コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

ランダムに

2010-12-05 23:46:20 | 
学祭でちょっと力尽きたところがあって、まだ色々書きたいのだけれど放置中。

その間にまた刺激的なインプットも続いている。
それらもまた書き留めておかないと、と言うわけで、今回は簡単なメモ。
時間が出来たら(いつ??)個別に書くかも知れないし、分野別総括も書く気はあるのだけれど、とりあえず。


11/30 ウード楽師達の風景  顕光院
いろんなところでお会いする機会の多い堀池さんが、研屋町顕光院でウードのライブを企画。常味さんは去年、八幡のイトウ・アトリエのライブの時、簡単にお話ししたことがあった(随分前に東工大で野原さんたちが企画したアラブイベントでも聴いていたので今回で3度目)ので、開演前にちょっとご挨拶。もちろん、他の二人は全く未知だったんだけれど、それぞれに良かった。ムスタファ・サイードという若者はちょっとベンダ・ビリリのロジェの演奏に似ていた。サックスも改めて相性の良さを感じる。ただ、声楽の人は何だったんだかちょっと……。そして、後援とはいえ、終演後、演奏の余韻の残るなか告知をしたSPAC、Sさんはかなり辛かったと思う。3人(+1人)の演奏が素晴らしかっただけに、微妙な配慮が却って仇になった気がする。
ウードの生演奏というのは、院生の頃にハムザ・エル・ディンを聴いたのが初めてで、多分琵琶やリュートも聴いたことがなかったんだとおもう。その後、リュートは何度か聴いたし、中国琵琶の鮑捷とも親しくなって、音楽文化史みたいな物をリアルに感じる部分もあり、聞き比べレクチャーコンサートみたいな物が出来ないかなぁ、と。

開演前に御住職とも立ち話。色々縁のあるお寺なのです。


12/01 スタンリー・クラーク トリオ  静岡市民文化会館
日野皓正同様、院生の頃実見した巨人が静岡でライブ。

上原ひろみに関しては、「ビヨンド・スタンダード」(初回限定版)を08年5月に買ってるんだけれど、実はその当時余りピンと来なかった。元気がいいのは解るんだけど、という感じ。そして、今回のメンバーのアルバム「ジャズ・イン・ザ・ガーデン」は私にはおとなしすぎる印象でもあり、実は、ちょっと心配もありつつチケット購入。7列目。
誰が目当てなのかよく判らない若干上目の年齢層で取りあえずほぼ満席。
結果、すごい体験をした。
スタンリー・クラークが超絶技巧の人、というのは承知だけれど、ウッドベースでこんな事が出来るのか、と言うのを目の当たりにしてしまうと本当に言葉がない。
上原ひろみも相変わらず「だいじょうぶか??」という野生児っぷりなんだけれど、演奏は恐ろしく正確でシャープだった。
もちろんレニー・ホワイトも渡り合いつつ支えている。
ピアノトリオという枠で想像可能な領域を超えている。人によっては、楽曲の解釈が違うとか、深みがどうとか、減点したくなる部分もあるのかも知れないけれど、実際に間近でライブ演奏を見てしまったらそう言うことは吹っ飛んでしまう。
終わって欲しくなかったし、同じライブを何度でも観たいと思った。
家に帰ってCDを聴いてみると、今度はそう言うポジティブな面をちゃんと肯定できるようになるので、最近よく聴いている。


12/04 リービ英雄講演会 B-nest プレゼンテーションルーム
翻訳文化研究会主催の講演会。
去年のヤン・イーも面白かったけれど、今回は「面白い」にとどまらない強烈な刺激があった。
メモは取ったし、あとで活字になるはずだから細かく書くこともないのだけれど、講演の最後の方で語られた、母語を外側から見て表現すること、という問題は、我々日本人日本文学研究者にとってとても重要な問題。アフターに集まった同僚達はみんな複数の言語を駆使して仕事をしているわけで、学生でさえそうなんだけれど、私は無理に外国語で何かしなければいけないとは思っていない。
ただ、日本語の他者性と言うことをちゃんと自覚していなければならない。そのためには、様々な外国の表現に接する必要もある。
古典文学と呼ばれる分野を扱うこと、江戸の持っている表現主義、そう言う物に関わっている自分の立ち位置を再確認できた。

そして何より嬉しいのは、桑島先生をはじめとする、ウチのスタッフ達の素晴らしさ。
今回は学生達もそこそこ来ていたので、その辺もかなり理解して貰えたんじゃないかと思う。
この人達から学ぶものはとても多い。
来年度はちょっと面白いことがありそうな……。
日本近代文学の教員が来ないのは驚きもしないけれど、やっぱり寂しくはある。

何はともあれ、遅ればせながら、これから読みます!


12/05 日下文 日本画展  亀山画廊
日下さん、久々の個展。
鳥獣戯画模写のコラージュっぽい作品から抜け出して、蓮華寺池の蓮を何日も通い詰めて写生した成果という、蓮の花連作中心の新展開。
龍華寺に新しく誕生仏の絵を描いているところから蓮を描き始めた由だけれど、それで一つ一つ学び取って行ったというのは、烏滸がましい言い方になるけれど、それはそれで彼女の一つの成長だと思う。
話を聞けば、個体識別のこととか、様々な発見や、人との出会いや、そう言う物をありがたく受け容れて創作しているのをほほえましく思う。
それにしても、だから古典や最先端の様々な表現を意識しなくても良い、と言うことにはならないし、彼女自身の満足の在処がやっぱり解らない。

リービ英雄の、ある種鬱陶しいくらいの表出欲求(この人の、まだ終わりじゃないぞ、と言う気迫は全く恐ろしいほどだ)と比べて、「ここで終わって良いの?」と言いたくなるようなじれったさが彼女にはつきまとっている。
買いかぶりじゃないと思うのだけれどなぁ。


12/05 映画 わたしの可愛い人―シェリ  サールナートホール 
今年度新しく知り合った人の中でも最も重要且つ楽しい同僚にして友人、コルベイさんの年末トークのお題、というので、主体的には絶対に選択しないだろう映画を見る。これはこれで貴重な体験。
100年前のフランス、年増の高級娼婦が親子ほど年の離れた若い男に本気で惚れてしまったら……という、ひと言で言えば身も蓋もない話なのだけれど、原作は相当有名な小説の由。
「椿姫」の舞台に「ばらの騎士」の設定を乗せたような物かと思うとそうでもない。
ヴェルディの言い訳がましい男のご都合主義に対して、こっちは女の自己救済にも見える。色々茶化してみせるリヒャルト・シュトラウスの勝ちでしょう、と言うことになるんだけれど、それはそれで深みはないし、みんな痛み分け。
少し検索してみると原作の表現の凄さとか、あっさり語られてしまったシェリの戦後とか、実は一筋縄ではいかない物らしい。
そもそもベル・エポックという時代を理解してないしな~、とも思う。
これは、何か、そう言う物に対する挽歌なのか、とか。
フランスの性風俗、浮気文化と日本のその手の伝統と、色々興味深い問題もあるので、まず原作を読んでみようと思っている。


さて、12月。
まだ未だ色々予定はあるし、年が明けたら入試とイベントの同時進行。

ま、忙しいのはありがたいこってす。

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