コミュニケーションにおいてとても有効な「コーチング」。
最近、企業の管理職研修などでは
ずいぶん高い割合で導入されるようになっているようです。
コーチングは、別に学問の一分野でもありません。
昔から、相手を伸ばすコミュニケーションが上手な人は
たくさんいました。
(それを、natural coach と呼んだりします)
そんな人たちがしていたことを、集めて、体系的にまとめたものが
いま、ビジネスなどでつかわれるようになっている
コーチングだと言われています。
このコーチングは、
言ってみれば、コミュニケーションのための
アプリケーションの一つ。
人と関わるとき、
OSとしては、コーチングマインドを持つことは大切です。
でも、コミュニケ―ションのためのアプリケーションは
コーチング以外にもいくつもあります。
ティーチング、カウンセリング、メンタリング、コンサルティング、
指示・命令……
どれが良くて、どれが悪い、ということはありません。
どのアプリケーションが適当かは、
その場、そのケースにより、
事柄の難易度や緊急性、重要性と
コミュニケーションをとる相手の能力の度合いにより、
変わってきます。
パソコンのアプリケーションも、
Word がいいのか、PowerPoint がいいのか、
時と場合で違うのと同じようなものです。
たとえば、
これから幼稚園を選ぼうというときに、
なにも知らない幼児に対して、いきなり、
「〇〇幼稚園と、△△幼稚園と、□□幼稚園と、
どの幼稚園がいい?」
と聞いてみるのは、ナンセンスというものです。
子どもは、そのときの名前の響きで連想したもので、
どれかを答えるかもしれませんが、
それをもって、
「だって、あなたがこの幼稚園がいいって言ったじゃない!」
なんて言って、子どもに責任を押し付けるわけにはいきません。
子どもが実際に行ってみて、五感で感じ取ったものを
選択の手がかりにする、というのはありだと思いますが、
判断するには、子どもにはまだ、
情報も、知識も、判断力も足りないと言えるでしょう。
そんなときは、親が判断し、
当然、その結果にも親が責任を持つことになります。
それが、高校や大学の選択となるとどうでしょうか?
ここはもう、親が決めるところではないでしょう。
でも、現実には、
幼稚園入学前の子どもに幼稚園を選ばせたり、
子どもの大学を親が決めたり、ということ、
そして、それにたとえられるようなことが、
実は日々の生活のなか、
日々の業務の中で起きています。
人は、知らないことはできません。
知っても、はじめは練習しなくてはうまくいきません。
コーチングは、なにも知らない人に、教えるべきを教え、
どこを目指したらいいのか、ということを互いに共有した上でこそ、
初めて機能するものだと思います。
その、はじめのところを、
忘れていることが結構あります。
「何を質問したらいいのかわからない」
「どこがわからないのかわからない」
あるいは、
「そもそも、何をめざしているのかわからない」
「いつまでに何をどの程度すればいいのか、わからない」
そんなふうに思っている子どもや部下がいたとしたら、
それは、コーチング以前の、
別のアプリケーションを使ってのコミュニケーションが
不十分だと言えるのではないかと思います。
これくらい、わかっているはず。
そう思っていませんか?
ちゃんと確認してみましたか?
「だろう」で動くのが危険なのは、
車の運転だけではないよなあ、と思います。