これには名前があるの。名前はそのものをあらわすのよ。ああ、すごく簡単なことなのにね。
すごく簡単なことだ。
シニフィアンとシニフィエの関係。
ヘレンがそれを理解できれば「この地上にあるものすべて」を手に入れられる、とサリバン先生は言う。
夏休みになって、平日でも家にいる時間が増えたので、やっとジャングルのようになっていた庭に手を入れる。
まずは草刈り。ナントカ人が歩ける“道”が出来た。
暑い中、長ズボン・長靴の出で立ちなのだけれど、油断して半袖で作業しているとあとでひどい目に遭う。
元々ヤブ蚊が多いんだけれど、今回は毛虫にもやられた。
やれやれ。
05年の10月にみんなで草刈りした時は、見事に根こそぎ行かれた(ビフォア・アフター)。私は、私の判断でいるモノといらないモノを区別している。
所謂雑草だけでなく、ジャスミンは相当刈り込むし、ホウセンカももう良いかな、とか、アジサイは来年咲かないかも知れないけれど小さくなってくれ、とか。これから盛んに咲くオシロイバナも、申し訳ないけれど通路の邪魔になるところのは抜いたり切ったり。
さて。
モノには名前がある。
私を苦しめたこの毛虫(見たくない人もいるかも知れないのでサムネイル省略。 毛虫・繭作り中・繭団地(こう言うのが複数在る))は「毛虫」という名前ではなく“ヒロヘリアオイラガ(広縁青毒棘蛾)”だと思われる。
それから、唐辛子を萎れさせてしまうほどたかっている灰色の虫は“ホオズキカメムシ”というらしい。
私が無造作に刈り取った“雑草”にも、それぞれに名前があるはずだ。
中には、あとでとても可憐な花をつける物もあるし、“ひっつき虫”になるヤツもある。‘雑草’だと思っていても、食べたら案外美味い、というのは、私の中では‘格上げ’される。拙宅で雑草を食べた、と家で報告した学生がいたとか……。
さて、材料は揃った。
「それらのモノたちの、“正しい名前”は、何だろうか?」というのが、今回のテーマ(岡真理ね)。
あ、もうひとつの補助線。
東京都建設局は、上野動物園に新しくパンダを連れてくることになって、調印式を済ませた。
*ジャイアントパンダ保護研究実施の協力協定書調印式(7/21付の告知)
「導入するパンダの詳細等については、26日の調印後に別途発表します」ということなんだけれど、今のところ、都の広報に続報はなく、動物園の広報でジャイアントパンダ保護研究実施の協力協定書に調印しました 2010/07/26という報告がある。
これによると、導入されるパンダは、
オス
2005年8月、臥龍保護センター生まれ(4歳11か月)
143kg、活発で食欲旺盛、発育良好、健康状態良好
*中国名「比力」(ビーリー)
*日本での名前については別途募集する予定です。
メス
2005年7月、臥龍保護センター生まれ(5歳)
124kg、活発で食欲旺盛、発育良好、容姿がよい
*中国名「仙女」(シィエンニュ)
*日本での名前については別途募集する予定です。
これについて、ちょっと前の「朝日新聞」に、パンダだって元々呼ばれていた自分の名前に親しみがあるはずだから日本で名前をつけることはない、という投書があった。
ご近所猫が複数の名前を持っている様な具合には行かないのね。
もうひとつ足さなければならないか。
大阪で見殺しにされた二人の幼児は、気をつけていないと名前があったのかどうか分からない報道で(それは、ある意味配慮だったのかも知れないけれど)、ひどく当惑した。名前をつけられないまま生きていたのだろうか、と。長女桜子・長男楓。浮かばれない魂かもしれない。でも、こっちの世界でも、ちゃんと名前があって良かった。向こうの世界の名前はどうやってきめる(た?)んだろう。
モノには名前がある。
どんなに役に立たないように見えるモノでも、それぞれ名前があるんだ、という教えは、ヒューマンな文脈で好んで使われるように思う。
それは、“愛”のように疑われない。
しかし、我々は、そう言う名付けが、暴力でしかない事をもっとはっきり認めなければならない時代に生きている。
まず子供の名前をつける根拠に在る“愛”を疑え(クンタ・キンテの命名のエピソードはよかった)。
全ての物に名前がある。
本当?
草にも、岩石にも、名前がある。
実は、それも嘘だ。
最初っから、“先験的に”、「名前がある」筈がない。
人間が、つけなければ、名前はない。
人間にとって、indexが必要なモノだけ仁名前はつく。
名前がつけられた物だけが“存在”するのであって、逆ではない。
だからそれは、“人間”とか“犬”とか、或いは“日本人”とか“狆”とか言うレベルの話で、“太郎”とか“花子”とかではない。
我々は、“名前”という欺瞞の中でやっぱり差別している。
「雑草にも名前がある」なんて“人道的”な発言をする人は、一つ一つの個体に名前をつけて識別していただきたい。
固有名でも、種の名前でも、そのものの名前を、それ自身は、受け容れているのか。
人間の都合で、国や文化の都合で、勝手につけられている名前。
あぁ、“科学電話相談”で“オヴィラプトル”という名前を変えられないのか、という恐竜好き少年の質問もあったな。可哀想に。
でもこの子は、人間の身勝手さと命名の暴力について気づいてくれたに違いない。
パンダの改名は“三国人”発言都知事が思いつきそうな“創氏改名”暴力として、中国は抗議しないのかな。
命名は暴力だ。
自分の文化への取り込み。
所有の決定。
“雑草”は、“モノ”に近い、何かになりうる状態の“草”。
だから私はアノニマスを好む。
単に憶えられないいい訳かも知れないけども。
ウィリアム・ギブソン作/額田やえ子訳『奇跡の人』
すごく簡単なことだ。
シニフィアンとシニフィエの関係。
ヘレンがそれを理解できれば「この地上にあるものすべて」を手に入れられる、とサリバン先生は言う。
+*+*+*+*+*+*+*+*+*+
夏休みになって、平日でも家にいる時間が増えたので、やっとジャングルのようになっていた庭に手を入れる。
まずは草刈り。ナントカ人が歩ける“道”が出来た。
暑い中、長ズボン・長靴の出で立ちなのだけれど、油断して半袖で作業しているとあとでひどい目に遭う。
元々ヤブ蚊が多いんだけれど、今回は毛虫にもやられた。
やれやれ。
05年の10月にみんなで草刈りした時は、見事に根こそぎ行かれた(ビフォア・アフター)。私は、私の判断でいるモノといらないモノを区別している。
所謂雑草だけでなく、ジャスミンは相当刈り込むし、ホウセンカももう良いかな、とか、アジサイは来年咲かないかも知れないけれど小さくなってくれ、とか。これから盛んに咲くオシロイバナも、申し訳ないけれど通路の邪魔になるところのは抜いたり切ったり。
さて。
モノには名前がある。
私を苦しめたこの毛虫(見たくない人もいるかも知れないのでサムネイル省略。 毛虫・繭作り中・繭団地(こう言うのが複数在る))は「毛虫」という名前ではなく“ヒロヘリアオイラガ(広縁青毒棘蛾)”だと思われる。
それから、唐辛子を萎れさせてしまうほどたかっている灰色の虫は“ホオズキカメムシ”というらしい。
私が無造作に刈り取った“雑草”にも、それぞれに名前があるはずだ。
中には、あとでとても可憐な花をつける物もあるし、“ひっつき虫”になるヤツもある。‘雑草’だと思っていても、食べたら案外美味い、というのは、私の中では‘格上げ’される。拙宅で雑草を食べた、と家で報告した学生がいたとか……。
さて、材料は揃った。
「それらのモノたちの、“正しい名前”は、何だろうか?」というのが、今回のテーマ(岡真理ね)。
あ、もうひとつの補助線。
東京都建設局は、上野動物園に新しくパンダを連れてくることになって、調印式を済ませた。
*ジャイアントパンダ保護研究実施の協力協定書調印式(7/21付の告知)
「導入するパンダの詳細等については、26日の調印後に別途発表します」ということなんだけれど、今のところ、都の広報に続報はなく、動物園の広報でジャイアントパンダ保護研究実施の協力協定書に調印しました 2010/07/26という報告がある。
これによると、導入されるパンダは、
オス
2005年8月、臥龍保護センター生まれ(4歳11か月)
143kg、活発で食欲旺盛、発育良好、健康状態良好
*中国名「比力」(ビーリー)
*日本での名前については別途募集する予定です。
メス
2005年7月、臥龍保護センター生まれ(5歳)
124kg、活発で食欲旺盛、発育良好、容姿がよい
*中国名「仙女」(シィエンニュ)
*日本での名前については別途募集する予定です。
これについて、ちょっと前の「朝日新聞」に、パンダだって元々呼ばれていた自分の名前に親しみがあるはずだから日本で名前をつけることはない、という投書があった。
ご近所猫が複数の名前を持っている様な具合には行かないのね。
もうひとつ足さなければならないか。
大阪で見殺しにされた二人の幼児は、気をつけていないと名前があったのかどうか分からない報道で(それは、ある意味配慮だったのかも知れないけれど)、ひどく当惑した。名前をつけられないまま生きていたのだろうか、と。長女桜子・長男楓。浮かばれない魂かもしれない。でも、こっちの世界でも、ちゃんと名前があって良かった。向こうの世界の名前はどうやってきめる(た?)んだろう。
モノには名前がある。
どんなに役に立たないように見えるモノでも、それぞれ名前があるんだ、という教えは、ヒューマンな文脈で好んで使われるように思う。
それは、“愛”のように疑われない。
しかし、我々は、そう言う名付けが、暴力でしかない事をもっとはっきり認めなければならない時代に生きている。
まず子供の名前をつける根拠に在る“愛”を疑え(クンタ・キンテの命名のエピソードはよかった)。
全ての物に名前がある。
本当?
草にも、岩石にも、名前がある。
実は、それも嘘だ。
最初っから、“先験的に”、「名前がある」筈がない。
人間が、つけなければ、名前はない。
人間にとって、indexが必要なモノだけ仁名前はつく。
名前がつけられた物だけが“存在”するのであって、逆ではない。
だからそれは、“人間”とか“犬”とか、或いは“日本人”とか“狆”とか言うレベルの話で、“太郎”とか“花子”とかではない。
我々は、“名前”という欺瞞の中でやっぱり差別している。
「雑草にも名前がある」なんて“人道的”な発言をする人は、一つ一つの個体に名前をつけて識別していただきたい。
固有名でも、種の名前でも、そのものの名前を、それ自身は、受け容れているのか。
人間の都合で、国や文化の都合で、勝手につけられている名前。
あぁ、“科学電話相談”で“オヴィラプトル”という名前を変えられないのか、という恐竜好き少年の質問もあったな。可哀想に。
でもこの子は、人間の身勝手さと命名の暴力について気づいてくれたに違いない。
パンダの改名は“三国人”発言都知事が思いつきそうな“創氏改名”暴力として、中国は抗議しないのかな。
命名は暴力だ。
自分の文化への取り込み。
所有の決定。
“雑草”は、“モノ”に近い、何かになりうる状態の“草”。
だから私はアノニマスを好む。
単に憶えられないいい訳かも知れないけども。
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