コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

潜入記 松岡先生の『源氏物語』

2009-10-14 23:37:45 | 
28日に私が担当することになっている、静岡市南部生涯学習センター講座「日本の歴史・伝統との対話」の第2回。
松岡智之先生の「『源氏物語』の魅力-若紫巻を中心に-」を聴講。

おもしろかった~~。

高校の古文でもほぼ必須の、北山での出来事を中心に丁寧に読みながら、郊外の自然と、山岳信仰と結びついた平安仏教のあり方が、若い源氏の病/快復のプロセスとリンクすると同時に、若紫との出会いが用意されるという……。
『源氏』を通読したことはなくてもここは何度も読んでいるのに、自然描写と宗教の関わりとか、考えたこと無かったなぁ、と。
そして、[病/快復]が、しっかりモノガタリの中で、通過儀礼的な機能を持っているんだと言うことも意識させられた。
ふむふむ。

松岡先生の講義は、3枚の配付資料を話の進行に合わせて配付したり、板書を多用したりと、教育学部の先生らしいというべきなのか、聴講者の注意を逸らさない工夫だなぁ、と感心。

しかし、一番感心したのは、質疑応答で……。
実際、時間内に質問したのは2人だけだったんだけれど、中々本質に関わる物で、それに対する松岡先生の答えが講義以上に(失礼!)興味深かった。

恋愛と言う様式の発生、仏教的罪悪感と、所謂“不倫”との矛盾……。

それぞれ歴史と現代が向き合って考えられるテーマだと思う。
この辺で、なんかリレー講座出来ないかな。

それから、『源氏物語』に関する入門書を紹介して欲しいと言う質問にすらすらと新書を紹介していたのもさすが。
これは次回に活かさねば。

とにかく聴衆が熱心なので、質疑応答の時間を長めに取る覚悟が要るな、と思った次第。



さて、そういう楽しい話とは別に、若干苦言も述べておかねばならない。

駿府十返舎一九研究会のメンバーを含め、何人かの知り合いが、私の回の受講を申し込もうとして断られたというので、事情を訊いてみた。

理由は、申込期限が過ぎていること、5回の連続講座であり単独は認めていない、ということ、の2点。

しかし、アイセルの講座の時は柔軟な対応を取っていたのだし、規則ではないだろう。
実際、〆切までに申し込んだ人は36名(定員は50名)。今日の出席者も30人に満たなかった。
余った印刷物はどうするんだろう……。
〆切までに定員いっぱいになるだけの努力をしたのだろうか。
企画が自分たちの物になっていたら、36人だけど〆切だから受付停止、と言う発想は出てこないんじゃないか。

元々の担当者が事故で欠勤中らしく、現在の担当者は、引き継いだことをかたくなに守っているらしい。
「前任者の命令は絶対なのですね」と訊いたら真顔で「そうです」と答えられてしまっては継ぐ言葉もない。
その前任者は、私との電話では、「飛び込みでも大丈夫ですよ」、と仰っていたのだし……。

この企画は、大学にお任せの依頼だった、と言うことは前にも書いた。
私が、こういう事態についてしつこく批判するのは、静岡市の生涯学習担当が、全部こんな状態なワケではないからだ。

10年ほど前、私を誘ってくれた、当時の長田公民館館長の大畑緑郎さんは、本当に、一九をこよなく愛していた。それがなければ私は講師を引き受けなかったし、小池正胤先生を引き込むこともしなかったと思う。小池先生がずっと通って下さっているのも、大畑さんを始め、研究会メンバーの熱意があってこそだ。

今は清水文化センターで斬新な企画を連発している野沢さんが南部公民館にいたころは、ここでも彼女の提案の企画があった。

こういう、志を高く持って頑張っている人たちがいるなかで、相変わらずお役所的にこなしていこうとしているようにしか見えない人たちがいる。


これは、とても不幸なことだ。
そして、それは、大学の中も一緒だ。

誰のために、なんのために、それをするのか、と言うことを、しっかり考えなおさないと。



そんなわけで、28日。
席には余裕があります。
配付資料を36部しか刷らないようならこちらで用意します。
ぜひお越しを。


とかなんとか。
ここまで言ってつまらない話をしたら帰り道が危ないなぁ。

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