00マドリッド・アトーチャ到着。地下鉄を乗り継いでVentas駅へ。地上に上がったらそこはラス・ペンタス闘牛場で周りは既に人でいっぱい。一気に気持ちが盛り上がってくる。



ソンブラ(日陰。日向より高い)テンディド(1階)の席を30.3ユーロで購入し18:45場内へ。クッションも1.2ユーロで調達し自分の席へ着く。場内はほぼ満席。



アリーナに光と影が半ばする19:00ファンファーレとともにマタドール、ピカドール、バンデリーリョ登場。ついに闘牛劇場開幕!

●さてここで闘牛の流れ●

1.牛の登場。これから起こる悲劇を知らずに元気よく走って入ってくるのがイタイケ。

2.助手たちがマントを振り牛を走らせる



3.ピカドールが2回槍で牛の背中をグリグリ突く(血が一気に噴出す。ここが見ていて結構きつい)。




【目隠しされ訳も分からないまま牛に突進される馬もかわいそうで実際時々牛に転がされていた】

4.バンデリーリョが2本ずつ3回短銛を牛の背に打つ。



5.満を持して真打ちマタドール登場。



ムレータと剣を使って演技する。


【牛と人のダンスが流れるように連続すると「オーレ」の掛け声と拍手が起こる】

6.仕留め。


【このポーズから仕留めにいく】



【牛を苦しませず一瞬にしてとどめを刺すのが美しいらしい】


【死に切れない牛には後頭部にナイフが入れられる】

7.見事な演技には観客から白いハンカチが振られマタドールはかっこよく場内一周!見事じゃなければ拍手なく即退場で終了。


3グループが2回づつ演技をして計6回。つまり6頭の牛が天国に。最初の2,3回はまだ興味を持って見れたがあとは同じことの繰り返しのように思えてしまう。




夜9時を回ると太陽も沈みようやく最後の演技。最終回の6回目に登場のマタドールは1回目それほど見所もなく終わった人。なんか動きが荒いなーと思ってみていたら牛(この牛がまた今日の中で一番元気であった)を避け切れずに鋭い角の餌食になり何度か転がされる羽目に。抱えられてあっというまに退場。(ちなみに牛は他のマタドールにきっちりとどめを刺された)



こんなこともあるんだな。角の刺され所が悪ければ即死もある。命を張っているというのは本当であった。21:20終了。

スペインの国技、闘牛。見ることができていい経験だったけれど、もういいかな。文化として理解するにはちょっと難しすぎた。20分後には刺されて天国に行く事を知らずアリーナに飛び込んでくる牛がとにかくかわいそうで。。(前の席に座っていた女性は1回目が終わると彼を置いたまま出て行った・・)

午後10時頃ソルに戻り、前回行った日本食レストランに行ってみたら閉店。味噌汁飲みたかった。。変わりにBARで生ハムクロワッサン。



アルハンブラで風邪をひく

2010年04月23日 | スペイン・ポルトガル日記
4/23 グラナダ

宿のちょっと日本語喋る陽気な親父の進言どおり朝07:45にはアルハンブラ宮殿のチケット売り場の列に並ぶ。予約無しの当日販売分は売り切れる(または入場を待たされる)ことがあるというのだ。が、行ってみるとたいした列でもなく簡単に09:30ナスル朝宮殿入場チケットをゲット。

カルロス5世宮殿、アルバイシンの白い壁の街が眼下に見下ろせるアルカサバを回る。




【雪山も見えた】


【これがアンダルシアの色】

09:30メインであるナスル朝宮殿に入る。ここがかつてグラナダ王国時代のイスラム最後の砦だったころの名残が随所に現れる。






【この幻想的な写真の正体は・・】


【池に映ったこの建物】

夏の別荘ヘネラリフェを回って終了。超有名観光地だが私的には今ひとつ。。でもその理由はアルハンブラにあるのではなく日本に帰るかどうかで「めちゃくちゃ」悩んでるから。。

昼、一度宿に戻り休憩しその間にヨーロッパの格安航空会社のEasy Jetでマラケシュ-マドリッド間のチケットを取る。愛用Air Asiaをも超える値段設定にビックリ。2週間前の購入にもかかわらず預け荷物なければこの区間2500円ぐらいからある。(船でジブラルタル渡るだけで6000円ぐらいするのが馬鹿らしい)モロッコ往路はゆっくり周り復路は一気にマドリッドまで飛ぶことにしてさっそく予約。

3時過ぎ散歩再開。サクロモンテ、アルバイシンのニコラス展望台、ロナ展望台、カテドラルと回りグラナダの景色を堪能。


【サクロモンテ】




【ニコラス展望台】


【展望台からアルハンブラをのぞむ】


【カテドラル】

夕食は昨日に引き続きの生野菜と電子レンジ用ピザ、いちご。

今日は朝から風邪の兆候があった。時間がたつごとに悪化し夕方にはのどの痛みと鼻づまりに悩まされることに。

セビーリャからグラナダへ

2010年04月22日 | スペイン・ポルトガル日記
4/22 グラナダ

夜中、蚊に手首をやられその痒さと羽音に眠れなくなる。昨日朝、頬をやられたがとうとう蚊の生息地帯&時期に突入したのか。。


【なかなか味のある宿だったけど】

10時半チェックアウト。青空の下、昨日は全く開いていなかったショップが賑わっているのを見てもう1泊したい気持ちを抑えつつ(泊まれないのだ、宿が高くて・・)歩いてバスターミナルへ。


【カテドラルとヒラルダの塔】

12時バスの一番前を陣取り発車。緑の景色の中を3時間。


【スペイン南部で雪山って変な感じ】

15時グラナダ到着。ついたその足でチケットブースに並び明後日のアルヘシラス行きチケットを取る。

グラナダ。初めてこの地名を聞いたのはガンダム。このグラナダと関係あるかどうかはしらんが。。33番のローカルバスに乗りカテドラル前で下車。宿探し1つ目で入ったところが安くて清潔そうだったので即決。


【スペインは雲もかっこいい】

スペインでやたらお世話になっているデパート(実際使ってるのは地下のスーパーだが)のエル・コンテ・イングレスに行き晩飯の買出し。久々に生野菜を腹いっぱい詰め込む。近くでテイクアウトしてきた炒飯もおひさしぶり。

ご飯食べると無性に眠くなり10時前には眠りに落ちる。

スペイン三大祭りのひとつ、セビーリャの春祭りはすごい!

2010年04月21日 | スペイン・ポルトガル日記
4/21 セビーリャ

朝5時前(スペイン時間)、まだ全然夜の明けていないセビーリャ到着。予約した宿はそれほど遠くないことが分かっていたので20分歩いてそこまでいく。人気のない時間ではあったが、時々フラメンコの衣装を着飾った人達と時々すれ違い既に春祭りが始まっていることをあらためて知る。(フェリアの期間は20日~25日)

05:30宿に到着。部屋にはすぐ入れてもらえず夜が明けるまでレセプション前のソファで横になる。12時から入れると言われていたが疲労している様子に観念したか8時前部屋に入れてくれることに(つーか空いてんならとっとと入れてくれてもよかったんじゃね~の・・)。外向きの窓のない暗くちょっと湿っぽい部屋で12時過ぎまで寝る。

シャワー浴びて午後1時過ぎ街ぶら開始。まずはカテドラルを横目にサン・セバスチャンバスターミナルまで歩き明日のグラナダ行きのバスチケットをとる。

さて街中はフリフリの衣装でいっぱい。老いも若きもこの祭りが待ちきれなかったようにおめかし。






【颯爽と会場へ。会場は馬でいっぱい】



スペイン人ってなんか今ひとつ野暮ったいな・・と思っていたが男は正装、女性は髪をアップし花をつけ、ちょっと濃い目に化粧してこの衣装を身に纏うとそれは間違いだと気付く。ばあさんも子供も皆その衣装が恐ろしく似合っていて「はい、私ラテンの血でいっぱいです」状態。



フェリア会場はもう祭りを祝う人達でごった返していた。ひっきりなしに馬車が行き交う景色はもう昔のアンダルシアにタイムスリップしたかのよう。



大きいカセータ(仮説小屋)では飲んで、食べてフラメンコ踊っていた。



その踊りはモウ、ナンカ、ヨクワカラナイケド心にドドド~~ンと衝撃波となって押し寄せ鳥肌が立ちっぱなし。ド感動。手の動きなんか超セクシー。小さい子供に踊りを教える母と一生懸命みようみまねで踊る子の姿はまさしく文化の伝承。



途中首に引っ掛けておいたサングラスを落とした事に全く気付かず。17年前はイタリア・カプリ島で落とした。歴史は繰り返す。。

せっかくの今日の日も天気は4時頃から雨が降ったり止んだり。夕方一度宿に戻り休憩し午後9時過ぎまた会場へ。




【セビーリャの街が闇に包まれてゆく・・】

四方八方から音が聞こえそれにあわせて踊る人達。下手な人は見当たらず全国民プロフェッショナルダンサー状態。これはもう明らかに民族性である。おばあちゃんたちも昔取った杵柄。飛び入りで踊りだしても全く見劣りせず。





それぞれの小屋ごとにグループ化されているようで日本の盆踊りのように皆で輪になって・・というのはないが見てみたい。すごい迫力間違いなし。あとここに阿波踊りの連を1グループ紛れ込ませたらすごい盛り上がりそうだと勝手なことを思ったりした。姿形変われど阿波踊りも負けず劣らずセクシーなのである。だけどほんと人のこんなに美しい動きを見たことがない!

会場では観光客が飲み食いできるところはほとんどなく夜中1時前マクドで食べて宿に戻る。


【宴は夜が明けるまで・・】

なんかすごくいいものをみせてもらった。

人生を楽しむことって何??

Life is GOOD!!



リスボン超豪華クルーズ

2010年04月20日 | スペイン・ポルトガル日記
4/20 夜行バス(リスボン-セビーリャ)


【部屋の窓よりグッモーニン、リスボン】

朝食をとってると昨日ロカ岬で絵を描いていた(一昨日宿で挨拶して顔を覚えてた)日本人の女性Hさんと一緒になりお話しする。彼女は今パリに住んでていろんなところを絵を描きに出かけていてその絵がANAの機内誌に載るとのこと。先日行ったナザレがよかったと教えてもらう。が、朝食食べた後、あまりに窓から見えるリスボンの景色が美しく、また入ってくる風があまりに心地いいので2度寝。12時のチェックアウトギリギリまで寝てしまいナザレ行けず。

サン・ロケ教会近くのMiradouro S Pedro Alcantaraはリスボンの街が見下ろせる絶景ポイント。ここの椅子でまた寝てたら一仕事終えた絵描きの人にまた再会しテージョ川の船から見える景色もいいよ、と教えてもらったので港へ。15ユーロの観光ボートもいいと思ったが、片道85セントのジモッチー用渡し舟で往復することに。



川から見上げるリスボンの街も素晴らしい。10分もしないうちに対岸の町へ。



観光客もいないただの町だが川では釣り糸を垂れている人がいたりしてのんびり。アマゾンの河口もこんな感じなのかな、と勝手に夢馳せてみる。。

1時間ほどボーっとしたあと船でCais do Sodreに戻る。




【リスボンの警官はセグウェイ乗ってます】

宿で荷物を取り7時半にはセッテ・リオスバスターミナルへ。駅でアイス売ってたおばちゃんに余った2ユーロ分(紙のSUIKAみたいなやつ。リスボンのそれは複数人で使用できないと知らず多めに買ってしまい余らせてしまった)のメトロチケット進呈。

20:50セビーリャにむけて夜行バス発車。


中学生のときから行ってみたかった場所へ・・ユーラシア大陸西の果て、ロカ岬

2010年04月19日 | スペイン・ポルトガル日記
4/19 リスボン



レストランで簡単な朝食をとり8時40分外出。まず昨日の朝来たルートを逆に歩きバスターミナルへ行き明日夜行のセビーリャ行きチケットをとる。丁度スペイン三大祭りのひとつ、セビーリャの春祭りとぶつかるためか、明日は夜行しか空いてないと言われる。祭りを狙ったわけじゃないけどたまたまタイミングばっちりで嬉しいことに。

Rossio駅で世界遺産の街シントラまでの列車とロカ岬までのバスの往復チケットのお得セットを購入し10:01発SINTRA行き発車。40分ほどで到着。





雰囲気のいい街を歩き見所を3つほど回り駅へ戻り12:50バスに乗りずっと訪れてみたかった場所へ・・・・。

ポルトガル・ロカ岬。ユーラシア大陸の西の果て。この向こうはアメリカ。中学生の時からこの岬の名前を知りずっと覚えていた。13:30バスの窓から緑の大地の向こうに蒼の大海原が見えてきた。



ああ、これがロカ岬。。地図帳に○してたロカ岬。

茶けた崖の大地に打ち寄せる波、という勝手なイメージとは逆に、緑のじゅうたんにはたくさんの春の花が咲き誇り・・

海は飛行機上空から見ているように全く微動だにせず蒼の濃淡がただただ美しい。なんだかとっても幸せな2時間半をここで過ごす。ユーラシアを東から陸路のみでここまで来れたならその感動の大きさはいかほどであっただろうか。。そう思うとちょっと残念であった。





16:00バスに乗りCASCAISへ。せっかく来たからと街ぶらしてみるがこのあたりはビーチリゾートと思われまだ海で日焼けには早いこの時期まだ閑散としていた。リスボンへ戻る列車の車窓からは右手に長いビーチが見えていた。

リスボン・Cais Do Sodre駅からずっと歩いて宿まで戻った時には午後8時。

セビーリャの宿を検索してみたら案の定、宿代大暴騰。朝5時過ぎセビーリャ着いて暗闇の中さまようのは嫌なので泣く泣く予約を入れた。入れたら入れたで春祭りすごく楽しみになってきた。



ロカ岬、とにかくよかった。地図帳見るのが大好きだった若かりし頃の自分に言ってやりたい。「そこ行ったぞ!!!」

Life is GOOD!!

ポルトガル・リスボン到着。以外にいいとこ・・

2010年04月18日 | スペイン・ポルトガル日記
4/18 リスボン

夜中遅くまで黒人たちは大声でお喋り。それにも負けず眠る。朝6時(スペインとの時差1時間あり。日本と8時間)リスボン到着。目の前がメトロであるがなんと首都のメトロが6時半頃まで開いてなかった。なんで?日曜だから?

宿最寄のメトロで降り予約入れた宿を探す。来るまで知らなかったがリスボンは坂の街。それもかなりきつい。。バックパックが重い。。詳細地図も持っていなかったのでメトロにあったMAPをiphoneで撮影して人に聞きながら探す羽目に。20分ほど歩いてようやく着いたが英語をあまり理解しない夜勤のおじさんが「部屋無い。10時OK」といったので荷物を置いて外に出る。

すぐ隣にカフェが開いていたのでパンとエスプレッソの朝食をとり散歩。歩いていると雨が落ちてきた。だんだん強くなる。ショックなことにゴアテックスのジャケットの中までちょっと雨がしみこんできてた。もしかしてニセモ・・。帰国したら新宿のL-B・・訴えに行くか。



9時半まで雨宿りしサン・ロケ教会を見て10時になったので宿に。高台にあるこの宿の4階(日本でいう5階)の窓から見えるリスボンの景色はサイコーであった。



いまんとこ部屋の窓から見える景色ヨーロッパNo1!(アジアNo1はラオス・バンビエンで泊まった宿)。外はまだ強く雨が降っていたので昼寝。

3時過ぎ街ぶら開始。



ロシオ広場からコメルシオ広場。テージョ川を眺めながらタルトを食べた後サン・ジョルジェ城へ。



城壁に上がってリスボンの街を見下ろす。



リスボンの知識など何も持たないまま来たがこんなに美しい(美しい・・というのとはちょっと感じが違うのだが言葉が思いつかない)街だとは知らなかった。

午後もスコールのような強い雨が落ちてきた。今日たまたまか、場所柄なのかは分からないけど。今日一日ずっと晴れと雨を繰り返す変わりやすい天気。


【うっとうしい雨の後はこんなご褒美も】

今日は日曜日なのでここもレストラン以外はほとんどお休みで活気なく退屈。8時過ぎには宿に戻りネット、ネット、ネット・・。

無料だからGO!ソフィア王妃芸術センターとプラド美術館

2010年04月17日 | スペイン・ポルトガル日記
4/17 夜行バス(マドリッド-リスボン)


【右側が人間。お金をいれると目が開きます】

昼前チェックアウト。今日土曜日は午後から入場料が無料になる美術館があったので訪問。まずは午後2時半から無料のソフィア王妃芸術センターへ。ピカソの「ゲルニカ」を見たが何がすごいのか凡人には全く理解できず。


【ゲルニカの前はたくさんの人だかり】


【作者どおくまんじゃないの?】


【ダリもアリ】

このセンタ-の絵は全体的に興味がわかずあっという間に飽きてしまった(といいつつほとんどまわったけれど)。

有名なプラド美術館は午後6時から無料。ちょっと早めに着いたので石段に横になってちょっと昼寝。6時20分頃には中に入れ8時の閉館まで駆け足でとにかく有名どころを見て回る。(写真撮影禁止のため映像なし)

8時に出てマクドでちょっと食べて宿へ戻り荷物をピックアップ。地下鉄を乗り継いで南バスターミナルへ行き23時発のリスボン行きバスに乗り込む。客の半分以上は黒人。