コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

社会で修行すること

2005-05-22 19:39:59 | 
インターンシップに単位を出すこと。
潮流は、勿論肯定です。解ってます。
でも、言語文化学科は保留しています。

ミナナミ君のブログで、「個人的にはあんま単位認定とかして欲しくなかったかな。」と。
理由も、本当に、納得がいく。
正直、彼は今、授業以外の(つまり、単位にならない)学内外の活動で、いっぱいいっぱいだろうと思う。だから、ちょっとでも、単位になる課外活動があるなら喉から手が出るほどなんじゃないかと。でも、かれは、色々考えて、無くても良いんじゃないか、と言う。

そうなんだよね。
大学の4年間で必要な単位数は、およそ130。それは、大学の教員が、その大学(学部・学科)で責任を持って提供するカリキュラムでなければならない。非常勤講師を導入するのも、専任だけでは、カバーできないメニューが必要だからだ。
しかし、一方で、授業以外の方法で単位を認定することが、少しずつ増えている。
たとえば、英語などの検定試験や、留学を認定するとか。

インターンシップは、またちょっと新しい仕組みなので、ややこしい。
企業や官庁で、実務実習をしてくる。勿論、事前指導・事後指導がある。そこで、社会で働くことの意味を考える、まぁ、キャリアデザイン科目の一つなのかな。

しかし、インターンシップを受け入れられる職場は限られる。そして、汎用性に疑問もある。単位のために群がる学生達によって、抽選になれば、不本意な職場体験もあり得る。それも修行?
なんか、制度的に未熟な気がする。

ウチのゼミの学生のひとりは、先輩達と、バーをやっている。オーナーは別にいるらしいけれど、運営は基本的に学生だけらしい。結構しっかりしていて、感心した。
こうやって社会と繋がることも出来る。

私の関わっている「アッパレ会」や、アトリエ23のデッサン会も、学問所(仮)、も、地域の大人達と学生達が、社会的な看板をはずして、生身の人間として交流する場だ。そこから得られる物は、社会人にも学生にも、他では得られない財産になる。

でも、それは、単位にはならない。
それでも、楽しく沢山の人と知り合うことの価値が解れば、みんな参加する。
ミナナミ君は、そうやって、地域の大きなイベントの実行委員にもなっている。

大学の中で、単位を取ることで満足し続けても、卒業は出来る。
でも、もったいないよ。

チャンスはどこにでもある。
気づくこと、動くこと。

教員が、まず、仕事じゃない所で、楽しんで、動かないとね。
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
楽しむ (くてくて)
2005-05-22 21:26:11
blogをみる限り、最近のkoneetaさんは楽しんでいるようですね。伝わってきてます。
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良くも悪くも (koneeta)
2005-05-22 21:34:11
いっぱいいっぱいです。

授業のクオリティとか、結構心配。



でも、楽しむことそのものが伝われば、まぁいいかと。
返信する
悪いことはない (マシマ)
2005-05-23 09:58:22
あまり単位にならないものこそが、のちのち「生きる力」になって来るような気がします。

コニタさんの生徒もデッサン会に来る若者も、良い意味で大人扱いを受けているので、あとでジワっと効いて来るでしょう。

ボクはそういう環境にいることが出来たので、ワカモノ達の気持ちが理解でします。

恐れないで堂々と愛しあいましょう!!

あっ!この場合の愛は「本物の愛」です。

男女の愛情ではないです。念のため・・・
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思うに (たなかけつ)
2005-05-24 14:14:05
あれこれ理屈をつけても、結局学生の人気取りのような気がします。



こないだはビックリしましたよ、予備校の広告で「休んだときのケアもバッチリ!」バカかい、休むようなやつは置いていかれて当然なんだよ!と。



「そんなのはウチ来るな!」などと独善的なのもなんですが、あんまり媚びるのも考えものな気がします。
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