ノーアウトランナー1塁。さっきのバントはヒットと記録され、我がチームの完全試合は途切れた。
次のバッターは福永。やつははなっからバントの構え。送りバントする気か? ふとマウンドの唐沢が、横目でオレに合図を送ってきた。どうやら、あいつ得意のあれをやる気らしい。
唐沢が1球目のセットポジションに入った。佐々木が「リーリー」とピッチャーにプレッシャーをかけながら、徐々に離塁し始めた。と、唐沢が突然くるっと振り向き、オレに絶妙な牽制球を投げた。佐々木は塁に帰ることができず、タッチアウト。が、次の瞬間、1塁塁審が信じられないコールをした。
「ボーク!!」
「バカゆーな!! あんた、いったいどこに目付けてるんだ!?」
唐沢が切れた。あたり前だ。頭のてっぺんからつま先まで、唐沢はなんらボークとなるアクションをしてなかった。
「退場!!」
1塁塁審は、さらに信じられないコールをした。
「なんだとーっ!! この野郎ーっ!!」
唐沢はものすごい勢いで1塁塁審に殴りかかった。が、オレと鈴木でなんとか止めた。
「落ち着け、唐沢!!」
身体の方はなんとか止めることができたが、口の方は止まらなかった。
「このへっぽこ審判めーっ!! ぶっ殺されてーのかっ!?」
「なんだ、その暴言は!? 永久追放にしてほしいのかっ!?」
中井が唐沢と1塁塁審の間に入った。
「待ってください。いったい今のどこがボークなんですか!?」
「オレがボークと言ったから、ボークなんだよ!! わかったか、低能高校生!?」
なんてむちゃくちゃな塁審なんだ!? こいつ…
観客が騒ぎ出した。たくさんの物が投げ込まれた。グランドはあっとゆー間にゴミだらけになった。もうこれは野球じゃない…
オレは野球が好きだ。好きだからこそ、苦しい手術にもリハビリにも耐えることができた。でも、もうどうでもよくなった。こんな試合がこの世に存在するなら、もう野球なんかどうでもいい…
※
ふと中井と目が合った。オレはぽつりと言った。
「中井、試合放棄しよっか?…」
中井は視線を下に向け、ぽつりと口を開いた。
「実は… オレも今同じこと考えてました…」
「だめですよ、そんな!!」
ふいのその大声に、オレも中井もドキッとした。その声は箕島のものだった。
「ここで試合を放棄して、澤田さんが喜ぶとでも思ってんですか!?」
澤田… オレは箕島のその言葉に、ハンマーで殴られたような衝撃を感じた。とも子はまじで甲子園に行き、優勝するつもりだった。ここでオレたちが試合を放棄したら、だれよりとも子が悲しむはず。どんなひどい試合であっても、ここはとも子のために最後まで正々堂々と戦い、勝たなくっちゃいけないんだ。
オレは箕島の肩を叩いた。
「わかったよ、試合を続けよう」
まさか、箕島に言われるとはな… そーいや、箕島はとも子に説得されて野球部に戻ったんだっけ。いや、箕島以外のナインも、みなとも子と一緒に走り続けたんだ。とも子のために、ここはみんなで踏ん張らなくっちゃいけないんだ!!
「よーし、みんな、澤田のために、この試合、絶対ものにするぞーっ!!」
オレは思いっきり叫んだ。
「おーっ!!」
中井が、箕島が、北村が、そしてナイン全員が、それに呼応してくれた。
※
しかし、現実問題。唐沢が退場したとなると、残るピッチャーは1年生の北川のみ。でも、北川の実戦経験は、ほぼゼロに等しい… くそーっ、オレの左腕がもう少しでも回復してれば、オレがマウンドに上がるのに…
そのとき、ふいにだれかがしゃべった。
「オレが投げます」
それは中井の発言だった。
「大丈夫なのか?…」
「実はオレ、中学時代はピッチャーだったんです」
おいおい、中井、おまえ、高校に入ってから野球始めたんじゃないのか? ふっ、そいつあ、ヤボなツッコミってゆーもんかな? ともかくここは、中井を信じることとしよう。
※
中井が規定のピッチング練習を終え、ノーアウトランナー2塁で試合が再開した。バッターの福永は、またバントの構えを見せた。しかも、わざとらしくオレを見てにやっとした。どうやらあの練習試合のときみたいに、オレにバントする気らしい。正直オレの左腕はあのときよりは回復してる。でも、まだ山なりのボールしか投げられないと思う。今できることと言えば、できるだけ早くバントの打球を捕り、3塁に送球するのみ。
中井の1球目。福永はやはり1塁線にバントしてきた。オレは猛ダッシュでその打球を1バウンドで捕ると、3塁に送球。思ったより山なりにはならなかったが、矢のような送球でもなかった。しかし、2塁ランナーの佐々木が3塁に到達するより早くオレの送球が届き、楽々タッチアウト。
オレはわざと得意な顔をして、城島高校ベンチの竹ノ内監督を見た。監督は少しだけにが笑いをしたように見えた。
※
城島高校の続くバッターは、今度は慎重な送りバントをし、2アウトランナー2塁となった。
次のバッターは、ピッチャーの境。こいつ、ピッチャーってことで打順は7番だが、打率は4割を越えてた。ここでヒットが出ると、2塁ランナーの福永は、一気にホームに戻って来る可能性がある。そうなると、試合は振り出しに戻ってしまう。2塁ランナーは最悪でも3塁で止めておく必要がある。オレは外野手3人の守備位置を前進させた。これだと外野手の頭を越される危険性が高くなるが、内野手の間を抜くようなふつうのヒットだと、2塁ランナーは3塁止まりとなる。
※
いよいよ境がバッターボックスに入った。ここまで中井が対戦したバッターはバントしかしてないので、本格的な対戦はこれが最初となる。頼む、中井、押さえてくれ…
しかし、初球を狙い撃たれてしまった。打球は中井の脇をものすごい勢いで通り抜け、センター前ヒットとなった。だが、この当たりなら、2塁ランナーは3塁に止まるはず…
が、なんと2塁ランナーの福永は、一気に3塁を廻った。センター渡辺がバックホーム。完全にアウトのタイミング。しかし、福永は身を低くし、イチかバチか、猛スピードでホームベースに突っ込む気だ。北村も福永に負けないように、身を低くした。
「うおーっ!!」
福永と北村が激しく激突した。北村は真後ろに吹き飛ばされたが、福永の身体も縦に回転しながら舞い上った。その福永の足の裏が、主審の顔を直撃した。スパイクされたのか、主審の顔面がスパッと切れ、鮮血がほとばしった。
肝心なタマは、2人が激突した場所に落ちていた。福永はそれに気づいたのか、必死にホームベースに向かって這いずった。が、中井がタマを拾い上げ、その手にタッチした。しかし、肝心な主審は、顔面を押さえ、血だらけでうずくまったままだ。3塁の塁審が確認しに来たときは、福永の手は中井のタッチを無視して、ホームベースをタッチしてた。まずい、これじゃセーフと判断される…
中井が3塁塁審をにらみ、怒鳴った。
「アウトだ!!」
その大声に塁審がびびった。中井が追い打ちをかけるように、さらに怒鳴った。
「アウトだろ、これは!!」
「ア、ア… アウト…」
塁審が中井の気迫に押されて、アウトをコールしてくれた。オレは安堵したが、と同時に、北村の容体が気になった。振り向くと、北村は横座りでぼーっとしてた。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫っす…」
いや、その言葉とは裏腹に、北村はかなりきつそうだ。オレは手を差し伸べた。その手に気づいた北村は、オレの顔を見ると、少し笑みを見せ、その手を握ってくれた。北村のオレに対するわだかまりは、もう消えたようだ。北村はオレの手を借り、立ち上がった。
ふと主審を見ると、顔にスポーツタオルを押し当て、うずくまっていた。そのタオルは真っ赤に染まっていた。どうやら、野球の神様のバチが当たったらしい。主審は退場し、別の審判が主審となった。
また、福永も右肩を押さえたまま、動けなくなっていた。どうやら肩かひじを脱臼したらしい。北村がとも子のかたきを取ってくれたようだ。
※
8回の裏、聖カトリーヌ紫苑学園の攻撃。ここは追加点が欲しいところ。しかし、先頭バッターの鈴木は、あっけなく倒れた。続くバッターは北村。
ふとさっきの福永の脱臼が、オレの脳裏を横切った。報復などとゆー、よからぬ考えを起こさなきゃいいが… しかし、その危惧は現実になった。境の豪速球が、北村の背中を直撃したのだ。どう見ても悪質な危険球だ。しかし、替わった主審は境になんら注意せず、ただデッドボールを宣言するだけだった。
ちなみに、避け切れないタマが来たときは、バッターはたいていくるっと背中を向けるように教えられている。意外かもしれないが、人体の急所は表の方に多く、裏の方はほとんどないのだ。
しかし、北村は四つん這いになったまま、動けなくなってしまった。かなり痛いらしい。
「おらーっ、邪魔だっ!! どけよーっ!!」
福永から替わったキャッチャーの高野が、まるでヤクザのような怒鳴り声を出した。なんだ、こいつは? デッドボールを食らわしておいて、何様のつもりだ?
北村はなんとか立ち上がり、1塁へと歩いた。しかし、北村は満身創痍だ。交えてやりたいが、代わりになるキャッチャーは我がチームにはいなかった。ここは北村に我慢してもらうしかなかった。
次のバッターは箕島。しかし、箕島は凡退。続く途中出場の武田も、実戦経験の乏しさが出て、いともかんたんに凡退した。
※
試合はいよいよ最終回、9回の表に突入した。この回城島高校を0点に押さえ切れば、こっちの勝ちだ。でも、相手は城島高校だ。何かよからぬことを仕掛けてくるかも… ここは念には念を入れて行かないと。幸い城島高校の打順は、下位の8番から。
※
竹ノ内監督が動いた。代打である。しかし、高校野球の代打は、所詮は控え、たかが知れてる。中井はその代打をファールフライに仕留めた。続く9番バッターにも代打。これも内野フライ。いよいよあと1人となった。
ここで城島高校の打順は一巡し、1番の柴田がバッターボックスに立った。柴田は昨日の鮎川工業戦で疑惑のホームランを撃っている。いやな巡り合わせだ… 柴田は例の薄気味悪い笑顔を見せ、バットを構えた。
1球目、内角低めのストレート、ファール。2球目、外角低めのストレート、ファール。中井はていねいなピッチングで柴田を追い込んだ。あと1球。しかし、3球目のカーブがあまく入ってしまった。
カキーン!! 打球はあっとゆー間にレフトスタンドに突き刺さった。文句の付けようのないホームラン…
中井がにが虫をかみ潰したような表情を浮かべた。相変わらずへらへらとした顔の柴田が、ダイヤモンドを廻り出した。セカンドの鈴木も、ショートの箕島も、途中出場のサードの森も、ただそれを見てるしかなかった。北村は肩を落とし、ただ呆然と立ちすくんでいた。その目の前にあるホームベースを柴田が踏んだ。同点…
痛い… なんて痛いホームランなんだ… 9回表2アウトまで勝ってたのに、ここで振り出しに戻ってしまうなんて… 球場全体がシーンとなってしまった。
次のバッターは福永。やつははなっからバントの構え。送りバントする気か? ふとマウンドの唐沢が、横目でオレに合図を送ってきた。どうやら、あいつ得意のあれをやる気らしい。
唐沢が1球目のセットポジションに入った。佐々木が「リーリー」とピッチャーにプレッシャーをかけながら、徐々に離塁し始めた。と、唐沢が突然くるっと振り向き、オレに絶妙な牽制球を投げた。佐々木は塁に帰ることができず、タッチアウト。が、次の瞬間、1塁塁審が信じられないコールをした。
「ボーク!!」
「バカゆーな!! あんた、いったいどこに目付けてるんだ!?」
唐沢が切れた。あたり前だ。頭のてっぺんからつま先まで、唐沢はなんらボークとなるアクションをしてなかった。
「退場!!」
1塁塁審は、さらに信じられないコールをした。
「なんだとーっ!! この野郎ーっ!!」
唐沢はものすごい勢いで1塁塁審に殴りかかった。が、オレと鈴木でなんとか止めた。
「落ち着け、唐沢!!」
身体の方はなんとか止めることができたが、口の方は止まらなかった。
「このへっぽこ審判めーっ!! ぶっ殺されてーのかっ!?」
「なんだ、その暴言は!? 永久追放にしてほしいのかっ!?」
中井が唐沢と1塁塁審の間に入った。
「待ってください。いったい今のどこがボークなんですか!?」
「オレがボークと言ったから、ボークなんだよ!! わかったか、低能高校生!?」
なんてむちゃくちゃな塁審なんだ!? こいつ…
観客が騒ぎ出した。たくさんの物が投げ込まれた。グランドはあっとゆー間にゴミだらけになった。もうこれは野球じゃない…
オレは野球が好きだ。好きだからこそ、苦しい手術にもリハビリにも耐えることができた。でも、もうどうでもよくなった。こんな試合がこの世に存在するなら、もう野球なんかどうでもいい…
※
ふと中井と目が合った。オレはぽつりと言った。
「中井、試合放棄しよっか?…」
中井は視線を下に向け、ぽつりと口を開いた。
「実は… オレも今同じこと考えてました…」
「だめですよ、そんな!!」
ふいのその大声に、オレも中井もドキッとした。その声は箕島のものだった。
「ここで試合を放棄して、澤田さんが喜ぶとでも思ってんですか!?」
澤田… オレは箕島のその言葉に、ハンマーで殴られたような衝撃を感じた。とも子はまじで甲子園に行き、優勝するつもりだった。ここでオレたちが試合を放棄したら、だれよりとも子が悲しむはず。どんなひどい試合であっても、ここはとも子のために最後まで正々堂々と戦い、勝たなくっちゃいけないんだ。
オレは箕島の肩を叩いた。
「わかったよ、試合を続けよう」
まさか、箕島に言われるとはな… そーいや、箕島はとも子に説得されて野球部に戻ったんだっけ。いや、箕島以外のナインも、みなとも子と一緒に走り続けたんだ。とも子のために、ここはみんなで踏ん張らなくっちゃいけないんだ!!
「よーし、みんな、澤田のために、この試合、絶対ものにするぞーっ!!」
オレは思いっきり叫んだ。
「おーっ!!」
中井が、箕島が、北村が、そしてナイン全員が、それに呼応してくれた。
※
しかし、現実問題。唐沢が退場したとなると、残るピッチャーは1年生の北川のみ。でも、北川の実戦経験は、ほぼゼロに等しい… くそーっ、オレの左腕がもう少しでも回復してれば、オレがマウンドに上がるのに…
そのとき、ふいにだれかがしゃべった。
「オレが投げます」
それは中井の発言だった。
「大丈夫なのか?…」
「実はオレ、中学時代はピッチャーだったんです」
おいおい、中井、おまえ、高校に入ってから野球始めたんじゃないのか? ふっ、そいつあ、ヤボなツッコミってゆーもんかな? ともかくここは、中井を信じることとしよう。
※
中井が規定のピッチング練習を終え、ノーアウトランナー2塁で試合が再開した。バッターの福永は、またバントの構えを見せた。しかも、わざとらしくオレを見てにやっとした。どうやらあの練習試合のときみたいに、オレにバントする気らしい。正直オレの左腕はあのときよりは回復してる。でも、まだ山なりのボールしか投げられないと思う。今できることと言えば、できるだけ早くバントの打球を捕り、3塁に送球するのみ。
中井の1球目。福永はやはり1塁線にバントしてきた。オレは猛ダッシュでその打球を1バウンドで捕ると、3塁に送球。思ったより山なりにはならなかったが、矢のような送球でもなかった。しかし、2塁ランナーの佐々木が3塁に到達するより早くオレの送球が届き、楽々タッチアウト。
オレはわざと得意な顔をして、城島高校ベンチの竹ノ内監督を見た。監督は少しだけにが笑いをしたように見えた。
※
城島高校の続くバッターは、今度は慎重な送りバントをし、2アウトランナー2塁となった。
次のバッターは、ピッチャーの境。こいつ、ピッチャーってことで打順は7番だが、打率は4割を越えてた。ここでヒットが出ると、2塁ランナーの福永は、一気にホームに戻って来る可能性がある。そうなると、試合は振り出しに戻ってしまう。2塁ランナーは最悪でも3塁で止めておく必要がある。オレは外野手3人の守備位置を前進させた。これだと外野手の頭を越される危険性が高くなるが、内野手の間を抜くようなふつうのヒットだと、2塁ランナーは3塁止まりとなる。
※
いよいよ境がバッターボックスに入った。ここまで中井が対戦したバッターはバントしかしてないので、本格的な対戦はこれが最初となる。頼む、中井、押さえてくれ…
しかし、初球を狙い撃たれてしまった。打球は中井の脇をものすごい勢いで通り抜け、センター前ヒットとなった。だが、この当たりなら、2塁ランナーは3塁に止まるはず…
が、なんと2塁ランナーの福永は、一気に3塁を廻った。センター渡辺がバックホーム。完全にアウトのタイミング。しかし、福永は身を低くし、イチかバチか、猛スピードでホームベースに突っ込む気だ。北村も福永に負けないように、身を低くした。
「うおーっ!!」
福永と北村が激しく激突した。北村は真後ろに吹き飛ばされたが、福永の身体も縦に回転しながら舞い上った。その福永の足の裏が、主審の顔を直撃した。スパイクされたのか、主審の顔面がスパッと切れ、鮮血がほとばしった。
肝心なタマは、2人が激突した場所に落ちていた。福永はそれに気づいたのか、必死にホームベースに向かって這いずった。が、中井がタマを拾い上げ、その手にタッチした。しかし、肝心な主審は、顔面を押さえ、血だらけでうずくまったままだ。3塁の塁審が確認しに来たときは、福永の手は中井のタッチを無視して、ホームベースをタッチしてた。まずい、これじゃセーフと判断される…
中井が3塁塁審をにらみ、怒鳴った。
「アウトだ!!」
その大声に塁審がびびった。中井が追い打ちをかけるように、さらに怒鳴った。
「アウトだろ、これは!!」
「ア、ア… アウト…」
塁審が中井の気迫に押されて、アウトをコールしてくれた。オレは安堵したが、と同時に、北村の容体が気になった。振り向くと、北村は横座りでぼーっとしてた。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫っす…」
いや、その言葉とは裏腹に、北村はかなりきつそうだ。オレは手を差し伸べた。その手に気づいた北村は、オレの顔を見ると、少し笑みを見せ、その手を握ってくれた。北村のオレに対するわだかまりは、もう消えたようだ。北村はオレの手を借り、立ち上がった。
ふと主審を見ると、顔にスポーツタオルを押し当て、うずくまっていた。そのタオルは真っ赤に染まっていた。どうやら、野球の神様のバチが当たったらしい。主審は退場し、別の審判が主審となった。
また、福永も右肩を押さえたまま、動けなくなっていた。どうやら肩かひじを脱臼したらしい。北村がとも子のかたきを取ってくれたようだ。
※
8回の裏、聖カトリーヌ紫苑学園の攻撃。ここは追加点が欲しいところ。しかし、先頭バッターの鈴木は、あっけなく倒れた。続くバッターは北村。
ふとさっきの福永の脱臼が、オレの脳裏を横切った。報復などとゆー、よからぬ考えを起こさなきゃいいが… しかし、その危惧は現実になった。境の豪速球が、北村の背中を直撃したのだ。どう見ても悪質な危険球だ。しかし、替わった主審は境になんら注意せず、ただデッドボールを宣言するだけだった。
ちなみに、避け切れないタマが来たときは、バッターはたいていくるっと背中を向けるように教えられている。意外かもしれないが、人体の急所は表の方に多く、裏の方はほとんどないのだ。
しかし、北村は四つん這いになったまま、動けなくなってしまった。かなり痛いらしい。
「おらーっ、邪魔だっ!! どけよーっ!!」
福永から替わったキャッチャーの高野が、まるでヤクザのような怒鳴り声を出した。なんだ、こいつは? デッドボールを食らわしておいて、何様のつもりだ?
北村はなんとか立ち上がり、1塁へと歩いた。しかし、北村は満身創痍だ。交えてやりたいが、代わりになるキャッチャーは我がチームにはいなかった。ここは北村に我慢してもらうしかなかった。
次のバッターは箕島。しかし、箕島は凡退。続く途中出場の武田も、実戦経験の乏しさが出て、いともかんたんに凡退した。
※
試合はいよいよ最終回、9回の表に突入した。この回城島高校を0点に押さえ切れば、こっちの勝ちだ。でも、相手は城島高校だ。何かよからぬことを仕掛けてくるかも… ここは念には念を入れて行かないと。幸い城島高校の打順は、下位の8番から。
※
竹ノ内監督が動いた。代打である。しかし、高校野球の代打は、所詮は控え、たかが知れてる。中井はその代打をファールフライに仕留めた。続く9番バッターにも代打。これも内野フライ。いよいよあと1人となった。
ここで城島高校の打順は一巡し、1番の柴田がバッターボックスに立った。柴田は昨日の鮎川工業戦で疑惑のホームランを撃っている。いやな巡り合わせだ… 柴田は例の薄気味悪い笑顔を見せ、バットを構えた。
1球目、内角低めのストレート、ファール。2球目、外角低めのストレート、ファール。中井はていねいなピッチングで柴田を追い込んだ。あと1球。しかし、3球目のカーブがあまく入ってしまった。
カキーン!! 打球はあっとゆー間にレフトスタンドに突き刺さった。文句の付けようのないホームラン…
中井がにが虫をかみ潰したような表情を浮かべた。相変わらずへらへらとした顔の柴田が、ダイヤモンドを廻り出した。セカンドの鈴木も、ショートの箕島も、途中出場のサードの森も、ただそれを見てるしかなかった。北村は肩を落とし、ただ呆然と立ちすくんでいた。その目の前にあるホームベースを柴田が踏んだ。同点…
痛い… なんて痛いホームランなんだ… 9回表2アウトまで勝ってたのに、ここで振り出しに戻ってしまうなんて… 球場全体がシーンとなってしまった。