人生、すべて選択の連続、というのは
よく言われることですし、
きっと誰もが同意するところではないでしょうか。
伴侶を誰にするか、この人でいいのか
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勤め先をどこにするのか
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ここでこれをすべきか否か・・・
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など、人生の転機にはもちろん、
日常の何気ないシーンでも、
今日は何を着ていくか
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ランチには何を食べるか
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などと、
やはり選択をし続けているのだと思います。
一方、選びたくても選べないこと
というのもまた、
人生には存在します。
たとえば、子ども。
ほしいけれど、授からないということがあります。
就職先も、入りたい企業には
選んでもらえない、ということもあります。
一般に、自分一人だけでなんとかできるものは、
選ぶことや、思い通りにできる可能性は大きいもの。
けれど、そこに他者が絡む時、
自分が思うようにできる可能性は、
ものすごく小さいものになります。
ただ、
そこにも、選べるものは存在しているのだと思います。
それは、自分でなんとかできないものを
「手放す」か「とらわれる」か、
という選択です。
手放す、というのは、
忘れることや、諦めること。
とらわれる、というのは、
それを考えることや、執着すること。
私たちは、ともすれば、
選択できないことを選択しようとし、
選択できることを選択しようとしない、
そんな無意味なことをしがちですね。
そう思うと、
やはり、人生のすべての一瞬は、
選択で満ちている、と言えるかもしれません。
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