通勤途中のガソリンスタンドに、「洗いたい放題」という看板があります。
定額制で、いつでも好きなだけ洗車できるサービスがありますよ、と言うことのようです。
気になるのは、「たい」です。
飲食店で定額制で好きなだけ食べられるのは「食べ放題」「飲み放題」ですよね。
「放題」というのが、「前に来る動作を好きなだけする」と言うような意味を持っているので、「たい」と言う助動詞があると余計な感じがします。
もっと言えば、「『洗いたい』という願望を抱くのは自由だよ、でも……」と言う意地悪な解釈も可能かも知れません。
でも、時々「やりたい放題」「言いたい放題」というような言葉も見たり聴いたりしますよね。
何か違いがあるのかな。
私が所属している学会で、機関誌の原稿募集の文章に、「……投稿を期待したい」というのがあります。
気になっていたので、私が委員の時に「たい」を消して「期待する」に変えて貰ったんですが、いつの間にか復活してしまいました。
まぁ、インタビューとか、そこら中で見ますよね。
「期待したい」はごく普通にある用法のようです。
でも、「期待する」という願望に「たい」がつくのは、やっぱり余分で、これも意地悪な解釈をすれば「本当は期待出来ないのだけれど、なんとか希望を持たせて欲しい」、みたいな?
「たい」と言う希望をあらわす助動詞の受ける動詞には、なにか性格の違いがあって、許容範囲や用法に規則性があるのかも知れません。
知りたい。
落ちが付いてしまったので、蛇足になってしまうのですが、昨日、国語学の勝山先生が、英語で日本文化の説明をする本を読んでいたので、覗いたら、かなり面白いことが出ていました。
この本は、日本人(名前だけ見て判断しているので国籍は知りません)が日本語で執筆した物が見開き左頁に、右頁にその英訳が載っているのですが、この英文を作ったのは日本語の本文を作った人ではないようです(これも日本人のような名前ですが、一部カタカナ名前の人が混じっています)。
私が覗いたとき、勝山先生が開いていたページの左に、
「日本語はどこからきたのですか?」と言う問いと、その答えが載っています。
右頁をみると、記憶が曖昧ですが、「日本語の起源は何ですか?」という意味に取れる英語が書いてありました。
「where」ではなく、「what」なんですね。
たしかに、「日本語」は、どこかの何かを起源として、日本で生まれた言葉なので、日本語がどこからか来る、と言う発想は論理的な矛盾があります。
でも、我々は「日本人はどこから来たか」とか、平気で言います。
つまり、「起源」を空間・場所として捉えているのかも知れません。
この本の場合、こういう問題が起きたとき、日本語の本文を「起源は何ですか?」に変えればいいのに、と思いつつ、そういう思考方法の違いが見えて面白いなと思いました。
別の所では、日本語の文にある「ご存じのように」が英文では抜けていたり、なかなか興味深い本でした。
『英語で話す「日本」Q&A』(講談社バイリンガル・ブックス)
これだ。
何版か判らないけれど。
買ってみようかなぁ。
定額制で、いつでも好きなだけ洗車できるサービスがありますよ、と言うことのようです。
気になるのは、「たい」です。
飲食店で定額制で好きなだけ食べられるのは「食べ放題」「飲み放題」ですよね。
「放題」というのが、「前に来る動作を好きなだけする」と言うような意味を持っているので、「たい」と言う助動詞があると余計な感じがします。
もっと言えば、「『洗いたい』という願望を抱くのは自由だよ、でも……」と言う意地悪な解釈も可能かも知れません。
でも、時々「やりたい放題」「言いたい放題」というような言葉も見たり聴いたりしますよね。
何か違いがあるのかな。
私が所属している学会で、機関誌の原稿募集の文章に、「……投稿を期待したい」というのがあります。
気になっていたので、私が委員の時に「たい」を消して「期待する」に変えて貰ったんですが、いつの間にか復活してしまいました。
まぁ、インタビューとか、そこら中で見ますよね。
「期待したい」はごく普通にある用法のようです。
でも、「期待する」という願望に「たい」がつくのは、やっぱり余分で、これも意地悪な解釈をすれば「本当は期待出来ないのだけれど、なんとか希望を持たせて欲しい」、みたいな?
「たい」と言う希望をあらわす助動詞の受ける動詞には、なにか性格の違いがあって、許容範囲や用法に規則性があるのかも知れません。
知りたい。
落ちが付いてしまったので、蛇足になってしまうのですが、昨日、国語学の勝山先生が、英語で日本文化の説明をする本を読んでいたので、覗いたら、かなり面白いことが出ていました。
この本は、日本人(名前だけ見て判断しているので国籍は知りません)が日本語で執筆した物が見開き左頁に、右頁にその英訳が載っているのですが、この英文を作ったのは日本語の本文を作った人ではないようです(これも日本人のような名前ですが、一部カタカナ名前の人が混じっています)。
私が覗いたとき、勝山先生が開いていたページの左に、
「日本語はどこからきたのですか?」と言う問いと、その答えが載っています。
右頁をみると、記憶が曖昧ですが、「日本語の起源は何ですか?」という意味に取れる英語が書いてありました。
「where」ではなく、「what」なんですね。
たしかに、「日本語」は、どこかの何かを起源として、日本で生まれた言葉なので、日本語がどこからか来る、と言う発想は論理的な矛盾があります。
でも、我々は「日本人はどこから来たか」とか、平気で言います。
つまり、「起源」を空間・場所として捉えているのかも知れません。
この本の場合、こういう問題が起きたとき、日本語の本文を「起源は何ですか?」に変えればいいのに、と思いつつ、そういう思考方法の違いが見えて面白いなと思いました。
別の所では、日本語の文にある「ご存じのように」が英文では抜けていたり、なかなか興味深い本でした。
『英語で話す「日本」Q&A』(講談社バイリンガル・ブックス)
これだ。
何版か判らないけれど。
買ってみようかなぁ。
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