LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

ドバイの空港にて

2009年12月07日 | 中東日記
出発4時間前にホテルからのフリーシャトルサービスでドバイ空港15分で到着。あっというまに自動チェックインも終わり、残った最後のUAEマネーはチョコバーに化けた。

ここは空港内どこでもFree Wifi。24時間空港だからここで乗り継ぎで夜を明かす人もいるだろうから退屈しのぎのいいサービスだと思う。また椅子もリクライニングチェアー完備で結構気持ちよく眠れそう。

新しくて広くていい空港。確かに外は24時間飛行機の飛び立つ騒音がひっきりなしに聞こえてはいたけれど。

エミレーツ乗れるのも嬉しい。長時間フライトだから特に大画面モニター装備はほんと嬉しい。苦痛だと感じていない。いい映画やっててくれりゃいいけど。ちなみにBKKいくとき良く使うUAは大変苦痛である。。うん、苦痛だ。

あ~なんか日本に帰るの嬉しいよ。。こんな気持ち久々だな~。
中本の蒙古タンメン食いてええええええええええ~~
野菜大盛り、麺固めでお願いします!

無事、中東最終日を迎えました

2009年12月06日 | 中東日記
昨日の夜からなんか体の調子がおかしいよーな。緊張から開放されたからかな。

寒気がちょっととからだの節々に違和感。
(モールのエアコン効き過ぎで寒いのが原因かも!)

ドバイでの計3泊は結果的にいいホテルに泊まってよかった。やっぱ風呂はサイコーである。昨日もゆっくり温まってエイリアン見ながら寝た。

で10時過ぎ起床。12時前チェックアウトしメトロでモール・オブ・ザ・エミレーツへ。ただただブラブラ。



モールの中にはスキー場まである!すげえ!こんな狭いとこですべりたかないけど。。さすがドバイ!金でできないことなど何もない!



ちょっと欲しいものでもあれば楽しいんだろうけど。ない。値段も全然安くない。ドバイのパックツアーってどんななの?モールとビルと埋立地以外に何することあるんだろ。。(いや、金持ちはいいホテルで優雅に動かずに過ごすんだろうな・・高級スパとか・・やったことないけど)

さてあと数時間もすれば空港へ。27日間長かったような、短かったような。ほんと精神的(例のハンコ)にも肉体的(6カ国訪問)にもきつかった。あと食べ物もレパートリーほとんどなし、毎日チキンシュワルマ。冬はこんなに寒いと知らなかった。毎晩ブルブルでした。俺の命を救ってくれたのはユニクロのヒートテック(下)。上は帰国したら買います。

チケット買った翌日に飛行機乗るなんて衝動的に来ちゃだめだな。ちょっとはルートとか行き先とか勉強してくればよかった、と反省。

でもペトラとエルサレムとバールベックは来た甲斐があったな。。すごかったよ。。シリアの人々もよかった。

今回は日本で2週間近く滞在の予定。暖かいお風呂としゃぶしゃぶが待ちどおしい。

さて次はどこへ行こうかな。知らない間にお正月がもうすぐそこまで・・・。

バスでインド人に囲まれる

2009年12月05日 | 中東日記
昨日、昼寝が効いたのか、夜ほとんど眠れず6時半チェックアウトしすぐ目の前のバス停から7時発のバスに乗りドバイへ。

ネーミングリストが回ってきたので見てみたらほとんどインド人!隣のやつも前のやつもインド人。なんかインド・アレルギーがあるからすごく国境越えるのが遅くなったのもお前ら、インド人のせいか!!と思っちゃう(笑)。でもインドの皆さんも出稼ぎ、ご苦労様です。。。

さて無事1445ドバイ到着。これで今回の中東の旅の全移動終了。めでたい。



夜は歩いてバニヤス・スクエア、その近くからアブラ(水上タクシー)に乗りちょっと観光気分を味わう。ネオン眩しいショッピングストリートははっきり言って買いたいものもまったくなく飽きモードゼンカイです。


KFCでフィリピン人に囲まれる

2009年12月04日 | 中東日記
10時過ぎチェックアウトし、目の前の魚市場を覗く。なんか盛り上がりに欠けるような。。



ここから5,6キロ歩いてオールド・マスカットの街へ。青い空、緑のアラビア海、茶色い岩山、白い壁のコントラストが美しい。この海の対岸はイラン。



さてオールドマスカット自体は特に何もない、というより人がいない。とっとと乗り合いタクシーを乗り継いでルイまでもどることに。

タクシー降りてバス停のほうへ歩いていると黒山の人だかり。おお、なんだなんだ!と近寄ってみると太った男がかなりの血を流して倒れていた。中東の絵である。なんでこんなことになってるのかは知る由もなく救急車で運ばれていった。。



KFCでランチ。店の中はフィリピン人の笑い声でいっぱい。仕事終わったのか、休憩中か分らんがとにかくフィリピノが集まってわいわいやっていた。こんな時間を同胞と持つことによって少しでも楽しい生活にしようとしてるんだろうな。世界中で頑張ってるフィリピノ。その逞しさには頭がさがるよ、ほんと。

夕方まで宿で昼寝して夕方はスークをうろうろ。特に買いたいものも食べたいものもないスーク歩きにはもう飽きた。。昼はフィリピノ、夜はインド人でいっぱいであった。


オマーン・マスカット到着

2009年12月03日 | 中東日記
12/3 Dubai-Muscat
0520起床。6時前チェックアウト。2泊分の着替え以外は全部ホテルに預けプチバッグ1個でまだ暗い中歩いてバス乗り場へ。バスは満席、周りはやたら騒がしいアホな連中に囲まれる。

0720バス出発。0840国境到着。UAE側出国を終え、オマーン側荷物チェック場へ。ここで荷物を1列に並べられ犬登場。なぜかドキドキするな、これ。またバスに乗りオマーン側パスポートコントロールへ。この建物がかなり立派。3週間滞在のVISAが無料であった。ここで同じバスに乗り合わせたフィリピン人夫婦とお喋り。いわゆる出稼ぎ。オマーンでの生活がとても平和で気に入っているそうな。

オマーンの道はすごく整備されていて国旗と花が続く。1350マスカット到着。朝から何も食べていないのでバスターミナル前のKFCに飛び込む。銀行で残りのUS$をオマーン・リヤルに両替。ここでも我が日本円はレート的に全く相手にされてなかった。。

安い乗り合いタクシーでマトラというオマーン湾沿いの街へ。宿にチェックインしたあと海岸通りとスークの散歩。なんとなく寂しい感じ。ドバイに戻りたくなる。





バンメシはチキンシュワルマとアイスクリーム。

これが世界一!!

2009年12月02日 | 中東日記
12/02 Dubai
9時前、20分ほど歩いて明日のオマーン・マスカット行きバスのチケットを買いに行く。そこからまた歩いてシティセンター・ショッピングモールへ。ちょっとぶらついたあとメトロに乗りファイナンシャルセンター、そこからバスに乗り換えドバイ・モールへ。





ここからはあの世界一高いブルジュ・ドバイが目の前に!!!824.55mだって。いや~すごい。まるでなんか漫画でよくみる近未来の世界である。空のキャンパスに書かれた絵のようにも見える。2000年前にペトラの岸壁削った人もすごいけど、このビル建てるのもまたすごい!まだオープンしていないらしく中は入れず。現在いたるところで高層ビルが建設中であるようだが、このブルジュ・ドバイだけは一つだけ群を抜いて空に突き抜けていてイヤハヤ・モウ・ナンカ・ス・ゴ・イのである。。







でもこんなに建てて大丈夫?と他人事ながら考えちゃったりして。。街には殆ど人がいないのは気のせい?たくさんのビルが「TO LET」の看板を出しているし既に廃墟と化しているそんなに古くないビルも目に付く。明らかに供給超過剰のような。。どこもかしこも資金繰りが厳しいようだけど、うまくこれから完成までもっていけたとしても誰も入らなくて、数年後訪れたらまるごとゴーストタウン化してたりして・・。世界初の21世紀系世界遺産となるのか!退くも地獄、進むも地獄。大丈夫か、ドバイ。。やりすぎじゃねえの?余計なお世話だろうけど。

なんか朝からどーも体が重い。きっとドバイに着いて緊張感から開放されたんだと思う。昨日までの3週間、イスラエル・スタンプ事件を筆頭になんだかんだ疲れることいろいろあったもんな。。ここはすごい楽。交渉ごとないし。英語通じるし。メシなんでもあるし。ちょうどいい具合に暖かいし。すごくホッとしている自分がここにいる。。3時過ぎ宿に戻り昼寝。

6時半起きて近所のアル・グレアのショッピングモールへネットしにいく。

バブル崩壊直後のドバイへ

2009年12月01日 | 中東日記
またまた夜中目が覚め震えながら本読んで時間をつぶす。ストーブ盗みに行ったらガスが残っていなかった。。

朝7時呼んだタクシーに乗って7時半前ダマスカス空港到着。モニター見てがっくり。。2時間遅れ。これって先日のドバイ・バブル崩壊となんか関係あるのか!!関係ねえか。寒い空港で都合4時間つぶすことに。

2時間遅れの12:05離陸。客は3割の入り。





16:45ドバイ到着。入国ガラスキ。

タクシーで予約したディラのホテルに向かいチェックイン。(ドバイは安宿あんまりないみたいだし飛び込みで探すとやたら高くつきそうなのでAGODAで先日予約しといた)バスタブ付モダンな部屋に喜ぶ。今朝までの1泊600円の宿はほんと寝た気がしなかったからな・・。今夜は爆睡まちがいなし!

ホテルの近くには2つのショッピングモールがある。すかさず直行。両替に行くと円があまりにも弱い。もっとドルを持って来るべきであった。

マクドをはじめ慣れ親しんだファーストフードが並んでいる。あとアジアの同胞の姿もたくさん見る。つーかアジアからの出稼ぎ者のほうがほんとの国民よりはるかに多いんだよな、この国は。現代版・地主と小作人である。

ほんの数ヶ月前テレビでほぼ崩壊しつつあるドバイの経済状況の特集をやっていた。インド、フィリピンをはじめとするアジア辺りからの出稼ぎ労働者の物語である。今回のバブル崩壊は来るべきものが当然のように来たわけだが、こうなると一気に使い捨てられ自分の国に強制的に返される出稼ぎ労働者たちのあまりにも過酷な人生って何・・と茶色い土地に不釣合いな巨大ショッピングモールを見て思うのであった。。

シリア最終日

2009年11月30日 | 中東日記
夜中これまた寒くて目が覚める。テレビ部屋から勝手にストーブを持ってきて部屋を暖める。(が、数時間後はまた寒さで目が覚めることに)



朝9時日本の友人に国内線の予約をお願いしていたのでその結果を知ろうと開いてるネット屋を探してさまようが町は閑散として人もまばら。こっちの人は完全な夜型か?パン焼いているとこぐらいしか開いていなかった。





昼昨日のカフェでネット。ネスカフェ頼んだらこの状態でくる。



最後のダマスカス散歩。いつもどおりすごい人出。なんかいままで持ってた(刷り込まれた)中東、イスラムのイメージはなんだったんだろ。なれなれしいほどの人懐っこさ。車で街に繰り出し騒ぐ若者。遅くまで人でいっぱいのカフェ。女性は遅くまで遊んで傍目にはそれなりの自由を謳歌しているように見えるし服装もいわゆる黒装束の人はそんなにいない。(カフェにいる女性はみんな洋服)聞くと見るのでは大違い。洋服で髪の毛出している人々はモスリムじゃないのかな。。



晩御飯はまた中華。やっぱジャパニは米だ!昼のカフェにまたきて最後の水たばこ。味はグレープ。



今日11月30日は相棒の○○歳の誕生日。直接祝ってあげたかったよ。
おめでとう~!

ダマスカスでうだうだ

2009年11月29日 | 中東日記
朝7時ごろ目が覚めたものの寒すぎて起き上がれず。10時前まで2度寝。日帰りで行ってこようと思っていたパルミラ行きは諦める。

余ったレバノンマネーを両替しようと銀行にいくも開いてなく無料WIFIレストランでコーヒー飲みながらだらだらネット。



今日本は内藤vs亀田で盛り上がっているらしい。見たい。。

結局12時から午後7時までコーヒー2杯でネット。
夜はいたるカフェでバルセロナvsレアル・マドリードをやっててたくさんの人で盛り上がっていた。

ダマスカスの夜

2009年11月28日 | 中東日記
11/28 Baalbeck – Damascus
夜中、寒くて何度も目が覚める。8時過ぎ起床。9時宿のすぐ前からワゴン・セルビスに乗りシュトゥーラ。ここで車に乗り換え国境を越えダマスカスへ入り前回の宿にチェックイン。ほんとはもうちょっとレバノンいたかったけれど48時間無料トランジットビザだったからしょうがない。。バールベック見れてよしとしよう。

アゼム宮殿(たくさんのジモッチーがいたが、こんなの面白いの?という感じ。かれらにとってはテーマパークみたいなものか・・)



など旧市街をうろついた後、城壁の外に出てマルジェ広場辺りをうろつく。土曜で店はあまり開いていなかったものの特にスークは前に進むのが大変なほどすごい人出であった。



特にみんな大好き!アイスクリーム屋は人でごったがえしていた。試しにピスタチオのかかったアイスを食べてみたが、フツーでがっかりした。

夕方宿近くのネット屋で持参パソつなぐ。また株があほみたいに落ちとる。。。

夕食は中華レストランでチャーハンと野菜炒め。中国人が作っていると聞いてほっとする。味はまあまあ。MAPを落としたので、賑やかそうな所を徒然なるままに歩くといろんなものに出会うことができる・・。



アラビアらしからぬネオン、聞こえてくる歓声、出来立てのおいしいチョコクロワッサン、初のシーシャ(水たばこ)。レストランで隣に座っていたシリアの若者からもらった紙には「Thank you for your visit」と英語とアラビア語で書かれていた。こういう何気ない出来事でその国のことがすごく好きになったりすることがある。(その逆もあるが)シリア最高!ダマスカス最高!歳とってすっかりいろんなことにすれてしまってる自分を顧みてこれじゃいかんと考えさせてくれる時間。旅の醍醐味である。




Life is Good!