LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

ポーランドで春の到来を感じ、そしてドイツへ

2010年03月19日 | 中欧日記
3/19 夜行バス(クラクフ-ミュンヘン)

朝早くおきて近くの世界遺産ヴィエリチカの岩塩採掘場に行こうと昨夜のうちにバス停の場所までチェックしていたにもかかわらず起きられず。11時チェックアウトしバスターミナルへ行きミュンヘンまでのチケット購入。

旧市街で先日行ったレストランでまたまたおいし~~ポーランド料理をおなかいっぱいいただく。ほんとポーランド料理いける!うますぎ。





昨日も暖かかったが今日は一段と春の陽気。今回のヨーロッパツアー最高気温(たぶん)。広場のカフェには陽気に誘われたくさんの人が春の到来を祝うかのように眩しい太陽を楽しんでいた。







失った写真を取り返そうと旧市街でパシャパシャやったあとショッピングモールで水とポテチを仕入れ16:00発シンドバッド社バスでドイツを目指す。座席はなんか狭い感じ。2時間後見知らぬ土地でバスを乗り換え。

世界遺産「クラクフ歴史地区」をお散歩

2010年03月18日 | 中欧日記
3/18 クラクフ

9時前起床。11時クラクフ旧市街のお散歩。クラクフがこんなに大きな町だと走らなかった。1386~1572年ここはポーランド王国の首都であり第2次世界大戦の戦災を運良く逸れることができたため中世そのままの町並みが残されている。1978年には旧市街全体が世界遺産に登録された。



中央市場広場近くのレストランでおいしいランチ。太陽も顔を出し暖かくなるにつれ広場にはたくさんの人が集まってきた。ぽかぽか陽気のなかヴァヴェル城大聖堂に入城。歴代の王の墓などが納められていたがその王がまったく聞いたことも無い人たちだったので興味持てず素通り。




【大聖堂から見た旧市街】

散々ルートについて悩んだ挙句(ウイーン、ベルリンも候補だった)次の行先をミュンヘンとし夕方バス会社に行くも閉店間際でチケット買えず。


【スウォヴァツキ劇場】

ちなみに職種に限らず店員の愛想の無さには閉口する。サービス業とは何かとか、売り上げとかいう意識、考え方はほとんどない。一言で言えば横柄。笑顔で対応なんて冗談じゃないんだろうな、きっと。郷に従おうとは思うが気分を害する(というか頭にくる)ほどの対応にその国に対しての印象はきわめて悪くなる。一度日本で研修したほうがいいな。ま、いいか。三流国のままでいてくれ。(日本が一流という意味では全く無い)あ~書いててむかついてきた。でも今日広場で入ったカフェの店員の笑顔はよかったから皆が皆って訳じゃないんだけれど。

夜バーガーキングでキャノン一眼用メモリーカードをパソコンで再生してみてビックリした。ここ3日分(16日プラハ、17日アウシュビッツ、18日クラクフ)の画像が全部消えていた・・・・唖然。相棒がもう一台のデジカメで撮ってるからまだいいものの唯一のお土産である写真が無くなるとは。安いメモリーカード使うんじゃなかった。。昨日そろそろバックアップとらなきゃ、と言ってた矢先の出来事に涙。。いまさらながら残った写真のバックアップに精を出す。


【バーキンでこれを食って気分悪くなった・・でかすぎ】

衝撃のアウシュビッツで途方にくれる・・

2010年03月17日 | 中欧日記
3/17 クラコフ【ポーランド】

01:16 Prerovという駅で進行方向が逆になる。地図を見ると3/5ぐらいは来てる模様。外はほぼ真っ暗。3時過ぎには眠りに落ちる。結局コンパートメントは最初から最後まで2人で独占。いつもこうだといいんだけど。乗ってた車両は到着時5人ぐらいしか客がいなかった。。




【夕日のような朝日】

06:26 クラコフ駅到着。



10分ほど歩いて宿にチェックイン、シャワーを浴びて今回の目的地であるかの有名なオシフィエンチム(アウシュビッツ)へ行くことにする。バスターミナルまで行き09:20大きなワゴン車タイプのバスに乗り込み80分後到着。

たくさんの観光客はいるものの雪の中の強制収用所は静かそのもの。わずか70年前にこことビルケナウで推定150万人もの人々が虐殺された。


【あまりに有名な門。「働けば自由になれる」】




【電流の流れる鉄線】

切られた膨大な髪の毛、トランクや靴などの遺留品、顔写真等見てると連れてこられガス室へそのまま連行された人、劣悪な環境の中労働させられ死んでいった人の無念の気持ちが壁の中にしみこんでいるような気がした。稚拙な文章では表現できないいろんな感情が次々に襲ってくる。


【死の壁。何千人、何万人の人がこの壁の前で銃殺されたのか・・】


【銃殺場所。棟からみえないように窓に木枠がはめられている】


【ガス室前。ここに無造作に詰め込まれチクロンBという薬を投入された】


13:30無料バスで第2アウシュビッツと呼ばれるビルケナウへ。既に破壊され、朽ち果ててしまったたくさんの収容施設、ガス室、焼却施設が並んでいた。施設の真ん中に線路。この線路の上をたくさんの囚人とされた人々が殺されるためだけに運ばれてきたなんて。。





【上の写真の建物が写っている当時の写真】




【収容所の中。ここで死ぬ日を待つ】

人間の狂気。日本人にも無縁でははいその愚かな行動をこうやって反省とともに顧みるこの博物館は本当の世界遺産だと思う。日本人て自国の歴史のこと本当に良く知らない。自分の国が犯した戦争のことをちゃんと教えないのは重大な誤りだ。歴史への無知が日本人としてのアイデンティティを失わせているのは間違いない。


15:00無料バスでアウシュビッツに戻り15:15クラクフ行きのバスに乗り戻ってくる。バス会社、駅窓口を回った後ショッピングモールのフードコートでポーランド料理を夕食として食べた。

昨日あまり寝てないしで午後9時にはベッドに入り落ちるように眠る。

プラハから夜行列車でポーランドへ

2010年03月16日 | 中欧日記
3/16 夜行列車(プラハ-クラクフ・ポーランド)

9時前に朝食をとった後も部屋でうだうだ過ごし12時チェックアウト。駅のコインロッカーに荷物を置いて最後のプラハのお散歩開始。

ヴァーツラフ広場から気の趣くまま歩く。



国民劇場からチェコ軍団橋を渡ったところに面白いモニュメントあり。階段手前に一人の男の像。後ろに行くにしたがってだんだんその姿は崩れていき最後には足だけが残るという作品。誰が作ったのか等何も情報なし。一人の人間の精神がだんだん朽ち果てていくような様を表現したかったのか、はたまた暗い過去から明るい未来への憧憬か。いろんなインスピレーション、想像欲かきたてられる刺激的ないい作品であった。



午後9時半の出発まで時間だけはたんまりあるので、またプラハ城まで道を変えて歩いて行く。今日も曇り時々粉雪の天気で寒い。美しいプラハの街との別れを惜しむようにカメラのシャッターを押し続けた。









午後9時前には駅に到着。最後の現金をコンビにで使い切り2番ホームに向かう。ほとんど客もいず6人用2等コンパートメント貸切状態。


【さすが外人、絵になるぜ~】

【ビン投げていいってこと?外のりだしていいってこと?】

21:32 定刻発車。さらばプラハ。また縁があれば3度目は是非夏に。あっという間にプラハを離れ列車はほとんど真っ暗な中を走る。時々見える光はゆっくり落ちていく雪を寂しく浮かび上がらせるだけ。途中からは雪景色一色になる。人の気配がほとんど無い列車は暗闇の中をただ走るだけ。

客がいない夜行列車で鍵のかからないコンパートメントっつーのもちょっと緊張して寝付ける気配なし。どこでも寝られる羨ましい特技を持つ相棒は既に横になって爆睡中である。番犬は寝られない。。

雪舞うプラハ城

2010年03月15日 | 中欧日記
3/15 プラハ


【さすがプラハ。ふたもお洒落】

朝食後2時間ほど寝て11時頃トラムで旧市街へ。天気は下り坂のようだが今のところプラハ初
青空。写真を撮ると蒼く写る空が嬉しい。



天文時計で12時の鐘を聞いたあとカレル橋を渡りプラハ城へ。
聖ヴィナート大聖堂、黄金小路、聖イジー教会、旧王宮などをゆっくり見て回る。




【聖ヴィナート大聖堂内部はたくさんのステンドガラスが】


【大聖堂は見る場所を変えるとまったく違う建物に見えて面白い】

途中、舞う雪に煙る聖ヴィナート大聖堂は映画の1シーンのようで美しかった。でももう3月中旬だというのにこんなに寒い毎日はなんだ。おかげで着る服が毎日同じだ。。


【下から上がってくるようなふわふわ雪だった】



カレル橋の近くで餌を与え鳥を集めていた青年がいた。直向に餌を投げる真面目そうな青年を見て思った。「あーゆー人はすげ~心やさしい人か、ちょっとおかしいのかのどっちかだな。。」30年後もあの場所で餌をやってそうな気がする。。




今日はそれぞれ違う場所でホットドッグを計3本。ふつ~においしい。



途中鉄道駅に立ち寄り明日の荷物を預けるところを確認し夕方7時過ぎ早めに宿に戻った。


【部屋に冷蔵庫なくても外に出しとけば一気に冷え冷え】


やっぱりプラハの景色はサイコ~~~~~~です

2010年03月14日 | 中欧日記
3/14 プラハ

昨日日中列車でよく寝たこともあり夜中なかなか寝付けず。ホテル予約サイトの口コミで評判の朝食はフツ~であった。

11時プラハ観光に出撃。天気は今ひとつで今にも泣き出しそうな空。傘持って出かける。トラム9番で旧市街のほうに行き火薬塔、市民会館、共和国広場。旧市街広場では天文時計。


【天文時計】

再会を待ちきれないようにカレル橋へ。旧市街側の橋塔に上がりプラハの街を見渡す。う、美しい。何度見ても美しい。空は曇っていても美しい。カレル橋が工事中でも美しい。教会の塔とオレンジの屋根が美しい。寒くても美しい。塔の上で寒さに震えながらどうせ青空のプラハが見られないならせめて雪の中のプラハを見てみたいと思った。。






【カレル橋は工事中】

プラハ城の近くまで行ったがすでにクローズだったので明日出直し。


夕方バスターミナルへチケットを探しに行くも直行は無いと言われプラハ本駅へ。スリーパーは結構な値段だったので2等シートでポーランド・クラクフまでのチケットを購入。

次の行先も決まったところで夜景を見に街を徘徊。ヴァーツラフ広場経由でカレル橋まで歩き旧市街を散歩。さすがプラハ、夜景も一流。


【ヴァーツラフ広場】

【プラハ城】

晩御飯は旧市街広場近くのレストランでチェコ版グヤーシュとクネドリーキ。



蒸しパン生地に砕いたハムが入っているものにキャベツの漬物みたいなやつが添えられているものの2メニュー。



これがまた両方とも超うめええええええええ~~~~。感動した。グヤーシュもハンガリーでの雪辱を果たす一品。

幸せな気分で夜10時過ぎ宿に戻る。午後11時雷鳴轟き雹が落ちてきた。。明日は綺麗に晴れてね。

さっきiphoneに落としたWe Are The World 25 For Haitiを何度も何度も聞いた。昔のも持ってるけどほんといい曲だ。何回聞いても聞き飽きない曲だ。

ハンガリーからチェコ・プラハへ

2010年03月13日 | 中欧日記
3/13 プラハ【チェコ】

11時のチェックアウトタイムまで部屋でグダグダ。この宿着いてから出て行くまでずっとグダグダ。いい宿も良し悪しだな。。ただここまでの旅の疲れは完全に取れた。

ブダペスト東駅に行く途中で中華レストランで昼食をとり午後1時頃駅に入る。ホームにはちょっと小汚い列車が既に入線していたので早速2等の自分の席についた。


【ブダペスト東駅】



13:28 定刻発車。コンパートではない2-2配列の普通の座席。天気が良くない上、窓が汚れていて写真も撮れそうもないのでほとんどの時間を寝てすごす。途中スロバキアの首都ブラチスラヴァ通過。パスポートチェックもまったくないまま20:20プラハ本駅到着。外は小雨。9番トラムに乗り予約していた宿を目指す。チェックインしたホテルはこれまたグッド。新しく明るい内装、高い屋根、ブッフェ朝食もついて2人で20ユーロはホントにお得。これからここで3泊。

すぐ隣のレストランに行きピザの晩御飯。相棒は早速チェコビールをご賞味。お酒飲める人がうらやましい。飲めたら旅がもっともっと楽しくなるんだろうな。。


グヤーシュ3杯目で3敗目

2010年03月12日 | 中欧日記
3/12 ブダペスト

朝これから急遽ウィーンに向かうというS君が昨夜の借金返しに来た。彼はいつもいきあたりばったりで昨日は違う行先言っていた。さすが学生。パワーありあり。うらやましい。

さてだらだらモードの私たちも今日がフルデイ最終日。雪もあがり再度ドナウ川方面を散歩。


【女神様も雪化粧】

お昼最後のグヤーシュを食べ(これうめ~とはまたまたいかず)

【ここでお昼。もはやバックパッカーではない!】

聖イシュトヴァーン大聖堂などを見て回る。




【地下鉄は地中深く・・】

寒さに疲れたので一度宿に戻りお昼寝。

夕方メトロで再々度ドナウへ夜景を見に行く。





甘いものに目が無い相棒がブダペスト一有名なカフェとやらを探し出しケーキ2個買って帰ってくる。(1個合格、1個不合格)

もはや我が家状態の部屋での最後の自炊はまたラーメン。前回と全く変わらぬ具。フォアグラ後はラーメン。これが一般庶民の鉄則。

あっという間の4泊。一度来たところは緊張感が足りん。。でもおかげでリラックスできた。明日からはまたバリバリ・・と言いたいところだが次も2度目のプラハ。3泊分の宿の予約も完了(今度は1泊19ユーロだ!)でまたダラダラできそうである。。あの連続夜行かかってこい!の気合はどこにいったのやら。

ところで今回泊まった宿、本当に安くて広くて居心地最高だった。おかげで外あまり出なかった。ぶっちゃけあと2,3泊してもいいほど。ブダペスト市民になった気がした。(そりゃいいすぎだ)

生まれて初めてフォアグラ食べた

2010年03月11日 | 中欧日記
3/11 ブダペスト

朝外を見ると雪が降ってた。。つもっとるがな。部屋の居心地も手伝ってどこかへ出かけようという気が失せる。


【写真じゃ分かりづらいけど結構降ってた・・】

観光する気は無かったがとりあえず次の切符だけは買っておこうとブダペスト東駅へ雪の中歩いていく。客もほとんどいないのにやたら待たされるカウンターの効率の悪さにいらいらしながらも13日のプラハ行きチケット購入。

駅近くの中華屋でお昼をとった後宿に戻ってスーパーで買ってきたお菓子なんかをかたっぱしから食べてだらだらモード。

夕方、カッパドキア、ソフィアで会い、そしてまたここブダペストにタイミング良く来ているS君からフォアグラ(ハンガリーはフランスに次いで世界2位の生産量)食べに行きましょう、とメールがあり午後8時出撃。

S君が泊まっている宿の人に教えてもらったというレストランは一目で高級レストランと分かる外観の造りでビビル。中に入ると生演奏なんかしてて。。


【この時点で場違い度100%】

おまけに彼が聞いてきた値段とメニューの値段は違っていた。もちろん高いほうに。ま、フォアグラ興味はないけど(フォアグラの作り方が気にいらん)その隣で食べたくてしようがない相棒がオーダー。私はグヤーシュを注文。


【フォアグラ様のお値段3800フォリント=1800円】


【動物愛護家の私はグヤーシュ】

で、そのグリルされたフォアグラ様のお味は。。うまい。言葉で説明できないけどうまい。初めての味。さすが世界三大珍味。でも内臓系が嫌いな私としてはもういいかな。。うまいけど。ちなみに大好きなグヤーシュはいまひとつ。席まできて演奏してくれるほどのお店での晩餐はちょっと場違いな贅沢であった。

でもたまには相棒こういうところに連れてこないといかんな。ここんとこずっとろくなもん食べさせてないから。。

久々のグヤーシュのお味

2010年03月10日 | 中欧日記
3/10 ブダペスト

よく寝た。9時起床。レセプションに洗濯物を持って行き、ついでにもう1泊追加の計4泊。心身の疲れをここでとることにした。

歩いて自由橋のほうへ。ドナウ川越しに見える王宮の丘の景色を眺めているといろいろ思い出してくる。さすがに7,8年前だとそんなに記憶は風化していない。


【女神が再会を祝福】


【自由橋から王宮】

フォアグラ缶溢れる中央市場でグヤーシュ。その後分かったことだがグヤーシュにはスープとシチューがある。この初めて食べたシチューはおまりおいしくなかった。ま、シチューがおいしくなかったのではなくこの店のがおいしくなかったんだろうけど。




【ハンガリーといえばもちろんパプリカ】

ヴァーツィ通りを歩き、くさり橋を渡りブダ側へ。丘を上がり王宮、工事中のマーチャーシュ教会、漁夫の砦を見る。いつも着ている服を洗濯に出したのもあってやたら寒くそそくさと宿に戻ってきた。


【王宮からペスト側をのぞむ】


【国会議事堂】


【くさり橋】



洗濯物ピックアップしてFACE OFFのDVD見ながら日清ハンガリーの袋ラーメンに卵とソーセージ入れて晩御飯。幸せの味。