コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

「転校生」12/2 静岡芸術劇場

2007-12-03 19:54:01 | 
演出:飴屋法水
作:平田オリザ
出演:静岡県の女子高校生、SPAC


SPAC、この秋の企画は4本観ました。
忘れないうちに、と思ってはいるものの、日々に追われて中々まとまったことを書けないままになっています。
さしあたり、一番最後に観たものを先に書きます。
また思い出したら追加するかも。


良くも悪くも「教室」。
いろんな意味で「教室」。

映像の「転校生」が「転 生」になり、「  生」になる。
胎児の映像と医者の愉快な解説の声など。


散漫で同時多発的な会話のリアリティ。
身近な人達の生と死、病。
その中で「課題図書」とグループ発表の話。
そうやって、『変身』『車輪の下』あるいは『風の又三郎』と言った書物や、解剖や、世界の同世代の生と死が話題になり、深まることなく過ぎていく。
そういう教室。

「転校生」が居る。
非日常の侵入。異人(マレビト)との出会い。
クラス共同体。
集団の幻覚?


さて。

「作者の意図」「演出家の狙い」??
演者は何を考え、観客は何を感じるのか。

高校生たちは、演劇を体験すると同時に、それらの書物や情報について識る。学ぶ。
忘れる。
書物の中にあること、新聞の記事、それどころか、身近な人の病も、死も、出産も、他人の話だ。
それを、リアルに置き換えることはできない。

他者がいて、自分がいて。
他者のことはわかり得ないこと、それは、解ってもらえない自分の存在を映し出してしまうことでもあると気づく。

想像力の問題。
目をつぶってみてもわかりはしない。

「なぜ」と言う問いに答えはない。


参加した高校生たちが学んだことは、読書や、ネット検索では得られない何かだったろうと思う。

自分の名前の他者を通過すると言う体験が、彼女たちに何をもたらしたのかは、あるいはずっと先に見えてくるものなのかもしれない。

そういうあれやこれやの重さとは全く無縁な終演後の盛り上がり方。
女子高校生のエネルギーには圧倒される。

彼女たちの体験は、学びは、かけがえのないもので、その表現を観客として観ることができたことを素直に喜ぼう。


仕掛けのおもしろさ。
戯曲の構成。
演出の手際。
「役者」たちの奮闘。
 あぁ。あの躓きは、台本通りだとしても、アドリブで対応したのだとしてもたいした役者だ。

メッセージがどうの、ということではない、もっと、本源的な体験。


教室は劇場であり、劇場は教室であること。

ふむ。
こういうのもアリなんだなぁ。と。




これ、来年以降もやるのかなぁ。
必ずしも進学校の生徒ばかりじゃなかったのもよかった。

これに参加した人は言語文化学科に無条件パス、とかにしてくれたらいいのにねぇ。
誰も受験してくれないのかなぁ。

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