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ホントはもう少し小汚い。
ネクタイをしなくなった。卒業式でも学会でも。葬式関係くらいだな、最近。
服装には(というか、ほとんどの“実用品”には)こだわりがない。
愛着のあるモノは多いけれど、絶対的な何かではない。
冬の間、大抵は、ハイネックかタートルネックのシャツの上にコーデュロイのシャツを重ね着、下は作業着やさんで買った裏がキルティングの裾を絞った作業ズボン(3本同じのを持ってる)。これで着回し。時々手ぬぐい(あ、ほとんどふじ屋の長尺もの、ブランド品だ! でも、これが一番しっくり来る)を巻く。今年はマフラー時々。帽子は持ってるけど今のところ使ってないな。アウトドアやさんで買ったやつと、アメ横のミリタリー系の(ほら、あそこの角の)店で買ったやつ。
髪型は、今の4年生が私の髪が短かった頃を知らないこと、2002年度の非常勤の時、バンダナをしていたこと等を考えると、2001年の夏前に切ってから床屋に行ってない。3年半か。髭は、月に一回ぐらい剃ってたのが、最近何ヶ月か剃らなくなった。頬には生えないらしく、放っておくと『ダイハード』第1作に出てきたテロリストのような、口幅にそろう形状になる。とはいえ、鼻の下の髭は食事に差し障るのでじゃま、ということもあり、短い内に、考え事しながら、プチプチ抜いてしまう。
そんなこんなで、かなり不自然は顔になってると思う。
何はともあれ、これを組み合わせると、安いテロリストっぽくはなる。
日文の大学教師としては、それほど多いとはいえないスタイルだろうな、という自覚はある。
で、なぜ、こんな格好をしているのか問われることがある。さぁ。
最初は特に意味はなかったんだよなぁ。
30年前なら長髪は反抗の印だったかもしれないけど、今は珍しくない。スキンへっどかモヒカンぐらいしないとね。
ただ、最近、“意味”が発生して、やめられなくなってしまった。
学内では、とりあえず、何も言われない。それはまぁ、いろんな思いがあるだろうけれど、どんな奴かも解ってる人たちだから問題ない。
最近は、外の人と会う機会が増えた。学会・地域の人・役人……。
おもしろがる人はいても、あからさまに眉をひそめる人はいない。気分を害している人もいるのかもしれないけれど、直接言う人は皆無。
学生の頃、肩ぐらいの髪をばさっとやろうと思って近所の床屋に行ったら、長髪はお断りだと言われたことがある。長髪やめようと思っていったのにねぇ。
何が言いたいか、というと、いま、髪型や服装で人を判断したら、そっちの見識が問題になるよ、ということで。で、そういう人とは仕事しても絶対良いこと無いだろうから、もし、その手の絡まれ方したら、戦ってみたいな、と思って居るんだけれど、幸か不幸かそういう人はいないというわけだ。
教育実習の研究授業に行く時なんて、学生に悪いな、と思うこともある。でも、まぁ、話題性あるしね。
そう、話題性も大事。
“ふつう”に背広着て、ネクタイ締めて、毎日髭剃って、月に一回床屋に行く人は、多分、日常的に“ふつう”であることを苦に思わないんだろうな、と思う。そのくせ酒が入ると、同じスタイルのままで変貌したり。
私の場合、見てそのまま、“ふつう”ではないので、普段から“ふつう”で居る必要がない。電車の中でマナーの悪い人に注意しても、何となく許される、とか(オイそっちがふつーだろう!)。
これはものすごく楽。着ぐるみ着てるようなモノ、の逆。
これも学部生の頃、ビル掃除のバイトをずっとやってて、ある時、一人だけ電車で移動したことがあった。水撥ねでまだらになったつなぎを着て、手ぬぐい巻いて、軍手して。恐いモノなしだった。
そういう開放感。
ウソでかためる必要がない。ガテン風に振る舞う必要もなく、ふつうに、そう、ふつうに。
一番楽でいられるのが一番大事。
ホントはもう少し小汚い。
ネクタイをしなくなった。卒業式でも学会でも。葬式関係くらいだな、最近。
服装には(というか、ほとんどの“実用品”には)こだわりがない。
愛着のあるモノは多いけれど、絶対的な何かではない。
冬の間、大抵は、ハイネックかタートルネックのシャツの上にコーデュロイのシャツを重ね着、下は作業着やさんで買った裏がキルティングの裾を絞った作業ズボン(3本同じのを持ってる)。これで着回し。時々手ぬぐい(あ、ほとんどふじ屋の長尺もの、ブランド品だ! でも、これが一番しっくり来る)を巻く。今年はマフラー時々。帽子は持ってるけど今のところ使ってないな。アウトドアやさんで買ったやつと、アメ横のミリタリー系の(ほら、あそこの角の)店で買ったやつ。
髪型は、今の4年生が私の髪が短かった頃を知らないこと、2002年度の非常勤の時、バンダナをしていたこと等を考えると、2001年の夏前に切ってから床屋に行ってない。3年半か。髭は、月に一回ぐらい剃ってたのが、最近何ヶ月か剃らなくなった。頬には生えないらしく、放っておくと『ダイハード』第1作に出てきたテロリストのような、口幅にそろう形状になる。とはいえ、鼻の下の髭は食事に差し障るのでじゃま、ということもあり、短い内に、考え事しながら、プチプチ抜いてしまう。
そんなこんなで、かなり不自然は顔になってると思う。
何はともあれ、これを組み合わせると、安いテロリストっぽくはなる。
日文の大学教師としては、それほど多いとはいえないスタイルだろうな、という自覚はある。
で、なぜ、こんな格好をしているのか問われることがある。さぁ。
最初は特に意味はなかったんだよなぁ。
30年前なら長髪は反抗の印だったかもしれないけど、今は珍しくない。スキンへっどかモヒカンぐらいしないとね。
ただ、最近、“意味”が発生して、やめられなくなってしまった。
学内では、とりあえず、何も言われない。それはまぁ、いろんな思いがあるだろうけれど、どんな奴かも解ってる人たちだから問題ない。
最近は、外の人と会う機会が増えた。学会・地域の人・役人……。
おもしろがる人はいても、あからさまに眉をひそめる人はいない。気分を害している人もいるのかもしれないけれど、直接言う人は皆無。
学生の頃、肩ぐらいの髪をばさっとやろうと思って近所の床屋に行ったら、長髪はお断りだと言われたことがある。長髪やめようと思っていったのにねぇ。
何が言いたいか、というと、いま、髪型や服装で人を判断したら、そっちの見識が問題になるよ、ということで。で、そういう人とは仕事しても絶対良いこと無いだろうから、もし、その手の絡まれ方したら、戦ってみたいな、と思って居るんだけれど、幸か不幸かそういう人はいないというわけだ。
教育実習の研究授業に行く時なんて、学生に悪いな、と思うこともある。でも、まぁ、話題性あるしね。
そう、話題性も大事。
“ふつう”に背広着て、ネクタイ締めて、毎日髭剃って、月に一回床屋に行く人は、多分、日常的に“ふつう”であることを苦に思わないんだろうな、と思う。そのくせ酒が入ると、同じスタイルのままで変貌したり。
私の場合、見てそのまま、“ふつう”ではないので、普段から“ふつう”で居る必要がない。電車の中でマナーの悪い人に注意しても、何となく許される、とか(オイそっちがふつーだろう!)。
これはものすごく楽。着ぐるみ着てるようなモノ、の逆。
これも学部生の頃、ビル掃除のバイトをずっとやってて、ある時、一人だけ電車で移動したことがあった。水撥ねでまだらになったつなぎを着て、手ぬぐい巻いて、軍手して。恐いモノなしだった。
そういう開放感。
ウソでかためる必要がない。ガテン風に振る舞う必要もなく、ふつうに、そう、ふつうに。
一番楽でいられるのが一番大事。
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