3/21 「転校生」@静岡芸術劇場→演劇「転校生」を観る!そして語る!!@スノドカフェ。
ここには観た芝居についての「批評」を書く予定だったのだけれど……。
前回公演の感想は既に書いてある。
かなりいじってあるらしく、色々記憶になかったこともあり、聞いて判ったこともあるのだけれど、大筋、感想としては変化はない気がする。
躓いて携帯を落としたのはやっぱり演出だったのか? とか??
だから、と言うのではないのだけれど、ここはあえて、スノド企画そのものについて書こうと思う。
終演後の大騒ぎを抜けて(いやぁ、女子高生達と話したかったよねぇ。おじさんシャイだから無理)、スノドに移動。
鍋の準備。で、食べる。
話題は、鍋にどういう順番で具を入れるかとか、寄せ鍋にはニラ入れるな、とか、電磁調理器は電気喰うとか……。
テーブルによってかなり焦点が違う。
漏れ聞こえてくる興味深い話題。
……ほら、これが、あの教室のリアルだ。
みんなで意見を出し合って一つの「劇評」を作ろう、と言う柚木さんの野望は、やっぱり無茶だったなとは思うのだけれど、それでもそういう「共通目的」みたいな物が軽いプレッシャーになってあの空間に緊張感を与えていたのは確かでしょう。
私の近くにいたメンバーは、コニ研出身で劇団制作経験者(卒論で平田オリザも引用)とか、やっと一年が終わる高校生のような一年生コンビとか。
そういう中で、個別の一言発表のような物もあり。
大きな流れとしては「リアル」という問題だったかな、と。
そこに、Fさんの「選択」という主題が面白い具合に入り込んでくる。
そうこうするうちにSPAC関係者到着。
なんと、「岡本さん」まで!!
以下、初演(平田演出・青山円形劇場 94/11)や静岡初演(飴屋演出、07/12)との変更点やらキャスティング、演出方法その他、裏話聴取大会に……。
これはこれで収穫大。
自分の記憶のいい加減さに脱力。
そこで披露された「解釈」の一々を紹介するのはやめておこう。
この空間が何だったのか、と言うことの重要さ。
一つのテクスト(この場合は演劇)をめぐってあれこれ意見を述べ合う。
例えば家族連れでもカップルでも同じ事をするかもしれない。
しかし、前に書いたように「劇評書くんだよね」という仕掛があり、前回に続いてちゃんと「学習ノート」が配られ……。
そういう中で、背景の違う人たちが、一応形になることを言おうとする。
多分、どんなに時間をかけても一つの批評をまとめることは出来なかったと思うのだけれど、しかし、その「感想」の共有の場、そのものに大きな価値があった。
自分のもやもやした解釈(あるいは、解釈し得ない物)に対する別な見方の存在、全く別の角度からの照射、それらはまた、発言者にとっては未消化の何かでしかないモノであり……。
そういう他者の声を補助線として、場合によっては疑問が解消し、「そういうことか!」と言う歓びを生み。
しかし、そこから更に新しい問いが見え、改めて情報収集の必要性も深まる。
それは、一人で考えていた時のもやもやとは明らかに違う目的の明確な探求になっていく。
自分が今、何を識りたいのか、を知ること。
それは、永遠に終わるモノではない。
一つの答えがあるわけでもない。
そこから学問の悦びへ。
あぁ、これが「教室」だ。
スノドカフェは、本当に、新しい「オトナの学び」の空間として立ち上がった。
柚木さんに、心から感謝。
この熱気を本当に大学の教室に取り戻さないとね。
それにしても、参加した人はみんな、文字にして残しましょう。
というわけで、フレームの話はここまで。
続きは別の記事に(その前に原脚本よみます)。
ここには観た芝居についての「批評」を書く予定だったのだけれど……。
前回公演の感想は既に書いてある。
かなりいじってあるらしく、色々記憶になかったこともあり、聞いて判ったこともあるのだけれど、大筋、感想としては変化はない気がする。
躓いて携帯を落としたのはやっぱり演出だったのか? とか??
だから、と言うのではないのだけれど、ここはあえて、スノド企画そのものについて書こうと思う。
終演後の大騒ぎを抜けて(いやぁ、女子高生達と話したかったよねぇ。おじさんシャイだから無理)、スノドに移動。
鍋の準備。で、食べる。
話題は、鍋にどういう順番で具を入れるかとか、寄せ鍋にはニラ入れるな、とか、電磁調理器は電気喰うとか……。
テーブルによってかなり焦点が違う。
漏れ聞こえてくる興味深い話題。
……ほら、これが、あの教室のリアルだ。
みんなで意見を出し合って一つの「劇評」を作ろう、と言う柚木さんの野望は、やっぱり無茶だったなとは思うのだけれど、それでもそういう「共通目的」みたいな物が軽いプレッシャーになってあの空間に緊張感を与えていたのは確かでしょう。
私の近くにいたメンバーは、コニ研出身で劇団制作経験者(卒論で平田オリザも引用)とか、やっと一年が終わる高校生のような一年生コンビとか。
そういう中で、個別の一言発表のような物もあり。
大きな流れとしては「リアル」という問題だったかな、と。
そこに、Fさんの「選択」という主題が面白い具合に入り込んでくる。
そうこうするうちにSPAC関係者到着。
なんと、「岡本さん」まで!!
以下、初演(平田演出・青山円形劇場 94/11)や静岡初演(飴屋演出、07/12)との変更点やらキャスティング、演出方法その他、裏話聴取大会に……。
これはこれで収穫大。
自分の記憶のいい加減さに脱力。
そこで披露された「解釈」の一々を紹介するのはやめておこう。
この空間が何だったのか、と言うことの重要さ。
一つのテクスト(この場合は演劇)をめぐってあれこれ意見を述べ合う。
例えば家族連れでもカップルでも同じ事をするかもしれない。
しかし、前に書いたように「劇評書くんだよね」という仕掛があり、前回に続いてちゃんと「学習ノート」が配られ……。
そういう中で、背景の違う人たちが、一応形になることを言おうとする。
多分、どんなに時間をかけても一つの批評をまとめることは出来なかったと思うのだけれど、しかし、その「感想」の共有の場、そのものに大きな価値があった。
自分のもやもやした解釈(あるいは、解釈し得ない物)に対する別な見方の存在、全く別の角度からの照射、それらはまた、発言者にとっては未消化の何かでしかないモノであり……。
そういう他者の声を補助線として、場合によっては疑問が解消し、「そういうことか!」と言う歓びを生み。
しかし、そこから更に新しい問いが見え、改めて情報収集の必要性も深まる。
それは、一人で考えていた時のもやもやとは明らかに違う目的の明確な探求になっていく。
自分が今、何を識りたいのか、を知ること。
それは、永遠に終わるモノではない。
一つの答えがあるわけでもない。
そこから学問の悦びへ。
あぁ、これが「教室」だ。
スノドカフェは、本当に、新しい「オトナの学び」の空間として立ち上がった。
柚木さんに、心から感謝。
この熱気を本当に大学の教室に取り戻さないとね。
それにしても、参加した人はみんな、文字にして残しましょう。
というわけで、フレームの話はここまで。
続きは別の記事に(その前に原脚本よみます)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます