LIFE IS GOOD! うろうろ人生旅日記

20代はいろんな国を歩き30代はサラリーマン。40で早期退職に手を挙げた。現在訪問69か国+1。只今バンコクで生活中。

9ヶ月ぶりのバリ到着

2009年06月25日 | その他アジア日記
朝3時に起きてかっとびタクシーに乗りこみスワンナプーム空港へ。いつものAIRアジアにて到着しました9ヶ月ぶりのバリ。前回もう2度とくるか!と怒った1時間待ちのパスポートコントロールもすんなり抜けてまたまたウブドに。

2件目にはいったところに宿をとり荷物を置いて散歩。

モンキーフォレスト奥からは何やら騒がしい男どもの狂気の声が。。

恐る恐る何重にも囲まれた輪の中に押し入って行くと、地面には真っ赤な血のりがベッタリ。噂に聞いたことがある闘鶏だった。母ちゃんの目を盗んで持ってきた金をかけてるもんだからそりゃ大声もでるわな。踵につけられた鋭い刃の一撃は強烈で結構な数の鶏の死骸をみた。

これから生死をかけて闘うというのに、のんきにコケコッコーなんて鳴いてるのがなんかうすら切ないのであった。

おいしいチキン串焼きを食べながら、これまさかさっきのじゃないだろな~なんて。

さてさて、レストラン、泊まった宿ともにWi-Fiが使えた。iphone大活躍である。ウブドで株価チェックが出来るなんて!感激~!なお、この日記もiphoneにてupしております。

ウブドはバンコクより全然涼しくて快適。目黒を離れて以来初めてゆったり落ちついた時間を過ごしている。

プチアクシデント発生

2009年05月16日 | その他アジア日記
今日は予定もないので9時過ぎ起床。ホーチミンは今日も晴れ。

ドンコイまで散歩してフォー食べて帰ってきてお昼寝したらまた蚊の来襲で起こされる。

夕方、昨日バスからみた景色でいい所があったので歩いて行き写真取りまくってたら、後ろからバイク2人乗りの後ろの奴の手がカメラに伸びてきて一瞬カメラを掴まれた。手首に巻いたストラップのおかげで事なきを得たがひやっとした。銃もってたら後ろから撃ってるな、きっと。

カメラ取られるより写真失うの嫌だ。何よりこういったこと一つのことでベトナムの思い出が悪いものになっちゃうのも残念。ま,取る奴も悪いけど取られる奴も甘いんだけどね。日本人なんていいもん持ってるしカモがネギと金持ってうろついてるようにしか見えないわけだから。。逆の立場だったら俺ジャパニ専門で狙っちゃうよな。感覚鈍っちゃっていること反省。こういうの人一倍気を使うのに。。

取ろうとした奴に不幸が訪れることを祈りつつベトナム最後の夜は更けていくのであった。。

メコンデルタ

2009年05月15日 | その他アジア日記
朝0815シンカフェからまたバスに乗りメコンデルタ1DAYツアー(180000D=約1000円)。
BEN TRE&MY THO 1DAYということであったがほとんど現地人とすれちがうこともなくやたら休憩ばっかのとても残念なツアー。。ホントは河を行き交う混沌たるアジアの強烈な風と匂いを楽しみにしていたんだけど。

ま、前回の楽しかった想い出の上書きがされなかったのはいいのかもしれない、といいように考えよう。6時ホーチミン戻。

ちなみに今日のガイドは昨日クチトンネルツアーの時と同じガイドさん。客の中にも見た顔がちらほら。その中の韓国人のさわやかな新婚カップル(プノンペンでNGO勤務)と一緒に行動。日本に遊びに行きたいのでその時是非、と言われアドレス交換したけどそっちが来るよりこっちが先に行ってお世話になると思うよ。。。きっと。

夕方。
一昨日訪れたちょっと洒落れたパン屋で思いがけずWIFIつながったのでIPHONEでケータイメール送って遊ぶ。しかしすごい世の中だよ。この端末と回線さえあれば場所を選ばず電話もネットもメールも無料でできるなんて。昔みたいに新しい街についたらはがきと切手買って手紙書く気にはなかなかならないよ。最早時代はここまできてるのね。

クチトンネルいってきた

2009年05月14日 | その他アジア日記
6時蚊に額をやられたところで起床。執拗に探し出し死をもって償ってもらった。
外は快晴。
8時シンカフェから大型バスに乗りクチトンネルに向かう。
十数年前もメコンデルタ1泊2日ツアーで同じところから出たけど当時はトヨタハイエースあたりの車にぎゅうぎゅう詰めできつかった。。儲かってんだな、きっと。

金融危機?とオフシーズンで車内は5割の入り。日本人なし。
郊外へ抜けると緑深く牧歌的景色が美しい。2時間で到着。

ま、戦争とはいえこの暑いところでトンネル掘ってすごいもんだ。中に入るとドバーっと汗が噴き出した。トンネルより地中に埋めておくしかけの数々のほうが興味深かった。穴掘って竹やり立てておくような仕様のやつ。穴落ちて串刺しってムゴすぎる。。。息絶えるまで時間かかりそうだし。

どこからともなく銃声が聞こえてきていたので雰囲気だしてんだろうな、と思ったら有料で射撃できるそうな。ご丁寧に弾もいくつかの種類から選べるみたい。メツキ悪そうなヨーロピアンなお兄ちゃんが嬉しそうにポーズとって撃ちまくってた。やってみたかったけど倹約、倹約。(いつもこういうのもったいないと思ってやらないんだけど時々後悔することもあり。旅に出るとなんかモッタイナイ病がでちゃう。ま、射撃はどうでもいいけど。。)

トンネル生活の主食、キャッサバ芋を少しいただきホーチミン午後2時前戻ってきて終了。

第2部は小さな車に乗り換えて戦争証跡博物館(ここは前回来た記憶あり)、統一会堂、中央郵便局、サイゴン大教会まわってめでたく午後5時終了。コメント特になし。

Ho Chi Minh tuita

2009年05月13日 | その他アジア日記
5jimae kisyou.
asakara BKK ha ame.
Air Asia ninotte tukimasita.hisabisano saigon.kotti ha hareteta.
Airportt kara 20yen bakarino bus kara mieru keshikiha nanka zenkaiyori sawagashiku nattayouna kigashita..
Bui Vien de kimeta yado ha heyani nanto internet kanbi!
korede taikutsu shinainoga uresii!
Cyotto yadodai takaikedo mukashimitaini yasukerya ii tteiunoha mou muridana--.
10000yen=1854000don
cuchi tunnel + city tour=170000d
mytho delta tour=180000d

yu-gata kara zutto heyade internet.
net cyu-doku niha honto saiko-desu.

バンコク-シンガポール

2000年09月23日 | その他アジア日記
9月23日 (土) バンコク-シンガポール

久々に訪れたベンクーレンの宿で与えられた部屋は…ペンキの匂いの消えてないタイル張りの殺風景なものであった。たぶんバスルームを壊してそのままベッドを置いただけのものであろう。最悪。でも荷物置くだけだからと納得たのであった。

何にもやることがないので暑さしのぎもかねて映画館へ。Tシャツ、短パンで入った私がアホやった。約2時間地獄の寒さ。そんなに楽しくない映画(SHAFT・サミュエル・L・ジャクソン)を寒さに震えながら耐えて見た。オーチャードを歩きながら紀伊国屋で本を読んだり、前回行ったレストランで晩御飯を食べたりして時間をつぶした。

一気にバンコクへ、友人と再会

2000年09月15日 | その他アジア日記
9月15日 (金) シンガポール-バンコク (SIAM ORIENTAL HOTEL)

夜中1時頃シンガポール到着。成田を出た後のことなんてまったく考えていなかったのでとりあえずついてタバコを外に出て吸って朝までここにいようと漠然と決めた。朝までの数時間のために宿代を取られるのもいただけなかった。レストランでチャーハンと焼きそばを食べスターバックスでコーヒーを仕入れ真剣に本を読むことにした。本は本当に面白く眠気もまったく感じずに朝を迎えることができた。

朝6時、空港の下から出ているローカルバス($1.5)に乗り2年半ぶりのオーチャードロードに向かう。さすがシンガポール、このバスもクーラー効き過ぎで冷蔵庫状態。2年半前とシンガポールの町並みは変わらず。マクドがあいていたので朝食(フィレオフィッシュ)。

日本を出る前夜インターネットでシンガポールからの航空券を探した時HISシンガポール支店のページを見つけたのでそこの住所を書きとめてあった。空港で手に入れたマップを頼りに汗だくになりながら2時間程歩いて9時半頃たどり着いた。

ドアを開けるとなんかみたことある朝礼の風景に苦笑しながらバンコク行きのチケットを探してもらう。安いヨーロッパ系のチケット(約$300)は夜発。とても夜までこの何もないシンガポールで過ごすことは耐えられないのでちょっと値は張った($400)がキャセイで飛ぶことにした。とにかく一刻も早くバンコクに行きたかったのだ。こんなことになるならもうちょっとお金出してバンコクの往復にすればよかったとちょっと後悔。バスで行っても良かったのだがとにかく時間がかかりバンコクで私がくるのをずっと待っている友達に悪いと思ったのであった。

1時間ほどチケットが届くのを待ってもらうやいなやタクシーに飛び乗りシンガポール空港へトンボ帰り。今日バンコクにいけることを友達にメールした後13時35分発のCX712に乗る。14時55分あっという間にもう見飽きた間のあるバンコク、ドンムアン空港到着。100Bに値上がったエアポートバスでカオサンへ。

待ち合わせ場所のサイアムオリエンタルホテルのレストランへ行くと石田君がつまらなそうに待っていた。奴と海外で会うのはインドカルカッタでバイバイしてから2年9ヶ月ぶり。奴はインド行きをのばして私がくるのを待っていてくれた。ま、相手は男であるので感動とかいう感じではまったくなかった。

明日朝のパタヤ行きのバスを予約した後夕方また落ち合うことにして荷物は部屋に置きやっぱり行くだろ、のマッサージ。叔母ちゃんはかなりうまく1時間(140B)なんどか眠りに落ちた。カオサンは相変わらずバカそうな日本人とイスラエリで一杯でやっぱり好きになれない。

夜は石田君が勉強の成果を発揮して楽しいナナナイトツアーに連れて行ってくれた。4時頃カオサンに戻った。テレビからはシドニーオリンピック開会式が映し出されイスラエルの選手が出てくるとあちらこちらから歓声が沸きあがった。こんなにいるのか、イスラエリ!

会社辞めたら次決まっちゃった

2000年09月14日 | その他アジア日記
2000年9月14日(木) 成田-シンガポール (空港)

一ヶ月前の今ごろ、まさか働いていた会社をこんなにはやく辞めるとは夢にも思わなかった。今年中には辞めるつもりだったのだがまさか8月一杯(籍は9月15日まで)になるとは。もちろん辞めることが決まった時、その後のことはまったく決まっていなくて漠然と、あ、これでまた長旅に出れる、と思ったものだ。

人生明日のことは分からず。仕事最後の日の午前中、お客さんだった人のつてで面接を受け、その結果によってはユーラシアを旅することになるはずだったが1週間後採用の通知をもらい25日出社ということも決まり、それまで愛するタイに行くことにした。

ただ3連休が続くこともあってバンコクまでの席がなくしぶしぶシンガポール往復(49000円)を買い、バンコクまではシンガポールで手配することにした。帰国日の決まっていないたびは楽しいものだが、日本に帰ってきてからのことを考えるとぞっとする歳になった。もちろん歳を重ねるほどいきづらくはなるが、最後のチャンスを逃したことより仕事が決まってほっとしたほうが強かったのも事実である。やっぱり日本人である。

住んでいた練馬のアパートを引き払い、次の会社の手続きを一通り急いで終わらせ京成線で成田空港へ。NW19便午後6時55分発。初めてのノースウェスト航空。感想特になし。空港で前から読みたかった本である夢枕獏、「神々の山嶺・上」を読み出す。大好きな山岳小説である。これが予想以上に面白くページをめくるのをもったいなく思いつつ(下巻を買ってないから)読みふける。

ゲイの親父にパタヤまで連れてってもらう

2000年04月08日 | その他アジア日記
4月8日 (土) シアヌークビル-パタヤ (WHITE ROSE2)

8時起床。シャワーを浴び隣のレストランでフランスパン1本とかなりまずいアイスコーヒーの朝食を取る。

10時チェックアウトし、バイクで10時半船着場へ。アホイはついにここで本性を出した。昨日と今日のバイク代で25ドル欲しいというのだ。半田は困惑しながらも断りきれない人のよさだ。私はこれでもかなり出しすぎだと思いながらも10ドルアジムに渡してやった。10ドルが以下に大金かを奴も分かっているようで少々ごねながらも喜んで受け取った。

12時出航。船はそんなに込んでなくそれなりにエアコンも効き(そりゃそーだろ、15ドルもするんだから)、自分の席もあった。雷が落ちまくっている方向へ船が向かっていくのがちょっと不安だったが4時間弱でカンボジア側のパスポートコントロール、コッコン到着。

今度は小さなモーターボート(100B)に乗り換えて国境を目指すのだがこれがまた恐ろしい地獄ボートであった。落差の一番大きな一番前に座ったのが運のつき、悲惨の悲惨。超高角度ビテイコツワリ500連発が全身の日焼けの痛みとの相乗効果で未知の世界を見せてくれた。あまりのすごさに疲れは一気にレッドゾーン。何分ほどこの拷問を受けたのかも分からない。よほど耐えかね後ろの少しでもましだと思われる場所に変えてもらおうと頼むタイミングを計っているところでようやく国境到着。このボート、ジジババはマジで死ぬぞ。

タイ人旅行者らしき人にここからパタヤへはどうやって行けばいいか?と聞いているとたまたま話を聞いていた太った親父が「俺はパタヤからここまで来ているから乗せてやる」と言ってくれ2人で15ドルで話がついた。

名前はジーター、ドイツ人、ゲイ。カンボジアにはゲイ用のスペシャルツアーを作るための視察に来ていたらしい。2年ほどパタヤに住んでいるらしく、現在は男と一緒に生活しているらしい。その話を聞かされたときはわが身の心配をせざるを得なかった。が、とてもいい人で話し好き。ホンダシビックも絶好調で夜11時頃パタヤ到着。もし偶然に奴に出会わなければたぶんどこかの小さな街で泊まらなければいけなかったであろうことを思うと本当にラッキーだった。旅をしていると俺って本当にツイテルナ、と思うことがあるが、これもそのひとつ。ついてないこともよくある気もするが。

3年前泊まった宿を訪れてみるがあまりにも汚かったのでその隣のホテル(400B)に部屋を取った。カンボジアの味に飽き飽きしていたのでケンタッキーフライドチキン直行。久々のジャンクの味に感動すら覚える。久々のネオンにエキサイト。朝4時ころ宿に戻った。