昨日、沼津でシンポジウムと表彰式、懇親会があって、「しずおか世界翻訳コンクール」は、幕を閉じた。
15年。全7回。
今後は文化庁の事業として引き継がれる、と言うのだけれど、概要を知っている人はどこにいるんだろう。
少なくとも、昨日は「開始宣言」がなかった。
静岡大学教職員の中で、おそらく最も外国語が苦手な人である私が、このコンクールに関わっているのは、日本文学専攻、という、自分では棄ててしまったような肩書きによる。
審査の過程には全く関われるはずもないのだけれど、それでもこのコンクールと私の関わりはとても深い。
第1回英語部門優勝者のイアン・マクドナルドさん以来、多くの入賞者たちと交流できた(彼の学位論文に私の名前が出てくるのは、やっぱり自慢だ)。エムスワイラーさんは私のゼミ生。嘗て留学生として静岡で学んだ吉さんとの嬉しい再会もあった。韓国人一九研究者の康さんは、翻訳コンクールで知り合ったわけではないけれど、挑戦者の一人だし、優勝者の金さんは本当に学生たちからも慕われた良いお姉さんだった。フランス語のパスカルさん、ドイツ語のデーゲンさん等々、江戸戯作や怪談に詳しい外国人と知り合いになれたことは、嬉しいを通り越して、本当に素晴らしい刺激になったし、日本文学が世界文学としてあることをどう考えるか、課題も与えられたと思っている。
彼らから学ぶ物は、質も量もとてつもなく大きい。
社会学科の上利先生と一緒に作った『駿府・静岡の芸能文化』の最初の冊子をもって役所回りをした03年、パッとしない反応に嫌気がさしていた時に出会った文化課の須山由利子さんは、その後、本当に長いつきあいが続いて、アッパレ会の立ち上げにもご協力いただいたし、県庁舎を使って県立図書館と合同で行った『「しずおか」の貴重書』の展示会・公開講座にもつながっている。その展示会の時、図書館職員だった小杉さんが、今は文化課で奮闘しているのも嬉しい。
それから、日本の100冊翻訳の会事務局長、戸谷美苗さん。彼女は歌舞伎友達であり、人生の師匠の一人だ。彼女のおかげでドナルド・キーン氏とも、一度だけだけれど、『おくのほそ道』について歓談する機会も出来た。
最後だから、と言うこともあり、感謝の意味を込めて、お名前を出させていただいた。
本当に有難うございました。
それにしても、昨日のシンポジウムは、閑散としていた。
実行委員長でもある花森副知事の悔しそうな、苦笑い混じりの挨拶。
こうやって、一つの何かが終わるのだ。
講演会、シンポジウムのことは、触れないでおこう。
表彰式は、いつもの通り感動的で、こういう人たちが、静岡を目指して頑張っているんだ、と言うことが、素直に嬉しい。
受賞者たちのスピーチも、審査員たちの選評も、それぞれに感動的であると同時に、このコンクールが終わる事を惜しむ言葉があった……私にはそれは、憤りに近い響きを持って聞こえていた。
ジャニーン・バイチマン氏の、「このコンクールを続けてきたことを、静岡県は、誇りに思うべきです」という言葉、呉英珍先生の、「日本政府がこの事業の継続を望むならば政府が受け継ぐよりは静岡県を全面的に支援すべきである」と言う言葉の重さ。
今回は、英語部門の優勝者が24歳。本当に魅力的な青年だ。
ドイツ語部門の女性は仕事の都合で留学は叶わないらしいのだけれど、英語と韓国語のお二人は、きっと静岡大学に来ていただけると思う(なんと言っても、学長を先頭に、ウチの教員たちが入れ替わり立ち替わり口説いたんだから……)。
そういえば、翻訳コンクールと興学長の繋がりは、前回、浮月の懇親会のあと、二次会に行った、須山さんと私のお気に入りである向かいの居酒屋で鉢合わせになった時からではなかったか。
お二人とは、次は静岡大学で会いましょう、と言って別れた。
きっと再会できるでしょう。
楽しみにしています。
外国語から逃げ回っている私にとって、このコンクールは、本当に特別な物だ。
県の財政状況がよくないこと、こうした事業が直接県民の生活を潤す物ではないこと、「ほかならぬ静岡県が」と言う必然性がないこと、様々なネガティブな評価があることも承知している。
しかし、だから、手放そう、国がやってくれるなら万々歳、なのかどうか。
静岡大学や静岡県立大学の特権的な立場が喪われるだろう事も、もちろん、正直、寂しい。
素敵な、日本を愛する外国人たちと知り合える絶好のチャンスが無くなってしまうのも寂しい。
寂しいのは、そういう、個人的な理由からで、だから、昨日のパーティに、須山さん、戸谷さん、青木さん、藤田さんといった、ずっと関わってこられた方がいなかったのはとても残念だった。
しかし、多分、それだけではないんだと思う。
静岡県は、これから、オペラコンクールや伊豆文学賞にも手を入れるらしい、と言う噂もある(ほんとうのことは私などにはわかりません)。
それは、多分、世界の文化人たち(こういう言い方が非常に差別的であることは十分承知だけれど)の脳に刻まれた“静岡”という文化栄える日本の一地方の名前を、永遠に削除してしまうことになるかも知れない。
それは、誰からも見えない出来事だけれど、だからこそ、その重さは、本当に計り知れない。
15年。全7回。
今後は文化庁の事業として引き継がれる、と言うのだけれど、概要を知っている人はどこにいるんだろう。
少なくとも、昨日は「開始宣言」がなかった。
静岡大学教職員の中で、おそらく最も外国語が苦手な人である私が、このコンクールに関わっているのは、日本文学専攻、という、自分では棄ててしまったような肩書きによる。
審査の過程には全く関われるはずもないのだけれど、それでもこのコンクールと私の関わりはとても深い。
第1回英語部門優勝者のイアン・マクドナルドさん以来、多くの入賞者たちと交流できた(彼の学位論文に私の名前が出てくるのは、やっぱり自慢だ)。エムスワイラーさんは私のゼミ生。嘗て留学生として静岡で学んだ吉さんとの嬉しい再会もあった。韓国人一九研究者の康さんは、翻訳コンクールで知り合ったわけではないけれど、挑戦者の一人だし、優勝者の金さんは本当に学生たちからも慕われた良いお姉さんだった。フランス語のパスカルさん、ドイツ語のデーゲンさん等々、江戸戯作や怪談に詳しい外国人と知り合いになれたことは、嬉しいを通り越して、本当に素晴らしい刺激になったし、日本文学が世界文学としてあることをどう考えるか、課題も与えられたと思っている。
彼らから学ぶ物は、質も量もとてつもなく大きい。
社会学科の上利先生と一緒に作った『駿府・静岡の芸能文化』の最初の冊子をもって役所回りをした03年、パッとしない反応に嫌気がさしていた時に出会った文化課の須山由利子さんは、その後、本当に長いつきあいが続いて、アッパレ会の立ち上げにもご協力いただいたし、県庁舎を使って県立図書館と合同で行った『「しずおか」の貴重書』の展示会・公開講座にもつながっている。その展示会の時、図書館職員だった小杉さんが、今は文化課で奮闘しているのも嬉しい。
それから、日本の100冊翻訳の会事務局長、戸谷美苗さん。彼女は歌舞伎友達であり、人生の師匠の一人だ。彼女のおかげでドナルド・キーン氏とも、一度だけだけれど、『おくのほそ道』について歓談する機会も出来た。
最後だから、と言うこともあり、感謝の意味を込めて、お名前を出させていただいた。
本当に有難うございました。
それにしても、昨日のシンポジウムは、閑散としていた。
実行委員長でもある花森副知事の悔しそうな、苦笑い混じりの挨拶。
こうやって、一つの何かが終わるのだ。
講演会、シンポジウムのことは、触れないでおこう。
表彰式は、いつもの通り感動的で、こういう人たちが、静岡を目指して頑張っているんだ、と言うことが、素直に嬉しい。
受賞者たちのスピーチも、審査員たちの選評も、それぞれに感動的であると同時に、このコンクールが終わる事を惜しむ言葉があった……私にはそれは、憤りに近い響きを持って聞こえていた。
ジャニーン・バイチマン氏の、「このコンクールを続けてきたことを、静岡県は、誇りに思うべきです」という言葉、呉英珍先生の、「日本政府がこの事業の継続を望むならば政府が受け継ぐよりは静岡県を全面的に支援すべきである」と言う言葉の重さ。
今回は、英語部門の優勝者が24歳。本当に魅力的な青年だ。
ドイツ語部門の女性は仕事の都合で留学は叶わないらしいのだけれど、英語と韓国語のお二人は、きっと静岡大学に来ていただけると思う(なんと言っても、学長を先頭に、ウチの教員たちが入れ替わり立ち替わり口説いたんだから……)。
そういえば、翻訳コンクールと興学長の繋がりは、前回、浮月の懇親会のあと、二次会に行った、須山さんと私のお気に入りである向かいの居酒屋で鉢合わせになった時からではなかったか。
お二人とは、次は静岡大学で会いましょう、と言って別れた。
きっと再会できるでしょう。
楽しみにしています。
外国語から逃げ回っている私にとって、このコンクールは、本当に特別な物だ。
県の財政状況がよくないこと、こうした事業が直接県民の生活を潤す物ではないこと、「ほかならぬ静岡県が」と言う必然性がないこと、様々なネガティブな評価があることも承知している。
しかし、だから、手放そう、国がやってくれるなら万々歳、なのかどうか。
静岡大学や静岡県立大学の特権的な立場が喪われるだろう事も、もちろん、正直、寂しい。
素敵な、日本を愛する外国人たちと知り合える絶好のチャンスが無くなってしまうのも寂しい。
寂しいのは、そういう、個人的な理由からで、だから、昨日のパーティに、須山さん、戸谷さん、青木さん、藤田さんといった、ずっと関わってこられた方がいなかったのはとても残念だった。
しかし、多分、それだけではないんだと思う。
静岡県は、これから、オペラコンクールや伊豆文学賞にも手を入れるらしい、と言う噂もある(ほんとうのことは私などにはわかりません)。
それは、多分、世界の文化人たち(こういう言い方が非常に差別的であることは十分承知だけれど)の脳に刻まれた“静岡”という文化栄える日本の一地方の名前を、永遠に削除してしまうことになるかも知れない。
それは、誰からも見えない出来事だけれど、だからこそ、その重さは、本当に計り知れない。
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