コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

多事争論

2008-11-08 00:10:03 | 


あまりにポピュラーなニュース過ぎて取り上げるのもいかがな物かと思うのだけれど、多少の感慨を込めて。

まぁ、60年代生まれの豆知識披露みたいな話だけれど、追善のため。


「多事争論」をGoogle検索し、定義っぽい物を探すと「はてなキーワード」というのが上位でヒットする。

曰く、
TBS系「筑紫哲也NEWS23」の番組内の人気コーナー名で、筑紫哲也がその日のニュースの気になるキーワードを紹介し解説を加える内容。

まぁ、これが標準なんだろう。

しかし、我々世代にとって、「多事争論」は、「朝日ジャーナル」編集長の巻頭言の名称であって、決してテレビコラムの名前ではない。


そして、それは、福沢諭吉『文明論之概略』の一節、

自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し。

から来ている。

愛煙家で知られた筑紫は、禁煙運動をファッショ的と批判したとして、やり玉に挙げられることがあるのだけれど、これは、彼が愛煙家であったが故に招いた不幸な誤解だ。
彼が批判したのは、“多事争論”を排する“正義”の暴力だったはずだ。

福沢の原文を、同じサイトから、もう少し長く引用しよう。

支那にて周の末世に、諸侯各割拠の勢を成して人民皆周室あるを知らざること数百年、此時に当て天下大に乱ると雖ども、独裁専一の元素は頗る権力を失ふて、人民の心に少しく余地を遺し自から自由の考を生じたることにや、支那の文明三千余年の間に、異説争論の喧しくして、黒白全く相反するものをも世に容るゝことを得たるは、特に周末を以て然りとす。《老壮楊墨其他百家の説甚だ多し》孔孟の所謂異端是なり。此異端も孔孟より見ればこそ異端なれども、異端より論ずれば孔孟も亦異端たるを免かれず。今日に至ては遺書も乏しくして之を証するに由なしと雖ども、当時人心の活潑にして自由の気風ありしは推して知る可し。且秦の始皇、天下を一統して書を焚(やき)たるも、専ら孔孟の教のみを悪みたるに非ず。孔孟にても楊墨にても都て百家の異説争論を禁ぜんがためなり。当時若し孔孟の教のみ世に行はれたることならば、秦皇も必ず書を焚くには及ばざる可し。如何となれば後世にも暴君は多くして秦皇の暴に劣らざる者ありと雖ども、嘗て孔孟の教を害とせざるを以て知る可し。孔孟の教は暴君の働を妨るに足らざるものなり。然り而して秦皇が特に当時の異説争論を悪て之を禁じたるは何ぞや。其衆口の喧しくして特に己が専制を害するを以てなり。専制を害するものとあれば他に非ず、此異説争論の間に生じたるものは必ず自由の元素たりしこと明に証す可し。故に単一の説を守れば、其説の性質は仮令ひ純精善良なるも、之に由て決して自由の気を生ず可らず。自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し。秦皇一度此多事争論の源を塞ぎ、其後は天下復た合して永く独裁の一政治に帰し、政府の家は屢交代すと雖ども、人間交際の趣は改ることなく、至尊の位と至強の力とを一に合して世間を支配し、其仕組に最も便利なるがために独り孔孟の教のみを世に伝へたることなり。

今、太字にしたところ。
つまり、たとえ“純精善良”であっても、“単一の説”を守ったらそれは自由ではないのだと。


アメリカの大統領が替わる。
日本は?

お上のことはそれとして、我々はもう一度“多事争論”を取り戻す必要があるんだと。


今、正義は暴力だ。


合掌。


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2 コメント

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しかし…… (なかむら)
2008-11-08 20:37:24
楽しくブログ拝見しております。
初めてコメントさせていただきます。

ご説、なるほどとは思うのですが、当の筑紫氏本人が「自分の絶対正義」をメディアを巻き込んで振り回した張本人のように私には思えてなりません。

思想的に、筑紫氏と相いれないというのもありますが、彼が使っていた「多事争論」という言葉を聞く度に、ご自身のことを省みているのか? と常々思っておりました。

ブログ汚すこと、お許しを。
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有難うございます。 (こにた)
2008-11-08 23:58:35
なぜだか同時刻に二件投稿された形になっていましたので、一件消去しました。

“汚す”だなんて、とんでもありません。
どなたかピンと来ませんが、今後も是非コメントを。


私も、筑紫氏を全面的に支持するわけでもないんですが(むしろじれったいことが多くありました)、少し擁護するとすれば、彼そのものが異論を全く受け付けない訳ではなく、むしろ議論を好んだのではないか、と。
なのに、まわりが王様に祀りあげてしまった部分があるんじゃないのかなぁ、と。
これは想像。

内実が伴っていたのか、と言うことについて議論の余地があるにしても、“異論 反論 Objection”という回路を持っていたことは、TVメディアの使い方として認めて良いんじゃないかと。
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