LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

さよならアテネ

2006年03月09日 | ギリシャ日記
2006/3/9(木) アテネ(曇)TG947 1600-

と思ったら夜中2時には目が覚めて相変わらず爆睡できない。7時半起床。昨日チェックイン時朝食いらんから安くしてと言ったが断られたパンと卵の朝食をとり最後の散歩。ロシア教会、英国教会、ゼウス神殿、プラカ地区を抜けてローマンアゴラ。

12時前に宿に戻り荷物を取りマクドでビッグマックメニュー。マクド前はデモの人でいっぱいだった。おかげの交通規制でエアポートバスが出れるかどうか危ぶまれたが1255問題なく空港へ。チェックインが終わるとやることないのでまたマクドでマックチキンメニュー。ベリーヨーグルトも食べて気分悪くなる。台湾の人とメールアドレス交換。機中、夜中下を覗くと下の雲が光りまくって不思議な感じ。9時間のフライトは暇で死にそうだった。

サントリー二はまたまた雨

2006年03月08日 | ギリシャ日記
2006/3/8(水)サントリーニ(曇り時々雨)1405‐1450アテネ(曇り:激寒)

夜中12時まで全く眠くならずずっと本を読んでた。
7時過ぎに起床。外の強風は相変わらずで夜中ずっと窓が壁を叩く音が響いていた。あまりに気になるのでipodで音楽を聴きながら本を読んだ。朝食をとりシャワーを浴びて10時チェックアウト。

ホスピタリティーに著しく欠けるおばさんがバッグを預かってくれなかったらどうしようかと思ったが聞く前にそこにおいていいと言ってくれほっとする。外は雨。ゴルフ用レインウェアを着ていてよかった。

土産物屋の隣の隣の喫茶店に入りグリークコーヒーを飲む。おいしいしネスカフェより安いのでお気に入りだ。雨がやまないので1時間ばかり時間をつぶした。12時過ぎ最後にフィラの街を歩き1250宿で空港行の車を待つ。同じ車を台湾人ハネムーナーも待っていた。東京にも来たことあるとのこと。

1405定刻で離陸。あっという間にアテネへ。エアポートバス(3.2€)でシンタグマへ。ダウンタウンは結構渋滞していた。台湾の人に先日泊まったというアクロポリスハウスに連れて行ってもらう。暖房のきいた広い部屋(35€)だった。前と比べるとたった10ユーロの違いならこっちのほうが良かったな。

夕方はこないだの中華のファーストフードでディナー。焼きそば、チャーハンで1000円。相変わらずまずかった。円安でやたら物価が高い。こないだの日曜の人出はやはり週末だったからか、今日は人もなくまた、一番寒かった。人気のない町を歩き7時半前に宿に戻る。明るく広い部屋はいいものだ。人口着色料バリバリのゼリー、ポテチを食べ暖かい部屋のダブルベッドで幸せに眠りについた。

真夜中の暴風雨

2006年03月07日 | ギリシャ日記
2006/3/7 サントリーニ
何度も目が覚めた。寒かったので服を腰に巻いて寝た。風の音がすごかった。夜中窓を少し開けてみると雨が降ってるようだった。0830外は暴風雨。外の窓閉めっぱなしは部屋も心も滅入るので開けた。いつの間にか床が水浸しに。シャワーマットで水出し。かなりの仕事だった。エアコンからも水が滴る始末。下に布を置いた。

8-10時が朝食だというので下に降りるとプレートを部屋に持って行って食べろという。また雨の中を戻れというのか。パン4枚と小さなパウンドケーキ&コーヒー。立ったままあっという間にたいらげた。気が滅入った。何もすることがない。詰まんない本を読む以外は。本気で雨を恨めしく思った。

12時前、風は相変わらず強いが雨はやんだ。気がふれそうにふさぎ込んでいたのでコンタクトを入れ宿を出た。バス停に行き1230のイア行き(1.1€)に乗り込む。30分ほどで到着。マップもないが小さな町だ。

気ままに歩く。人気がないがかわいい町。見晴らしのいい高台では犬が気持ちよさそうに寝ていた。だんだん晴れてきた。白い壁が黒い大地によく映える。これからのシーズンを迎えるためにオープンに向け改装しているところがいくつかあった。チョコクロワッサンのランチをとり少し迷いながらもくまなく歩き1645発のバスに乗りフィラへ戻った。

昨日ムサカを食べたレストラン・ポセイドンで3杯目のグリークコーヒーを飲みながらこれを書いている。フィラの夕日が見えればと6時前出てみるが風が強いばかりで夕日に染まるサントリーニというわけにはいかなかった。散歩したあと土産物屋横でPork greek gyro sandowich(1.5€)を夕食とする。

1850宿に戻りシャワーを浴びて本日の予定終了。今朝「侵略の世界史」を読み終えただ今、櫻井よし子の「日本の危機」を読んでいる。もっと明るい気持ちになれる本を持ってくればよかった。

観光客のいないサントリーニ島へ

2006年03月06日 | ギリシャ日記
2006/3/6(月)アテネ1245‐1330サントリーニ

夜中目が覚めては本を読み・・8時半起床。
シャワーを浴びて荷物をまとめて宿を出る。朝食はマクドでエッグソーセージマフィン+オレンジジュース。

1005空港行バス(3,2€)に乗り40分ほどで到着。チェックインもすぐ終わりグリークコーヒー(1.5€)飲みながらこれを書く。1245一番前2Aに座り定刻で離陸。エーゲ海の島々を下に見ながら30分足らずでサントリーニ到着。

空港ではTANAKAのボードを盛ったおじいさんが立ってた。車で15分ほどで予約しておいたKAFIERIS APARTMENT到着。あまり愛想の良くないおばさんに部屋に通される。部屋ちょっと暗いんじゃないの。。風が強いのでバルコニーの窓は閉じてるといった。一番上の窓側の部屋なのですぐ外の大きなバルコニーに出てみるとそれはそれはすごく美しい景色。肌寒いが黒い土地に白い建物のコントラストがサントリーニである。一人でこんなところに来ちゃてなんかすごく落ち着かない。

とりあえず歩いて10分のフィラの街へ行こうと部屋を出る。バルコニーには昨日着いたというマニトバから来たカナダ人夫婦がいた。今日は祝日でバス、店もやってないのでどこにもいけない。イアには明日行くつもりとのことであった。久々に人と会話した。今日休みとは知らんかった。帰り道がわからなくならないよう注意深く標識になるものを覚えながらフィラへ。

おなかすいたので1435客がたくさん入ってるレストランへ。ムサカとグリークコーヒーを注文。今回初めてのギリシャ料理。13年ぶりの味はちょっと肉の味にくせのあるギリシャラザーニャだった。さすがオフシーズン、街には人気がなく店もほとんど閉まっている。夏には観光客でごった返すのであろうが今は想像の仕様もない。

コリントスとリカビトス

2006年03月05日 | ギリシャ日記
2006/3/5(日)
アテネ‐コリントス‐アテネ(晴)10000円→65€

昨夜は9時には寝ついただろうか。夜中何度か目が覚めたが朝7時半、鐘の音で起床。シャワーを浴びて出撃。オモニアまで歩きピザを食べながら帰農見つけた51番バス乗り場を目指す。しかしどう歩いてもそこが見つからない。昨日の記憶とも重ならない。実は出発の起点が間違っていた。1時間近くも歩き回るはめに。シンタグマから来た道に出て初めて起点が間違っていることに気づいた。バス停に行くとちょうど51番が停まっていた。近くのたばこやで50cの切符を買って乗り込む。

15分ほどでキフィスウターミナル到着。日帰りなので遠くに行くと帰ってこれない恐れがあるのでコリントスに行くことに。1010発のバスはすぐに郊外へ抜け込んだ高速道路を走った。コリントス近くになってくると海がきれいに見え運河も見ることができた。

12pm2時間弱で到着。すごく日差しがきつい。白黒のゴマを振ったような山々と遠くに見える雪山のコントラストが美しい。コリントス遺跡はあまり興味がなかったので海を見てアテネに早速戻ることにした。どうしても一度鉄道に乗りたかったのでガイドブックにあったコリントス駅に行きチケット(6€)を買うと駅員はここからじゃないみたいなことをしきりに言う。隣にいた若い奴に通訳させて、まずここから電車に乗ってppoaetiakz(ギリシャ文字)に行きそこでアテネ行き電車に乗り換えるとのこと。電車はすぐに動き出した。着いた所がどうやら新しいコリントス駅のようだ。

1時間少々の待ち時間。KIOSKもないので空腹をいやすこともできずひたすらこれを書いている。1413発車。世界の車窓からの音楽が頭の中で流れる。あまりに乗り心地がいいのでうとうと眠りに落ちる。

1530アテネラリッサ到着。昨日開いてなかったペロポネソス駅はやはり今閉まっているのだろうか。メトロでシンタグマへ。ネットでWBC日本は韓国に負けていてショック。NET屋行く前に歩きながら食べたベーコンパンだけではまだおなかいっぱいじゃなかったのでマクドでマックロイヤルセット(4.4€)もたいらげる。

リカビトスの丘へ行くためメトロに乗り隣のevangelismosへ。ガイドブックの地図を頼りに上がっていったらまた迷い3回も人に聞きながらケーブルカー乗り場へ。頂上に13年前の自分に会いに行く。がそこには昔の自分はなく一人でいることに寂しさを感じるちょっと歳とった自分がいた。降りてみてわかったのだが正しいルートは一本隣の道だった。

メトロで2つ向こうのMonastirakiへ戻り歩いて宿に帰る。プラカは8時前だというのにたくさんの人で賑わっていた。プラスチックバットのようなものを持ちすれ違う人を叩いていた。あれ、思い出せないけどこれどっかで見たことがある。街は笑顔で溢れていたのに雰囲気に乗れない私はレストランにも入れずダイエットコーク、水、ポテチ(2.6€)を買って戻ってきた。

ネットで明日のサントリーにの天気を見たらずっと曇り時々雨。サントリーニに行って雨降ったら、落ち込むな。きっと。今日はやたら道に迷って歩き疲れた一日だった。こんなに道迷ったのは初めてである。①51番バス停②コリントスの海③ネット屋④ケーブルカー乗り場。ちなみにまだろくなごはんたべてない。

13年ぶりのアテネ

2006年03月04日 | ギリシャ日記
2006/3/4(土)
0630ATH

このまま空港からサントリーニか、ミコノスへ出発しようと空港でチケット探すも昼の1245とか夜とか言われこの疲れた体であと数時間も待つのは耐えられないのでシンタグマへ行くことにした。

チケット(3,2€)の親父が2枚チケットを売ってきたので1枚リファンド。13年ぶりのシンタグマ。何も覚えていず。3つ目の宿が25€だったのでそこに決めた。バス・トイレなしだが窓からアクロポリスが見えるのでここにした。髪を洗いコンタクト入れて出発。

思ったほど寒くないのでTシャツ+黒パーカー1枚で出た。歩いて20分ほどでアクロポリス(12€)。本当何も覚えてない。工事中なのは前回と同じ。パルテノン神殿、エレクティオン、ディオソニス劇場など一回りしたあと古代アゴラを歩く。

お昼は一人でレストランに入るのは気が引けるのでモナスティラキのマクドでビッグマックメニュー。シンタグマまで戻り広場近くのIVISTRAVELに入りサントリーにまでの航空券(219€)と宿2泊(50x2)とった。無名戦士の墓で衛兵と国会議事堂をみたあと地下鉄でLarissa stationへ。国鉄ペロポネソス駅を下見に行ったがわからなかった。

そこから歩いてオモニア広場へ。13年前に来た時最初泊まったのは確かオモニア近くだった記憶がある。そのあとキフィスウバスターミナルへ行く。51番バスが止まる場所を確認した途中市場に寄ったりしながらあとまたもマナスティラキへ歩いて行く。晩御飯はシンタグマ近くのチャイニーズ。エビ入り野菜炒め(7.9€)と野菜チャーハン(2.8€)

夜のプラカをうろつき午後7時半宿に戻る。ふくらはぎが痛い。あまり昨日から寝てないし朝10時に宿を出てからずっと歩き続けたのでいつもはこんなことありえないのだがさすがに疲れたのだろう。水シャワーだと思ってたらお湯が出た。明日は何しようか。今のところ何も決まってない。窓からはライトアップされたアクロポリスがきれいだ。ポテチ、ビネガーの味が濃い。

2度目のギリシャへ

2006年03月03日 | ギリシャ日記
2006/3/3 (金) NRT1810-(TG677)2330-BKK2215-ATH0615
NRT発1810 満席

有給休暇使って2度目のギリシャへ。
モニターセットしてもらいハリーポッター鑑賞しながらBKKへ。
2330BKK着 乗継。
BKK0025-ATH 0615  TG946 34A

これから10H超えるフライト。話す相手もいない辛いロングフライト。6,7時間で着くと思ってただけに。当初2時間待ちの予定だったが遅れたのでゆっくりお茶する暇もなくゲートに入り出発を待つ。においのきつい兄ちゃんとその母ちゃんが隣の席。

ピレウスから船に乗る

1993年03月04日 | ギリシャ日記
3月4日 (木) アテネ 晴れ (船)

9時起床。ほとんど水のシャワーを浴びて10時過ぎチェックアウト。

地図とパンを片手にメトロに行き75DRのチケットを買い18分かけてピレウス港へ。駅を出ると大小さまざまな船が停泊していて人に聞きながら自分の乗るカミロスという船の場所を探した。

11時頃船に入って座席を取る。さすがにオフシーズンなのか、かなりがらがらである。驚いたことにアテネにはあんなにいた日本人がこの船にはわたし一人だけのようだ。

30分遅れの午後1時半出航。天気もよく通り過ぎるたくさんの港町、ずっと向こうに見える山々が美しい。私のいる部屋にはまた運悪く子供を3,4人つれた騒がしい家族がいておちおち昼寝も出来ない。

朝からパン1個しか食べていなかったので高くつくのは分かっていたが夕食を取る。何の肉か分からないハンバーグ、スパゲティ、パサパサの米、まずかったがとりあえず空腹感はとれた。今午後9時50分、テレビの前では大勢の人が熱狂している。どことどことが戦っているのか分からないが、ひいきのチームにペナルティが課されるたびに文句をつけている。番組が終わっても、あーでもない、こーでもないと騒いでいる。

最近ベネトンのセーターを着ると体がむずむずする。ダニでもいるのであろうか?しかし冬服といえばこれだけなので脱ぐこともできない。船の中はとにかく暇で今後の旅のルートや、彼女のことを考える。カイロ-アスワン間の夜行列車に比べれば数段ましだがかなり疲れる。もう2度と長い時間は乗りたくない。

パルテノン神殿

1993年03月03日 | ギリシャ日記
3月3日 (水) アテネ 晴れ (COUROS HOTEL)

9時起床。名物スブラキを朝食で食べる。銀行に行き両替をしてYHの会員証を作りに行く。

2時、ようやく4日目にしてアテネ最大の名所アクロポリスの丘へ。冬場はどこの遺跡も結構修理をしていてここのパルテノン神殿も例外ではなく、今ひとつ歴史の情緒を味わう雰囲気ではなかった。日本人も異常に多かった。人口の建造物は到底自然の雄大さには勝てない。

地図を頼りにテレコミュニケーションセンターまで国際電話をかけに行く。入口付近まで電話が開くのを待っている人で一杯であった。無料電話の広告が出てたのでそのためかもしれない。昼頃は一杯であったが4時頃もう一度いってみるとがらがらであった。電話機の隣にメーターがついていて時間ごとにあがっていく。日本へは1秒ごとに10DRづつ上がっていき、メーターばかり気になって心穏やかにしゃべれなかった。

スニオン岬でサンセット

1993年03月02日 | ギリシャ日記
3月2日 (火) アテネ 晴れ (COUROS HOTEL)

10時起床。昨日教えてもらったところで青年証を作る。

2時過ぎ秋葉君という学生とスニオン岬に行くためバス停まで約30分かけて歩く。バス停もすぐ見つかり午後1時出発。スニオン近くの小さな町では中学生らしき子供たちも乗ってきたりしてほのぼのしたローカルバスはとてもいいものであった。

3時到着。初めて近くで見るエーゲ海は天気がよかったこともあって青く輝き広々として開放感に満たされた。コーヒーを飲んだりして時間をつぶして5時ポセイドンの神殿に戻る。

お目当てはエーゲ海に沈む夕日である。5時半ぐらいからだんだんオレンジ色に染まっていき6時20分太陽はすごいスピードで沈んでいった。とにかく美しかった。6時半アテネに戻るバスに乗り周りを見渡すと18人の日本人が乗っていた。スニオン岬は日本人に占領されていたのだ。

家族3人で訪れていた人たちと楽しくおしゃべりしていたら、あっという間に時間が過ぎて8時40分アテネ到着。とにかくおなかがすいていたのでマクドナルドでハンバーガー2個食べて宿に戻った。久々にやさしい自然に触れた一日であった。