コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

宗教行事ではありません。

2008-11-10 19:13:29 | 
静岡ハリストス正教会の企画のチラシに、「宗教行事ではありません。美術館を訪れるように、気軽にお越し戴ければ幸いです。」と書いた。
勿論実際その通りなのだけれど、そのように断らなければならない空気があるのは、とても悩ましい。

「静岡の文化」で教会を扱うのは初めてだ。
お寺は前にある。
丸子(泉ヶ谷)の歓昌院で広重美術館の学芸員横田さんに仏像や文化財についてお話し頂いた。
このときには、あまり大々的に地域の方に声を掛けたというわけではないが、フィールドワークの対象がお寺と言うより泉ヶ谷という空間だったので、抵抗無く受け入れて頂けた、ということもある。
学生たちにも抵抗はなかった。

いや、今回も、実際に、教会に通った学生たちは、既に抵抗はない。
しかし、いざ、友達に「来てね」、という段になって「勧誘か?」と警戒されるらしい。
町内でも、回覧板で告知して頂くために、会長さんには随分ご配慮を戴いた。
結局、別に「静大生による研究発表会へのお誘い」というチラシを作って回覧して頂くことになった。ありがたい。

確かに、チラシを見たら教会の宣伝に見えるかも知れないし、自分の所に回覧板でこういうのがあったら、ん? と思うかも知れない。難しい。

私の授業で寺社と関わることも、時々ある。
ゼミで座禅や写経に行った事もある。
来年は、「静岡の文化」でお寺を扱いたいと思っている(学生の希望者がいなければ実現しないけれど、先方の内諾は戴いた。これも、ちょっとした事件だと思うんだけどな)。


座禅や写経は、或いは正式な参拝は「宗教体験」だ。
しかし、それは勧誘ではないし、そのまま入信に繋がるわけでもない。
深いところまでいけないというのは、もったいなくもあるのだけれど、そうやって、「安全」な形で体験してみることの意義もあるんじゃないかと思う。


大学生にはタチの悪い宗教団体の勧誘が頻繁にあるようで、実際おびえている学生も少なくない。
それが、信仰を持ってちゃんと生きている人たち全部に対する偏見に繋がっているような状態は、しかし、あってはならないことだ。
最初は理解できないし、好奇の目で見てしまうこともあるかも知れない。
しかし、全ての信仰を異物扱いして交流しないのは問題だ。
話してみれば、或いは、儀礼の列に加えていただけば、何か、見えてくるものもある。
そういう体験も学生の内にして欲しいと思っている。



ところで、イコンは観賞用に描かれたのではない。
それを通して聖書の世界とつながる窓として、信仰のための、ひとつの「道具」であった。
だから「美術作品」として鑑賞するのは、本来の目的とは違う。
私自身、仏像を寺院から運び出して美術館に並べるのは如何な物か、と思わないでもない。
その「もの」のなかから、祈りを排除し、信仰の場から切り離して美術品として評価・鑑賞するだけで良いのかどうか。


宗教宣伝の場ではない。
勿論。
美術館のように訪れて欲しい。
その通り。
しかし、そのうえで、その空間にそれがそうあることを、感じて頂けたらと思っている。


ご紹介感謝!
 彦星先生
 阿部七騎浅羽さん
 ギャラリーsensenci

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2 コメント

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うむむ…… (ICORIN)
2008-11-10 22:12:52
そうですよね。
私も宣伝をする際に、考え方がネガティブになってしまうことに寂しさを感じています。

それでも
もっとうまく宣伝ができるんじゃないか!
だったり、
恐れるな!ぶつかれ!
だったり、
ここは慎重に行こう!
だったり。

たくさんのことを考えながら活動できることに喜びも感じるようになりました。

学生のうちにできること。

もっともっと発信源になれるようがんばります。

みなさんどうぞ、足をお運びください!
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やった! (コニタ)
2008-11-10 22:46:19
「たくさんのことを考えながら活動できることに喜びも感じるようになりました。」

こういう言葉が如何に教師を励ましてくれるか。

わかってるねぇ。

ありがとう。

あと20日。
がんばろ~!
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