前期の授業「静岡の文化」も大詰め(とかいって、ホントはまとめもあるので、まだまだなんだけど)。
年度初めの挨拶。それから、一回目に来てくださった彦星先生のブログでも紹介されたやたら思い入れのあるテーマ。
だからこそ、私も結構弱気になったこともありました。
しかし、さすがは静大生。発表会を何とかやれるんじゃないか、と思えてきたので、少し概要の説明をします。
バックストーリーを長々と書き連ねたい欲望があるんですが、それは終わってからにしましょう。
戦後間もない昭和22年。長沼の三光工業の敷地内に「富士時計静岡工場」が作られます。
ここは、後に日東紡となり、現在はバンダイホビーセンターと静岡県立科学技術高校となった、静岡の物作りの拠点の一つです。
富士時計は、東洋時計を母体とし、腕時計生産日本一を目指しましたが、資金元が昭和電工事件と関わるなどして経済的に行き詰まり、24年には解散。1000個ほど作られた腕時計“フェニックス”は、流通することなく、社員の退職金代わりに配付されたと言います。

このフェニックスの殆どは質屋などで換金されたと思われ、コレクターの間で“幻”と言われています。
ここで働いていた人たちの多くは、精工舎・英工舎などの技術者、そして、名門大学を卒業したばかりの若者たち。それから、静岡で採用された更に若い人々。
若さにあふれ、学閥もなく、時計を学び、作る歓びにあふれていたと、当時を知る人たちは口を揃えて仰います。
富士時計では、解散の前からクロックやオルゴールも生産していました。
このうち、オルゴール部門にいた人たちが清水に移って開業したのがフジ・オルゴールです。
*これは草薙。
諏訪のsankyoと時を同じくして、国産オルゴールメーカーが生まれたことになります。
朝鮮特需(この場合、帰還米兵の土産が中心)もあって、オルゴールは飛ぶように売れ、清水では、船舶艤装の清水電業社も参入、地場産業である木工、漆、蒔絵なども巻き込みながら、日本を代表する輸出産品となっていきます。
昭和30~40年代には、ヨーロッパにも販路を広げ、静岡産の和風オルゴールは世界的な人気を博したそうです。



しかし、40年代後半、フジ・オルゴールは倒産、暫くして電業社も無くなります。電業社の跡を継いだのが、現在オルゴールメーカーとして清水に残る東洋音響です。
現在、国産のオルゴールムーブメントは、諏訪のsankyoのみで作られているそうですが、東洋音響以外にも、古くからオルゴールを扱っていた城東漆器、フジ・オルゴール出身のリズム工芸、sankyo系で木工品を扱っているウッドニーなど、オルゴールを主要な商品とする会社はまだまだあります。
特に、ウッドニーの新製品モコモころころオルゴールは、今年のグッドデザイン賞を受賞、注文殺到中とのことです(私も購入しました。これは本当に素晴らしい製品です)。
また、富士時計に関わった人たちは、オルゴール以外でも、戦後の静岡精密機械工業界に、大きな影響を与えています。
職人たちの中には、沼津の東芝、静岡の三菱などの大企業に採用された人もいます。小さな時計店を始めた人もいます。
開業したばかりのスター精密(スター製作所)の、一号・二号社員は、ともに富士時計出身者でした。
富士時計内に工場を置いていた古海製作所は、現在二代目。精密さを要求されるYAMAHAの管楽器部品などを作る会社として発展しています。
中部圏を代表するメッキ加工の丸長鍍金の創業者も富士時計出身。現在は二代目ですが、一緒に始めた浅田孝さんは今も顧問として後進の指導に当たっています。
清水で、三菱などの試作品や治具を作る巴機械鉄工所も、富士時計出身の二代目。
こうした関わりのある企業は、調査が追いつけないほどたくさんあります。
この短い文章の中からだけでも、富士時計/フジ・オルゴールが静岡で如何に重要な存在だったか、想像できるでしょう。
実際、今までにもテレビなどで多少取り上げられたことはありました。
私自身、この情報は雑誌取材に同行した写真家さんからいただいた物です。
しかし、それらを体系的に関連づけ、歴史の中に位置づけようという試みはほとんど無かったようです。
今回の催しは、
・学生たちの研究発表
・関係者の座談会
・当時の製品や写真、現在の製品の展示
を柱としています。
学生たちは、集めた資料を整理し、インタビューの印象を解りやすく、愉快に語ってくれるでしょう。
座談会は、私が進行しますが、おそらくフロアにいらっしゃる多くの関係者も巻き込んだ情報交換会になるのではないかと思っています。
展示物。
これは、本当に、空前にしておそらく絶後。
たった4時間ほどの企画のために恐ろしく沢山の貴重な資料が集結します。
“幻”のフェニックスは、安心堂の時計マニア(?)金子さんの御尽力で、当日4点もそろうことになっています。
そのほか、富士時計で作られたと思われるオルゴールのムーブメント、フジ・オルゴールの様々な製品や会社概要、社内報。
そして、当時の社員たちのアルバムに残っていた大量の写真たち(そこには、私の両親と同世代の人たちの青春が刻まれています)。
それから、現在活躍中の企業からも製品や概要をお持ちいただける事になりました。
静岡の物作りの未来を担う科学技術高校の生徒さんたちも、見学に来て下さるそうで、文科系学部と工業系高校との、何とも珍しい高大連携事業となりました。
ここまで書けば興味をそそられる方も多いと思いますが、会場の収容能力の問題もあり、関係者中心の告知をしています。
「関係者」とは何か、と言うのも難しい問題ですが、お出でになりたい方は、是非事前連絡を御願いします。
概要・チラシは静岡大学地域連携協働センターサイトで御覧下さい。
翌週末には“鏝絵師 森田鶴堂の世界”を開催。
こちらも本邦初公開資料多数。
ぜひお越し下さい(概要は近日中に!)。
年度初めの挨拶。それから、一回目に来てくださった彦星先生のブログでも紹介されたやたら思い入れのあるテーマ。
だからこそ、私も結構弱気になったこともありました。
しかし、さすがは静大生。発表会を何とかやれるんじゃないか、と思えてきたので、少し概要の説明をします。
バックストーリーを長々と書き連ねたい欲望があるんですが、それは終わってからにしましょう。
戦後間もない昭和22年。長沼の三光工業の敷地内に「富士時計静岡工場」が作られます。
ここは、後に日東紡となり、現在はバンダイホビーセンターと静岡県立科学技術高校となった、静岡の物作りの拠点の一つです。
富士時計は、東洋時計を母体とし、腕時計生産日本一を目指しましたが、資金元が昭和電工事件と関わるなどして経済的に行き詰まり、24年には解散。1000個ほど作られた腕時計“フェニックス”は、流通することなく、社員の退職金代わりに配付されたと言います。


このフェニックスの殆どは質屋などで換金されたと思われ、コレクターの間で“幻”と言われています。
ここで働いていた人たちの多くは、精工舎・英工舎などの技術者、そして、名門大学を卒業したばかりの若者たち。それから、静岡で採用された更に若い人々。
若さにあふれ、学閥もなく、時計を学び、作る歓びにあふれていたと、当時を知る人たちは口を揃えて仰います。
富士時計では、解散の前からクロックやオルゴールも生産していました。
このうち、オルゴール部門にいた人たちが清水に移って開業したのがフジ・オルゴールです。

諏訪のsankyoと時を同じくして、国産オルゴールメーカーが生まれたことになります。
朝鮮特需(この場合、帰還米兵の土産が中心)もあって、オルゴールは飛ぶように売れ、清水では、船舶艤装の清水電業社も参入、地場産業である木工、漆、蒔絵なども巻き込みながら、日本を代表する輸出産品となっていきます。
昭和30~40年代には、ヨーロッパにも販路を広げ、静岡産の和風オルゴールは世界的な人気を博したそうです。





しかし、40年代後半、フジ・オルゴールは倒産、暫くして電業社も無くなります。電業社の跡を継いだのが、現在オルゴールメーカーとして清水に残る東洋音響です。
現在、国産のオルゴールムーブメントは、諏訪のsankyoのみで作られているそうですが、東洋音響以外にも、古くからオルゴールを扱っていた城東漆器、フジ・オルゴール出身のリズム工芸、sankyo系で木工品を扱っているウッドニーなど、オルゴールを主要な商品とする会社はまだまだあります。
特に、ウッドニーの新製品モコモころころオルゴールは、今年のグッドデザイン賞を受賞、注文殺到中とのことです(私も購入しました。これは本当に素晴らしい製品です)。
また、富士時計に関わった人たちは、オルゴール以外でも、戦後の静岡精密機械工業界に、大きな影響を与えています。
職人たちの中には、沼津の東芝、静岡の三菱などの大企業に採用された人もいます。小さな時計店を始めた人もいます。
開業したばかりのスター精密(スター製作所)の、一号・二号社員は、ともに富士時計出身者でした。
富士時計内に工場を置いていた古海製作所は、現在二代目。精密さを要求されるYAMAHAの管楽器部品などを作る会社として発展しています。
中部圏を代表するメッキ加工の丸長鍍金の創業者も富士時計出身。現在は二代目ですが、一緒に始めた浅田孝さんは今も顧問として後進の指導に当たっています。
清水で、三菱などの試作品や治具を作る巴機械鉄工所も、富士時計出身の二代目。
こうした関わりのある企業は、調査が追いつけないほどたくさんあります。
この短い文章の中からだけでも、富士時計/フジ・オルゴールが静岡で如何に重要な存在だったか、想像できるでしょう。
実際、今までにもテレビなどで多少取り上げられたことはありました。
私自身、この情報は雑誌取材に同行した写真家さんからいただいた物です。
しかし、それらを体系的に関連づけ、歴史の中に位置づけようという試みはほとんど無かったようです。
今回の催しは、
・学生たちの研究発表
・関係者の座談会
・当時の製品や写真、現在の製品の展示
を柱としています。
学生たちは、集めた資料を整理し、インタビューの印象を解りやすく、愉快に語ってくれるでしょう。
座談会は、私が進行しますが、おそらくフロアにいらっしゃる多くの関係者も巻き込んだ情報交換会になるのではないかと思っています。
展示物。
これは、本当に、空前にしておそらく絶後。
たった4時間ほどの企画のために恐ろしく沢山の貴重な資料が集結します。
“幻”のフェニックスは、安心堂の時計マニア(?)金子さんの御尽力で、当日4点もそろうことになっています。
そのほか、富士時計で作られたと思われるオルゴールのムーブメント、フジ・オルゴールの様々な製品や会社概要、社内報。
そして、当時の社員たちのアルバムに残っていた大量の写真たち(そこには、私の両親と同世代の人たちの青春が刻まれています)。
それから、現在活躍中の企業からも製品や概要をお持ちいただける事になりました。
静岡の物作りの未来を担う科学技術高校の生徒さんたちも、見学に来て下さるそうで、文科系学部と工業系高校との、何とも珍しい高大連携事業となりました。
ここまで書けば興味をそそられる方も多いと思いますが、会場の収容能力の問題もあり、関係者中心の告知をしています。
「関係者」とは何か、と言うのも難しい問題ですが、お出でになりたい方は、是非事前連絡を御願いします。
概要・チラシは静岡大学地域連携協働センターサイトで御覧下さい。
翌週末には“鏝絵師 森田鶴堂の世界”を開催。
こちらも本邦初公開資料多数。
ぜひお越し下さい(概要は近日中に!)。
12/1(火) 18時~の「SBSイブニングeye」というニュース番組の中で紹介されるそうです。
http://blog.shizuokaonline.com/eye/
もっとも、何か事件があったりすると吹っ飛んでしまうと思いますが……。
是非!
*静岡県内ローカルです。
6時台特集は「静岡生まれの時計」をお送りします。
静岡市で半世紀以上の歴史を持つ時計店。
その主人の下に戦後の静岡の歴史をひもとく貴重な時計がありました。
たのしみ~。
まぁ、平田さんメインだから仕方ないのだけれど、フジ・オルゴールも長沼にあったようにも取れるナレーションだったり、ちょっとオルゴールについての情報がふそくしてるなぁ。
TVご覧になった方は誤解無きよう。